イラスト13完成

キャンピング・デッド

あらすじ

今年高校生になった小田松美来(おだまつみらい)はテレビで見たキャンプに興味を引かれて、たったひとりでキャンプをしに埼玉県の山奥まで来た、そこには妙に強面のノーマン・リダース似のベテランソロキャンパーの野々村典夫(ののむらのりを)が居た。野々村の事を「ノーさん」っと呼びながら美来は今日もキャンプの基本の火起こしのやり方を教わるが、同じく初心者のマッツ・ミケルセンに似てる中年紳士の松田さんも加わって、生きるか死ぬかは大げさだが、ゆるいソロキャンプを埼玉の山奥で体験する事になった。

生と死の狭間にある、ゆるいキャンプの話
「キャンピング・デッド」

本文


今年高校生になった小田松美来(おだまつみらい)がたったひとりで埼玉県の山奥にある渓流が流れる小さなキャンプ場でテントを組み立てようとしているのは些細な理由だった。
夜中のテレビで特集してたキャンプの姿になんとなく興味を持って、そこからは動画サイトを見たり、本屋の雑誌を立ち読みしたり、インターネットで調べたり、キャンプがテーマの漫画を読んだりとそれなりに調べたあとで、道具をフリーマーケットで安く揃えたりして友達も巻き込まずソロキャンプに挑んだ。
道具と情報が溢れる現代において何かを始める事は難しい事ではないかもしれない。
だが道具や情報が溢れてるということは誰かが既にやってる事を真似ているだけで、その苦労や一瞬の慌惚(こうこつ)を得るために労力をかける事を自己満足な無駄と割り切ることもできる。
誰かと一緒ならばやらなくても良いのでは?
そんな事もすこし考えた事もあったが、とりあえず外でご飯食べるだけでも美味しいかもとキャンプを初めてみたがなんだか面白かったから、今日は秋口でそろそろ寒くなって来たのだが、大きめのダークグリーン色のダウンショートコートとインナーにはヒートテックを着込んで美来は三回目のキャンプに来た。
ニットの帽子も被ろうと思ったが、家を出るとき忘れてしまったので長くて収まりの悪い軽い髪はマフラーで押さえている。
女子高生の美来にできるキャンプはなるべく近くのキャンプ場に自分で持てるだけの荷物を持って行くソロキャンプぐらいだった。
車を持ってる大人だったら何処にでも荷物を持って行けるのだろうけど、高校生の美来には、お小遣いとバイトで貯めたお金で電車とバスで乗り継いで山奥のキャンプ場に行くのが限界だった。
地元の公園で時々開催されるフリマで値切って五千円で手に入れた自立式のテントはキャンプ初心者の美来でも簡単に組み立てる事が出来て、三十分ほどで設置が出来た。
濃い緑色の地味な外見が残念で、キャンプ場でよく見る赤や黄色のが良かったが中古で買ったこのテントは二人用で畳んでも小さくて美来は良い買い物したと誇らしい気持ちになる。
高校生の美来にとって自分の持ってる部屋が新しく増えたような気がした。
たった一人でキャンプ場に朝早く来てテントを立てて、屋外で生活する。
なんだか凄いところに来たなあと思うのだが、こんなことは対したことが無い事なのだろうか?
管理小屋の近くはトイレや炊事場に近いので便利な反面、キャンプに来てる感が少しそがれるが、夜中真っ暗になるキャンプ場を長く歩くよりは安全なので美来はいつも小屋の近くにテントを立てる事にしてる。
美来が小さな満足を得ながらテントの前でニヤついてると、となりから木を割る音が聞こえてきた。
一定のリズムでカツンと木を石に叩きつける音が聞こえてくる。
「ねえ、ノーさんテントこんな感じでいい?」
渓流沿いのキャンプ場はサイトと呼ばれる区画が川の両側に並んでいて、美来が選んだのは管理小屋が見えるキャンプ場で一番手前の場所だった。
その隣のサイトで美来と同じく緑のテント、形は美来の丸いアーチ状にポールを組んだテントよりもっと単純な真ん中に支柱を立てて、そこから三角錐の形に広がるシンプルなテントで、入り口を大きく開けていた。
その横で大きな刃渡りの鉈を薪に当てて、そのまま振り下ろすと見事に太股くらいありそうな薪は真っ二つに割れた。
川沿いのキャンプ場に薪を割る音を一心不乱に響かせてる男は肩幅がしっかりしていて、太く大きな腕で薪を割る姿は正に山の男と言った風貌だった。
長袖のシャツの上にポケットの沢山付いたベストを着てる実用的な服装はキャンプに慣れてる感じがする。
笑いもせずに男は薪を簡単に割っていく、それなりの力仕事のハズなのだが息も乱れず大小様々な薪の山を築いていく。
「ねえノーさん」
美来が近づいて声をかけると、その日一番強く叩かれた太い薪が真っ二つに割れた。
「オイ」
低くしゃがれた声がした。
男は刃物をまだ割ってない薪に叩きつけると、ゆっくりと立ち上がって美来の方へと向いた。
前髪は額に掛かり、後ろ髪も伸ばして顔を隠しているようだった。彫りの深い顔にある細い目は笑った事が無いかもと思うほど捕食動物のように鋭かった。
「刃物を持ってるヤツに後ろから近づくなって言っただろ?」
「聞こえてるなら返事してくれてもいいじゃないですか?」
男は一歩踏み込んで美来を睨み付けた。
「なんの用だ?」
「テントちゃんと張れてるか見てください」
男は美来の後ろにある隣のサイトにあるテントをチラッと見て、一瞬の沈黙のあとすぐに後ろを向いて再び薪を割る準備をし始めた。
「ちょっとノーさん?」
薪を割ろうとした男にもう一度美来は声を掛けた。
「だから刃物持ってるヤツに近づくなって言っただろ!」
今度は刃物に薪を付けたまま男は立ち上がって美来を怒鳴りつけた。
「私のテント観見てってお願いしてるんじゃないですか!」
無視された事を根に持って、怯まずに美来は抗議する。
「なんで俺がお前のテントを観なくちゃいけないんだ、自分でやれ」
「今度みてくれるって言った」
「言ってない」
「言いました」
今度は美来が男を睨み付けた。
睨んでいるというよりは子供が拗ねているようにしかみえないのだが、男は怯んでしぶしぶと移動した。
「ありがとうノーさん」
「そのノーさんって呼び方なんなんだ?」
「だって野々村典夫(ののむらのりを)って「の」が三つも付いてるんだからノーさんで良いじゃ無いですか?」
野々村典夫と美来はこのキャンプ場で会ったのはつい最近の出来事だった。
野々村は特に美来のことを名前で呼ばないが、美来はあだ名を付けていた。
「勝手にしろ」
悪態を付きながらもノーさんこと野々村は美来のテントの様子を見に行った。
「お前ちゃんとペグを打っておけって言ったろ?」
「やっぱりやらなきゃダメなの?」
ペグはテントを地面に固定する杭の事で、テントの四隅のロープを杭に括り付けて地面に打ち込んでテントを風などで飛ばされないようにする道具だ。
「そんな風に飛ばされた事無いよ?」
「林の中のこのキャンプ場ではそうかもしれないが、強い風が吹いて万一テントが飛んでって周りに迷惑掛けるかも知れないだろ、公園でやるテント張りじゃねえんだしっかりやれ」
「はーい」
怒られたのに美来はあまり懲りてないようだった。
「場所は良い」
「へへ、この前教わったからね」
「だったらちゃんと固定しろ」
「はーい」
野々村は声も低いし、長い髪が彫りの深い顔に隠れた細い目で睨み付けられると「殺すぞ」と脅されてるような迫力があるのだが、美来は怖がること無く、睨まれるとむしろ喜んでいた。
テント付属の小さな携帯ハンマーで美来は四隅のロープにペグ(杭)を打ち込んでいく。
野々村も再び薪割りを始める。
まだ午前中のキャンプ場には人は疎らで、野々村と美来以外は後数名ぐらいしか居なかった。
管理小屋に一番近いサイトに居る美来にはキャンプ場に来てテントを建てる人が横を通って行った。
目が合えば挨拶するが、殆どが大人でひとりで来る人が多かった。
美来は知らなかったのだが、美来が探したキャンプ場は殆どが一人で来るソロキャンプを楽しむ人が多いキャンプ場だった。
車でキャンプ場の中に入ってこれるオートキャンプ場や、原っぱで大きなテントを張れるキャンプ場とは違い、みんな公共交通機関を乗り継いで、最後はバス停から三十分ぐらい徒歩で歩く必要があるキャンプ場だ。
だからかグループキャンプで大量のお酒を持って来て騒ぐような人が少ない静かなキャンプ場だった。
でも訪れる人が皆フラフラと、なんだか疲れ切った人達がひとりずつ来ては黙々とテントを立てて、焚き火台を用意して、椅子を用意して火を見ながら食事をしたり、お酒を飲んだりと何かに操られてるように淡々と作業しているのはキャンプってこういうものなのかなあと、もっと賑やかなものだと思ってた美来にとっては驚きだった。
中でも野々村典夫、ノーさんは寡黙で静かだった。
ひとりが大好きで、誰かに気軽に話し掛けるなんて絶対しないタイプに見えた。
無口で頑固そうな男は最初に見かけてから怖い人だなあと思っていた。
けど、最初のキャンプで何をして良いのか分からず右往左往してた美来に最初に声を掛けたのは野々村だった。
テントの張り方、火の起こし方から、色々と教えてくれた。
決して甘やかす事はなく、アドバイスはするが必ず最後まで自分でやらせる。そんな教え方をする人だった。
動画で教えてくれるのも便利だけど、隣で見てもらいながらやるのが一番分かりやすかった。
美来は一人でキャンプに来てテントを張ってる事は高校生の自分にとっては凄い事だと満足感に浸っていた。
そして立ち上がって隣の野々村のサイトに再び歩いて行く。
「ノーさん、火起こしたら貸してください」
「なんでだよ」
「火起こしの道具全部忘れました」
ライターや携帯用ガスボンベなどお湯を沸かしたりする道具全てを忘れて来た事に美来はテントを立ててから気がついた。
「お前なめてるのか?」
キャンプとは詰まるところ生活出来る環境を持ち歩いて、出先で宿泊施設を組み立てる事だ。
だからテントを立てて寝る場所を確保したら、次は水や食料を準備して、料理の準備をする事を始めるのが基本だ。
昨日慌ててまたキャンプに行こうと思いついた美来は、火を起こす道具一式全て家に忘れてきた。
「この前キャンプの後ザックから出して、一回家の中でマシュマロサンド焼きたいなあと思って試したあと、そのままにして置いたらお母さんに片付けてもらった後詰めるの忘れてて・・・・・・」
「バカヤロウ」
キャンプに来て火を熾せないのは食事も限定されるし、しかも秋口で冬ほど厳しくないとはいえ外に出ていれば寒いし夜は冷え込むので焚き火は合った方が良い。
周囲が林のキャンプ場はさほど風は強くはないが渓流の近くはそれなりに冷たい風がながれてくる、だから野々村は薪を蓄えて火を起こそうとしているのだ。
「まあ今日のご飯は袋ラーメンとパンだけで、火を起こす気があんまりなかったのでお湯だけでも沸かしてくれれば、クッカーは持ってきてます」
「ひとりでキャンプしに来てるのに他人に甘えるんじゃねえ」
野々村は唾でも吐きかけてきそうな悪態を付く。
「薪とか高いじゃないですが」
「高くねえ、山で集めて貰った上に燃やしやすいサイズに切ってもらってんだからその苦労を考えれば一束三五〇円なんざ安いもんだろ?」
「でも炭とかも買ったりしたら毎回それなりにお金かかっちゃいますよ?」
「ここは焚き付けとか枝を山の中からとってこれるから、多少の工夫はできるだろ?」
テントは渓流沿いに建てるが、すぐ近くに出入りができる少し茶色に染まった林があって枯れ木など落ちてるものは取ってこれる。
「でも売ってる薪の方が良いんでしょ?」
「ちゃんと乾燥してあるし、燃えやすいサイズに切れてるからな」
焚き火に薪をくべながら、野々村は火加減を観ていた。
バランス良く太い薪を中心に徐々に小さい薪を円錐状に重ねて下から空気が入るように組み上げている。
パチパチと薪が燃える音が美来には心地よい。
「キャンプに来て火起こしをしないってなんの為にキャンプ来てるんだよお前は」
枝で薪を整えながら野々村は美来を睨み付ける。
「うーん家に居るよりは外に居た方が気持ちが良いから?」
「態々こんな山奥に来る必要はねえだろ」
「ノーさんは何処に住んでるんですか?」
「都内だ」
「えー私より都会人だ、私は所沢」
「別に対した違いじゃないだろ?」
「いいえ、秋津と東村山には大きな壁があるんです、ノーさん知らないの?」
都内に住んでる野々村がこの飯能のキャンプ場まで来るのに公共交通機関を使ってるのであれば必ず所沢を通ってるので、東京都と埼玉県に巨大な壁があったら必ず気がついてるはずだった。
「東京だったらもっと面白いところいっぱいあるのになんで飯能のキャンプ場なんて来てるの?」
「それはお前も一緒だろ?」
「私は別にテレビで観てなんとなく楽しそうだなあくらいだけど、ノーさんは大人でお金ももってるんでしょ?」
他にも行くところたくさんあるんでしょ?っと美来は言いたかった。
「俺は特に楽しくてキャンプやってるわけじゃねえ」
「じゃあなんでキャンプしてるの?」
「うるせえ」
ベストのポケットから伸び縮みする携帯用の火吹き棒を取り出す。
ペンほどの大きさのものを伸ばすとあっという間に五十センチ程度の長さになった。
口を付けて火に勢いよく息を送り込むと、燻っていた火が大きくなっていく。
こういう火起こしが上手いのを見てるとキャンプ慣れしているというか、野々村の手並みに美来は見取れてしまう。
「本当にノーさんってキャンプ上手いね?」
「なんだキャンプが上手いって?」
「いや、火起こしとかすぐ出来ちゃって凄いなあって」
「こんだけ乾いた薪が転がっていて、焚き付けも豊富にあったら火なんか簡単にできる」
「誰でも?」
「よほどの間抜けじゃなければな」
美来は隣のサイトを指さした。
野々村が振り向くとそこには、薪を前にして何度も火を付けようと火打ち石で悪戦苦闘をしている男が居た。
「放っておけ」
「でもさっきからもう三十分ぐらい悪戦苦闘してるよあのひと?」
彫りの深い顔に短い髪をキッチリ揃えて、顎に少しだけ白い髭を蓄えてる中年男性が一人で頑張って火を起こそうとしていた。
建てたテントも着ているコートもどれも新しくて、ブランド品の高そうなモノだった。
野々村の隣のサイトで同じように焚き火をしようとして薪を用意したのが良いが、肝心の種火が上手く付かないのがずっと火打ち石を叩いている。
「あの人は?」
美来は間抜けなのかと聞きたかったが流石に口をつぐんだ。
「火打ち石は風の影響受けやすいからもっと風よけをちゃんと作って、着火用の火が付きやすい焚き付けをもっと近づけないとダメだ」
隣のサイトの男は不思議そうに火打ち石を慣らすだけだった。
「ノーさん教えてあげれば良いじゃん?」
「なんでだ?」
「だって大変そうだよ?」
「その内諦めてチャッカマンかライターを管理事務所に買いに行く」
「折角火打ち石持ってきてるのに?」
「それもキャンプの勉強だ」
隣の男はまだ四苦八苦していて、既に顔は泣きそうになっている。
「ねえ、あの人に教えてあげたら?」
「すぐ人に頼るな」
「じゃあ私には火の起こし方教えてよ、ダメ?」
「ダメとは言ってない、自分でやるなら教えてやる」
「ありがとうノーさん」
強面の野々村も可愛らしい笑顔で子供にお願いされるとハッキリと断れなかった。
「薪も俺はやらんぞ、自分で調達しろ」
「じゃあ火起こしの薪とってくるね」
「勝手にしろ」
そのまま美来は森の中には入っていかず、隣のサイトの火が熾せない男に声を掛けた。
「あのー火つけるのって大変ですよね?」
声を掛けられると男は乾いた笑いを浮かべた。
よく見ると身なりは綺麗で、着ているモノも新品なのか汚れ一つ無かった。オレンジ色のアウターはアウトドア用の高そうなモノだった。
歳は少しだけ野々村より上そうだけど、同じようにスポーツかジムに通ってるのか太ってなくて格好よかった。
「私もあの人にこれから火起こし習うんですけど、一緒に話聞きませんか?」
「良いのかい?」
少し照れながら男は美来の呼びかけに答えた。
「すごく助かるよ火が起こせなくて困ってたんだよ」
素直に自分が出来ないのを認めて男は笑って美来の提案に乗った。
「あと出来れば薪を少しもらっていいですか?」
「ああ、買いすぎたみたいだから構わないよ持って行ってくれ」
勝手に話を付けて来た美来はそのまま火が起こせなくて困ってた人を野々村のサイトに連れてきた。
「じゃあ教えてねノーさん」
「すみません、よろしくお願いします」
野々村は何か言いたそうだったが、チッと小さな舌打ちだけで薪を割ってた鉈を取り出した。
ゆっくりと立ち上がってキャンプ初心者の二人を睨み付ける。
鉈を持ってる姿は殺人鬼にしか見えなかった。
「教えてやるから、森に行ってまずは火のつきやすい焚き付け取ってこい!」
鉈を持った手で野々村は林の方を指した。
「了解しました!」
「焚き付け?」
火がつかなかった男が質問する。
「どんなに燃えやすくても薪はいきなり火がつかねえ、薪に火を付ける枯れ草とか枯れ枝をさがすんだ」
二人とも薪を抱えて森の中に消えていった。
「薪は自分のサイトに置いてけ!」
「ハイ!」
一瞬静かなキャンプ場に薪を落とす音が響いたが、すぐにまた渓流の流れる音だけになった。
「なんなんだまったく・・・・・・」
ひとりで静かにキャンプしたかった野々村にしてみれば声を掛けられるのはたまったもんじゃ無かった。
火起こしぐらいできないでキャンプ場に来るなんてどうかしてる。
自分で起こした火の前でアウトドアチェアを広げで火の前に座る。
まあ最近ブームなのかキャンプ場に来る人間が増えたのを感じる事はある。独りの時間が好きな野々村にしてみれば人が増えてキャンプ場に美来みたいに喧しいヤツが増えるのは溜まったものじゃない。
なんだってこんなキャンプ場にあんな若いヤツや何にも知らないヤツが来るのか?
他にも楽しいことがあるだろうと野々村は思いながらお湯でも沸かすかと、焚き火を使ってお湯を沸かす準備をする。
「ノーさん、焚き付けってどれが良いの?」
川原の近くの林の中から美来の声が聞こえてきた。
「クッソ!」
川原の砂利を思いっきり蹴りつけて、野々村は立ち上がって林の方に向かった。
「俺はひとりでキャンプに来たんだぞ」
文句を言いながらも鉈を持って野々村は林に入っていった。
「私もひとりで来たんです!」
折れた枝を持って美来が寄ってきた。
「大きな声を出すな!」
「だって、ノーさんなんだかめんどくさそうなんだもん」
「そうだよ俺はお前らと関わり合いたくなんかないんだ」
「じゃあなんで最初の時声掛けてくれたんですか?」
「アレは偶々だ」
美来は最初のキャンプで偶々野々村に声を掛けてもらったのが話をするようになる切っ掛けだった。
初めはテント一つでパンだけ持ってきた美来に対して若い男がしつこく話し掛けているのを通りがかった野々村が制止ようと話し掛けたのが切っ掛けだった。
「何してる?」
美来を口説こうと話し掛けていた男は野々村の強面の顔と身体の大きさにビビってすぐに自分のテントに引き返して行った。
「ありがとうございます、ずっと話し掛けられて困ってたんです」
深々と頭を下げる美来に野々村は特にそれ以上話し掛ける事も無くそのまま自分のテントに行った。
気がつくと野々村のテントの横に美来は自分のテントを持ってきていた。
野々村はその事に文句を言うわけでもなく、勝手にしろと美来の事は放っておいた。
それ以来、美来は野々村を見つけると隣にテントを立てるようになった。
そうしているウチになんとなく野々村は美来に懐かれた。
キャンプ場で会える信頼の置ける大人として野々村の事を認めたのだ。
「ねえノーさんこれは使える?」
美来は足下に落ちていた茶色い杉の枯葉を持ち上げた。
「ああ、後は細い枝も探しておけ、持ったとき両端を掴んで曲げた時にパキッと割れるのが乾いていて良いやつだ」
「こういうヤツ?」
美来は野々村の前で枝を持って力を入れる。だが、なかなか折れずにグニャッと曲がってしまった。
「それは枯れてない新しい枝だから水分含んでるから薪に不向きだ」
そう言って野々村は周囲を見渡す。すっかり落ち葉が落ちて茶色い山の地面に数本の枝を見つける。
そして枝の両端を持って力を入れると、見事にパキッと音がして枝が割れた。
「こういうヤツを探せ」
そう言って野々村は枝を美来に預けた。
「ありがと」
「見本を渡しただけだ、自分でしっかり探せ」
「分かった」
美来はしゃがみ込んで必死に薪の燃料を探した。
「ノーさん」
「なんだ」
「ありがとう」
落ち葉が敷き詰められた林の中で、楽しそうに美来は焚き付けを探していた。
礼を言った笑顔はどんぐりを探してる幼子のように無邪気だった。
「今日は寒くなるから量を確保しておけ」
「すみません、これなんかどうでしょうか?」
火が付かなかった男が自分の身長くらいの少し濡れてる大きな枝を持って来た。
「お前、そんなデカくて湿った枝なんか火が付くわけないだろ」
「大きいからよく燃えてこれが良いのかなと?」
「違う、乾いてる松ぼっくりとか枯れ草とか小さいものだ」
顔に手を当てて野々村は嘆く。
「あんたどうやって火を起こすか調べてこなかったのか?」
「タバコ止めてからライター持って無くて、火を起こすのがこんなに大変だと思わなかったもんだから・・・・・・」
少しだけ野々村よりも背が高い男は恥ずかしそうに笑う。
「あんた何しに来たんだ?」
「あーキャンプのつもりなのだが・・・・・・違うのかい?」
薄く男が笑うと、野々村は睨み付けて自分のテントへ戻った。
「ふむ、興味深い」
男は持ってた枝を捨てて周りを見渡した。
そしてここで火打ち石を使えばよく火がつきそうだなあと思った。
「ここで火を付けたら大変な事になりそうですね」
松ぼっくりやら枯れ草をコンビニでもらったビニール袋に詰めた美来がいつの間にか隣に立ってた。
「それはやっちゃダメだね」
「そうですね。薪もらった分、この焚き付け一緒に使いましょう」
「助かるよ」
二人はすっかり意気投合してテントへと戻って行った。
「松さんはやっぱり火を起こすの下手ですね」
美来が声を掛けたのは松田と名乗る男だった。女子高生の指摘に申し訳なさそうに笑う。
「お前が言うな」
野々村にしてはどっちもどっちで、火打ち道具から火を起こすのは諦めて着火剤とライターをちゃんと持ってこいと思った。
「いやあお恥ずかしい美来ちゃんの方が火起こし上手いね」
焚き火のやり方を教えて貰ったが、結局その後は野々村のサイトで三人で同じ火を囲むことになった。
そしてなし崩しに野々村のポッドで沸かしたお湯で、松田さんが持ってきたドリップコーヒーの道具を使ってコーヒーを入れる事になった。
「このコーヒー凄く美味しい」
「そんだけ砂糖いれてもとのコーヒーの風味台無しじゃねえか」
野々村は何も入れずブラックで飲んだが、確かに美味いし香りもいいコーヒーだった。
「良かった、折角持ってきても飲めないところだったよ」
「ガスバーナーとか持って来なかったんですか?」
「ガス?」
「ええ、これくらいのクッカーの下に引くヤツとか・・・・・・」
「キャンプ場にガス持ってきていいのかい?」
「持って来ちゃいけない理由って?」
「ほらキャンプって焚き火するだろ? そこでお湯沸かしたり料理するのでは?」
「だって焚き火の火で料理するの温度調節とか大変だから、あそこの横にある釜土とか、自分で持ってきたガスコンロで料理するのが普通だよね?」
美来が野々村に同意を取る。
「飯盒炊さんとかはそのまま直火に付けられるが火力の調整は難しいからなあ」
「そうか、そういうものもあるのか・・・・・・」
松田はまるで思いつかなかったっという顔をした。
野々村はまだ美来の方がキャンプの知識があるのかと思うと、目の前の初老に近い大人をみて哀れに思った。
「いやあひとりキャンプしてみたいなあと思って初めて来てみたんだけど、やっぱり誰か教えてもらえる人が居ないとダメなんだね」
松田さんはコーヒーを飲みながら、すっかり落ち着いているようだった。
美来は火が熾せなくて泣きそうになってた人と同じとは思えなかった。
「あんた本当にろくに調べもせずにキャンプしたくてわざわざこんなところまで歩いてきたのか?」
「そうなるね」
野々村に言われて松田は肩を下げて小さくなった。
「ノーさん?」
「呆れてもいいだろうが」
「じゃあもう少し優しくしてあげてよ」
「お前もそうだが、もう少しひとりでここに来てる意味を考えろ」
野々村は眼光鋭く松田と美来に目配りした後に、焚き火に薪を追加した。
「だいたいキャンプっていうのはキャンプ場が場所を貸してくれるが、それ以外は自分で全部用意して周りに迷惑掛けないで過ごすのがキャンプ場の最低限の守るルールだろ? ここは都内に近いからなんかあってもすぐに帰ればいいが、これがもっと山奥のキャンプ場とかだったら準備不足はへたすりゃ命の危険だってあるんだぞ? わかるか?」
「そんな脅さなくても・・・・・・」
「ここみたいな便利な疑似キャンプで満足するんだったらそれでいいが、独りで来るって事は失敗も準備不足も全部自分でカバーするんだ、すぐに誰かにたよるようだったらキャンプなんか止めちまえ」
確かに野々村の言うことは正論だったので松田さんも美来も何も言えなかった。
渓流の流れる音、風が木を揺らす音、薪が燃える音、そんな音しか聞こえないが空気は一気に重くなった。
「あーみんなで集まってる珍しいねえ何やってるの!?」
静寂を破ったのは若い女性の声だった。
暖かそうなストールを巻いて、頭にはニットの帽子。ロングのスカートの下にはレギンスと茶色いブーツを履いている姿は雑誌に出て来るような山のオシャレの格好だった。
「あっ沙緖里(さおり)さんだ」
「美来ちゃん久しぶり」
挨拶がわりで手を振った後、荷物を持ってドカドカと進んできたのは同じくキャンプ場で知り合った大人の女性の沙緖里だった。
「珍しいね焚き火に集まってコーヒーなんて、なんかキャンプっぽい事してるのねどうしたの?」
「うるせえ」
「えっ、ここ野々村さんのサイトじゃない? このキャンプ場で誰もが近寄らない孤高の狼、ナイトウォッチの砦として恐れられてる野々村さんのテリトリーでコーヒー飲めるなんて凄いね美来ちゃん! やっぱり孤高を気取った野々村さんも結局はち切れんばかりの若さに勝てないのね・・・・・・」
そう言うと沙緖里は川原に膝を付いて大げさに倒れ込んだ。
「ねえ沙緖里さんナイトウォッチの砦ってゲーム・オブ・スローンズのあの北の壁の下にあるヤツ?」
「そうそう、あの主人公のジョン・スノウが死ぬ所ね」
「えっジョン・スノウって死ぬのかい?」
コーヒーを飲んでた松田が急に海外ドラマの話に入ってきた。
「あっすみませんネタバレしちゃいました?」
「でもそのあと生き返るよね沙緖里さん?」
「えっ生き返るのかい?」
二人の会話に松田はいちいち驚いた。
「どこまでみたんですか?」
「シーズン1までみてね、なんだか長そうだなあと躊躇してたんだゲーム・オブ・スローンズ」
ゲーム・オブ・スローンズは海外で有名なファンタジードラマだ。
「あーゲースロはシーズン1はタダの人物紹介なのであんまり面白くないんですけどシーズン2から急激に面白くなるので、是非みた方がいいですよ!」
「そうなのか、やっぱり海外であれだけ人気が出てるから面白いとは聞いていたんだけど、ちょっと躊躇していてねえ・・・・・・そういえばあのあと逃げたネッド・スタークの娘のアリア・スタークはどうなるんだい?」
沙緖里と美来は顔を見合わせて口元を隠して小声で喋った。
「どうします沙緖里さん「顔の無い人」になったって言った方が良いんでしょか?」
「ダメよ意味が分からないわ、それよりハウンドと子連れ狼よろしく楽しい旅に出たって言った方が・・・・・・結局アリア・スタークがあの世界を死の軍団から救ったって話してもシーズン1しか観てない人には理解出来ない」
うーんと二人とも腕を組んで悩み始めてしまった。
「是非シーズン2も観た方が良いですよ!面白いですから」
「そうか、じゃあ今日から観てみることにするよ」
海外ドラマはネット放送が多いので、大体サブスクリプションサービスに入ってればどこでも観れる。ポケットのスマフォを取り出して松田は嬉しそうに微笑んだ。
「ねえ美来ちゃんこのめちゃくちゃダンディーな人誰?」
「隣でテント建ててた松田さん、さっき初めて話した」
「松田さんですね、私は箕浦沙緖里(みのうらさおり)です、よくここのキャンプ場に独りで来てます」
沙緖里もよく一人でキャンプに来る都内の会社に勤め人だった。すくない女性同士で美来とは直ぐに意気投合して、会う度に何かと世話を掛けてもらってる。
「ふむ君みたいな若い女性が独りでキャンプを?火起こしから?」
松田は関心したように沙緖里を見る。暖かそうな厚みのあるモコモコとした服を着込んだ沙緖里はキャンプというより何か故郷で民族衣装を着て暮らす人に見えた。
「こう見えて私もすっかりベテランソロキャンパーで・・・・・・」
「何が「こう見えて」なんだ?」
「野々村さん、何か言った?」
自分の周りで騒がれ不機嫌な野々村は何も言わずに焚き火に薪をくべた。
「沙緖里さん今日はどこにテント張るんですか?」
「それがさあ、今日はデイキャンプになっちゃったんだよねー」
デイキャンプは一泊せずに日帰りする事を言う、沙緖里は心底悔しそうに腕を組んで首をもたげる。
「泊まらないのに態々ここまで来たのかい?」
「はい、最近キャンプに来れてなかったのでどうしても悔しくて無理矢理来ました」
そう言うと沙緖里は大きなザックを下ろして、中から小さな携帯チェアを取り出して焚き火の前に置いた。
野々村はまた自分のサイトに屯する人が増えたと不満を露わにしたが、話に夢中の松田と沙緖里は気にせず、気がついた美来も黙ってコーヒーを一口飲んだ。
「そこまでしてキャンプに?」
「やっぱり忙しくなっちゃうと準備とかあるし出るのが億劫になるんですけどね、無理矢理でもキャンプに来ると生活のリズムも戻って体調も良くなるので」
「そういうものかい?」
「私はその為にキャンプしてるかもですね〜なんか週ごとの鬱憤を晴らすためにひとりになりたくてキャンプに行く感じですかね」
沙緖里は喋りながらテキパキとリュックから荷物を取り出し始めた。
大小のタッパーに小さな瓶に入れられた調味料や折りたたみ式のフォークやスプーンに木の小さな調理用まな板に折りたたみ式のアルミテーブル。
「なんで俺のサイトで荷解きしてるんだ?」
「言ったでしょノーさん、私今日はデイキャンプだって、テント無いし他の場所借りるよりここでパパッと料理してみんなでご飯した方が良いかなあって」
「俺の場所で勝手するな」
「ちょうどよかったちょっと持ってくる鍋大きかったかなあと思ってたんだ」
野々村の言葉を無視してリュックの底から小さめの茶色い底の浅い鍋を取り出した。
「これそろそろお昼の時間だし、みんなで食べない?」
鍋の蓋を開けるとそこには豚肉を挟んだ白菜が花弁のように幾重にも鍋を埋め尽くすように豚バラ肉と白菜が重なっていた。
「豚肉白菜ミルフィーユ鍋、これやってみたかったんだ!」
「凄い綺麗」
「これは凄いね」
美来と松田が鍋を覗き込んで感心すると、沙緖里は鍋の蓋を持ち上げながら鼻を高くした。
「いやあなんか朝からこんな下準備しててテンション上がったわ・・・・・・これから夜また仕事って考えなければね・・・・・・」
沙緖里は肩を下ろして鍋の蓋を被せた。
「これを料理するのにやっぱり炭が居るわね、あと釜土で網の上がいいわね」
「俺はそんなもん用意してないぞ」
「ああ、炭も買ってあるので、あとレンタルで網も借りておいたから使ってくれるかい?」
松田が自分のサイトを指さして、好きに使ってくれというとますます野々村は不機嫌になった。
「ありがとうございます。それじゃあ美来ちゃん準備しようか?」
「火起こしなら任せてください、さっきノーさんに教わりました」
「ホントに?」
やっぱり子供には弱いなあと沙緖里は笑う。
「ゾンビ村の墓守も子供には優しいのね」
「ゾンビ村?」
「知らないのここのキャンプ場の別名よ?」
「そんなのあるんですか?」
「ほらここのキャンプ場は殆どソロキャンパー専用みたいなキャンプ場じゃ無い。サイトの大きさも小さいのが多いし、駐車場が無いし殆ど歩きじゃないと来れないからね」
確かに美来はこのキャンプ場に来てあんまり複数人で来て騒ぐ人とか渓流で川遊びをする人とか見たこと無い。
「だからさ、ここに来るのは渓流の音に反応した日常生活でゾンビになった人がウーウー言いながら山を這い上がって来て、翌日人間として復活して山を降りる。そしてまた都内でゾンビになって戻ってくる、それを繰り返すって感じ」
「ゾンビみたいってそんな・・・・・・」
美来はキャンプ場で見てきた大人を思い出した。
「あーひたすら川を見ながらお酒だけ飲んでる人とか、焚き火見ながら独り言呟いてる人、山に出入りするのをただひたすら繰り返す人・・・・・・確かにゾンビみたいに知能が無さそう」
美来はドラマで観た人を見るとすぐ襲うゾンビの事を思い出した。
「でしょ、だからここは静かで良いのよね、ほら死者が訪れる場所だから・・・・・・」
「ホワイトウォーカーの世界?」
ゲーム・オブ・スローンズで死者を蘇らせて不死者の軍団に仕立てる全身真っ白の悪者がホワイトウォーカーだった。
「いやいやここは電気とガスが通ってない文明が滅んだ後の世界みたいなものだから、ウォーキング・デットみたいな世界じゃない?」
「ウォーキング・デット?」
「知らないこの前シーズン10が始まったドラマで元気なゾンビがたくさん出てくるんだけど・・・・・・」
「シーズン10もあるの・・・・・・」
「大丈夫、日本語吹き替えもあるからすぐ観られる、リック役のアンドリュー・リンカーンが格好よくて、後は途中から出て来るニーガン役もジェフリー・ディーン・モーガンも複雑な人物なんだけど格好よくて良いのよー」
喋りながらもテキパキと釜土の準備をしながら沙緖里は大好きな海外ドラマの話が止まらなかった。
「ゲースロも良いけどウォーキング・デットも面白いんだ。文明が崩壊してそこで必至に生きようとして色々な人がサバイバルの為に食料集めに頑張ったりゾンビに襲われないように砦を作ったりね、なんか街の中でキャンプしてる感じなんだよねー」
「面白そう」
「今度観てみたら感想聞かせてね」
沙緖里の大分端折った説明だったが美来は興味を持った。
「あっ野々村さんウォーキング・デットに出て来るダリル役のノーマン・リダースにちょっと似てるかも? 髪が長くて無口で不器用、けど困ってると身体を張って助けてくれる感じなんか似てるかも」
野々村はそんな海外ドラマに出て来るような格好いい人ではないと美来は思ってたが、沙緖里とか大人には格好いいように見えるのだろうか?
「ノーさんは困ってても助けてくれないよ?」
「あらそう?」
「自分で枝取ってこいとか、準備が足りないとか怒ってばっかり」
美来はさっきの火起こしの事で怒られた事を思い出した。
「でも最後は助けてくれたでしょ?」
釜土の準備が終わって、網の上に豚肉白菜ミルフィーユ鍋を設置しおえた沙緖里は釜土の方へ手を向けた。
美来は上手く薪が組まれた釜土の根元に向かって火を起こす準備をした。
野々村から借りた火打ち石を使って火口に素早く火を付けて、すぐに真っ赤に燃えた火口を薪の下に入れる。
徐々に火種は小さな枝から大きめの薪に火が移っていった。
「すごい美来ちゃん、火を起こすの上手になったね」
「今日教わったばかりですけど」
沙緖里に手を叩いて褒められたので、美来は素直に照れた。
「あっ」
「ねっ、なんだかんだ怖いシベリアンハスキーとか猛犬みたいな顔をしてるけど野々村さんは教えてくれるのよ」
「おい、俺がなんだって?」
「優しいゾンビキャンプのお兄さんが居て良かったなあって話です」
「なんだそりゃ・・・・・・」
野々村は焚き火にポットを設置してお湯を沸かす。
文句を言いながら沙緖里の昼食に付き合う準備をしはじめる。
「いやあ火起こし上手くなったね」
松田が美来をうらやましそうに見た。
「あんたも少しは見習え」
「いやあ私はいつも他の人になんでもやってもらってしまって何もできなんだなあって思い知ったよ」
「奥さんか?」
「残念ながら私も君と同じ独身だ」
野々村は特に独身だと松田に言ったわけでは無いが、確かに土曜日の朝からキャンプに来る社会人が結婚して子供が居るとは思えなかった。
「君の言うとおりだね、火起こしぐらい一人で出来ないとはね情けない話だ」
「別に誰だってすぐに出来るようになる」
「さっき試したんだがやっぱり火がつかなかった」
「チャッカマン買え」
焚き火にあたる二人の男の背中を見ながら沙緖里が美来に話し掛ける。
「ねえねえやっぱり松田さんと野々村さんってなんか海外ドラマに出て来る人みたいに渋くて格好よくない?」
「そうかなぁ?」
美来には渋さの良さはやっぱり分からなかった。
そんな風にたわいもない会話をしていると、あっという間に沙緖里が沢山の料理を準備してくれた。
美来は昼はパンだけかなと思っていたので、暖かい食べ物に感動した。
気がついたら大人達に沙緖里はビールを渡していた。
「それではみなさん・・・・・・」
食事の準備ができてビールの缶を持って沙緖里は皆が集まる焚き火の前で立ち上がる。
「ドラカリス!」
「ドラカリス!!」
楽しそうに謎の呪文に乗った美来と意味は分からないが釣られて笑いながらマグカップを捧げる松田と不愉快そうに鼻を鳴らす野々村の姿が対照的な乾杯の音頭が終わると、皆は早速料理を分け合った。
「ミルフィーユ鍋すごく美味しい」
「ありがとう、美来ちゃんの起こしてくれた火のおかげだね」
沙緖里は料理が上手くいって嬉しそうだった。
「はい、ノーさんの分」
沙緖里が取り分けて紙製の取り皿に入れて野々村に差し出す。
「いらねえ」
まだ不機嫌が治らないのか、野々村は火を見ながら沙緖里が進めてくれた料理を断る。
「とても美味しいよ?」
野々村の隣の松田が沙緖里の鍋を褒めた。
「ありがとうございます、野々村さんも冷めないウチに食べてね」
無理強いせずに沙緖里は野々村の分の取り皿を自分の足下にある調理用のローテーブルに置いた。
それを自分の分をあっというまに食べた美来が取り上げる。
「ノーさんも食べようよ、凄く美味しいよ」
「俺に構うな」
火を起こして三人に囲まれてまだ構うなとか言ってるのかと、野々村の協調性の無さに沙緖里は苦笑する。
「美味しいよ?」
一瞬の沈黙、焚き火からパチパチという音だけが聞こえる。
これ以上進めたらなおのこと野々村は拒絶するだろうし、食べなかったら進めた美来もいい気はしない。
そのとき何か気がついたのか、美来はもう一つ新しい割り箸を持って来て、豚ミルフィーユ鍋のキャベツと豚肉を一つかみして皿を下にしながら野々村の口に近づけた。
沙緖里はその姿に背筋が凍りつくのを覚えた。
「・・・・・・なんのマネだ?」
俗に言う「あーん」の格好になり一瞬固まる。
筋骨隆々の髪がボサボサでワイルドな男に向かっての子供扱い。
「えっ火を見てるから手が使えないのかなって思って」
「……手ぐらい使える」
両手で野々村は美来から箸と皿を乱暴に受け取る。
そしてすぐに豚白菜ミルフィーユ鍋を口の中に掻き込んだ。
「美味しいでしょ?」
「まあな」
よかったと安心して美来は自分の分を再び口に付けた。
その隣で沙緖里はゆっくりと唾を飲んだ。これが中年を操る女子力なのか……自分にはなんだかよくわからないプライドが邪魔して絶対出来ないと沙緖里は遠い目をした。
完璧な猛獣使いの妙技を見たような気がした。
「おい、なんで手を叩く?」
松田さんが料理を足下に置いて手を叩いた。
「さあ、なんとなく」
野々村はまた舌打ちをして、胸ポケットのジャケットからスチール製の酒瓶を取り出して飲み始めた。
「いやあしかし今日こんな美味しい料理が楽しめるとは思わなかったありがとう箕浦さん」
松田はマイペースだがちゃんと礼が言えて、しゃべり方も丁寧なので野々村よりも全然社交的だった。
「いえいえ、こういう料理を持ち合うのもキャンプの醍醐味ですから」
「なるほど、そういうものなのか・・・・・・」
そう言うと松田は自分のテントに向かって行った。
そして自分のテントから青色の少し小さめのクーラーボックスを持ってきた。
「これもよかったら是非みんなで食べてくれるかい?」
そう言って松田がクーラーボックスを開けた。
沙緖里と美来が覗き込むとそこにはなんだかあんまり見たこと無い、いや写真や映画では見たことある厚さのお肉やら、氷で冷やされたエビや貝などの沢山のシーフードが入っていた。
「うわあ凄い量・・・・・・」
「ちょっとこのお肉めちゃくちゃいいお肉なんじゃないの・・・・・・」
「適当に買っておいたんだがどう料理すればいいのか考えてなくてね、良ければこれを全部使って料理してもらえるかな?」
松田が用意してきた食材はどう見ても質の良さそうな高級食材で、どんな料理をしても美味しいものになる気がした。
「あたし油持ってるからこのシーフードでアフィージョ作ります!、あと他にも何か出来るかも!?」
沙緖里はすぐに手を上げた。
「野々村さんも焼き肉用のプレートとかどうせ持ってるでしょ? 焼き肉、いやこの厚さだとステーキ? とにかくお肉焼きましょうよ」
「なんで俺が肉を焼かなきゃいけないんだよ」
「凄い、お肉食べたい」
綺麗な輝く赤身の肉の塊を見て、美来は肉にかぶりつくゾンビの気持ちが少しわかった。口を大きく開けて齧り付きたかった。
「そうだ酒も持ってきてあるんだ、赤ワインなんだか飲むかい?」
「そんなもんどうやって持ってきたんだ?」
「ああ・・・・・・今日はテント張りを知り合いに手伝ってもらって、その時に運んでもらったんだよ」
確かに野々村よりも美来よりも先にテントは張ってあった。
火を起こすのも苦労してた松田さんが、テントを一人で建てれたのか不思議だったが誰かが手伝ってくれたのなら理解出来る。
「あんた何者だ?」
「料理の仕方も分からないキャンプ初心者だよ」
薄く笑いながら松田はクーラーボックスから食材を取り出して野々村に渡そうとする。
「ったくいいかげんにしろ」
野々村は松田からの食材の受け取りを拒否した。
「俺はひとりで静かに居たいんだ、仲良くお料理ごっこなんか出来るか」
野々村は立ち上がって自分のテントに入ろうとした。
「ちょっと野々村さん、こんな美味しそうなお肉やシーフードにありつけるチャンスなんか滅多にないのよ!?」
「うるせえ、おれはこういう馴れ合いのキャンプは好きじゃねえんだ」
「もうせっかく松田さんが食材を分けてくれたのに折角の好意を無駄にするの?」
「お前達だけで好きにすれば良いだろ?」
「美味しいワインもあるって」
美来の言葉に一瞬野々村の動きが止まる。
「興味ねえ」
興味大ありねと沙緖里は思ったが、こういう風に拗ねてしまうとだいたい野々村はテントの中から出てこない。色々な人から誘われても、いつも殆ど自分のテントに引きこもって周りとの接触を避ける。
まあひとりでキャンプをしに来てるんだから無理に誘うのはどうかと思うが、折角の機会を逃すのもどうかと思う。
「ねえノーさん」
「なんだ」
美来が立ち上がって野々村のキャンプに近づく。
「ごめんなさいひとりで静かに居たいのに邪魔して」
テントの入り口に手を掛けながら野々村は美来の話を聞く。
「俺は苦手なんだ人と居るのが」
「私も得意じゃないと思う」
美来はさっきからの松田や沙緖里とのやりとりを見てると人付き合いが得意そうには見える。だが同年代の友達じゃなくてひとりでキャンプに来てるところをみると人付き合いというより友達付き合いが苦手なのかも知れない。
野々村はテントに入らないで再び美来の方を向いた。
「あのな俺は・・・・・・」
「ごめんなさい、もう一緒にご飯食べてなんて言わない」
野々村は何か言いたそうだったが、髪の毛を触ったりして落ち着かない様子だった。美来は少し下を向いて何か言いたそうだった。
何が起きているのか沙緖里にも松田にも、他にキャンプ来ている人も恐る恐るテントの隙間や木の間から美少女と野獣の対峙を見守っていた。
「俺はお前達の邪魔はしたくない・・・・・・俺のキャンプはお前達のキャンプと違うんだ」
「どう違うの?」
「おれのキャンプは孤独なんだよ」
「それ楽しいの?」
「俺にはな・・・・・・」
「じゃあもう一緒にご飯食べようなんて言わない」
そう言って美来はもう一度野々村の顔を見た。
「けどお肉だけは焼いてね。みんなで食べるから」
渓流の流れる音が聞こえる。薪が燃える音も聞こえる。沙緖里と松田、他にキャンプ来ている全ての人間の笑いを堪える音が聞こえる。
「お前は俺に肉だけ焼けって言うのか?」
「だってひとりが良いんでしょ?」
「俺のテントの前以外でやる選択肢はないのか?」
「うーん、めんどう?」
巻き込まれたのに今更どうあがいても無駄だぞと周囲の視線を感じて、野々村は遂に厳つい肩を落として諦めた。
「網焼きと鉄板焼きどっちがいい?」
「鉄板かな?」
野々村はリュックから携帯用の小さな鉄板プレートを取り出して、一言も喋らないで松田の持ってきた肉を焼いた。
そして松田の持ってきたボトルワインを一本開けて、美味しい料理に舌鼓を打つ三人の馬鹿話を至極不満そうに聞きながら肉を焼いた。
結局昼飯から夕方まで宴は続き、松田の持ってきた高級食材も全て食い尽くしてしまった。
沙緖里は名残惜しく仕事のためにキャンプ場を後にした。
顔を真っ赤にして本当にこれから仕事が出来るのかと美来は思ったが「大丈夫、大丈夫こんな美味しいもの食べたらもう明日の朝まで仕事頑張っちゃう!」っと美来ではなく松田の肩をバンバンと叩いたあと、思いっきり美来をハグしたあと手を大きく振りながら帰って行った。
美来はお酒臭いなあとちょっとやな気持ちがしたが、キャンプに来たときの疲れた顔が嘘みたいに沙緖里は楽しそうに帰って行った。
見送りながらスキップしそうなフラフラとした後ろ姿に確かに死者が蘇ったのかもと思った。
松田さんも食べ過ぎたと早めにテントの中に入っていった。ランプを付けて、本を読んでそのまま寝るつもりらしい、もう外には出ないからと買い込んでいた薪と炭を全部美来に譲ってくれた。
そしてその薪と炭を使って美来は覚えた火を起こす方法を使ってずっと火を維持していた。
焚き火をしてる場所はみんなでご飯を食べた野々村の場所で、そこでリラックスチェアを使ってずっと座っている。
そして座りながら高校進学の時に買ってもらったタブレット端末とお絵かきペンを使って絵を描き始めていた。
何を書こうか迷ったが、結局隣でワインボトル一本飲み干して泥酔してる野々村の横顔を書くことにした。
すっかり酔い潰れて、映画監督が座ってそうなColemaのリラックスチェアに身体をだらしなく預けて寝ていた。
ピクリとも動かなかったのでまるで死体のようだった。
本当にこのキャンプで死人が出てしまったのだろうかと美来は思ったが、起こすのも悪そうなほど野々村は穏やかな顔をして寝ていた。
動かすのも重いし、かといって外は寒いので放っておいたら凍えてしまうかもと思って、美来は火を絶やさないでいた。
辺りはすっかり暗くなっていて、少し雲が出てきたのか空も黒く周りも渓流の音と風で木々が揺れる音と焚き火が燃える音だけが聞こえる。
何か音楽を聴こうかなあとヘッドホンをスマフォに繋げようかとおもったが、なんとなく自然の中の音の方が良いなあと思った。
タブレット端末に電子ペンのペン先を走らせてスケッチを続ける。
なんだかこんな所まで来てやることではないような気がしたが、始めるとなんだか部屋で一人で絵を描いてるよりはなんだか楽しかった。
「うーん、なんか似ないなあ」
ペンで額を叩きながら画面を見直す。
なにかパーツが足りない気がした。
なんだろと美来はチェアから立ち上がって寝ている野々村の顔を覗き込んだ。
「あっちょっと髭があるんだ」
焚き火の暖かい光が断続的に陰を野々村の顔に作る。
ふと、無意識に美来は野々村の顎の方へと手を伸ばす。
「うん?」
美来の指先が野々村の顔に触れる瞬間に目が覚めた。
「なんだ?」
「なんでもない、なにもしてない」
「俺は寝てたのか?」
細い目尻の下がった瞳を何度か瞬きさせてから椅子の上で体勢を戻した。
美来はすぐに自分のチェアに戻った。
「火をつけておいてくれたのか?」
「うん」
「助かった・・・・・・」
そう言って野々村は周りを見渡す。
「他の奴らは?」
「沙緖里さんは帰って松田さんはテントに入った」
そうかと頷いて空を見上げた。
まだ曇ってるのか星は見えなかった。
「コーヒー飲むか?」
「うん」
少しふらつきながらも立ち上がって、野々村はテントの中から携帯の水タンクとインスタントのコーヒーのスティックを持ってきた。
足下に置いておいた火で焦げているポットに水を入れたあと、三脚ポールに吊してそのまま目の前の焚き火に焼べた。
あれだけ他人の面倒見るのを嫌がった野々村が優しくコーヒーを入れるというので美来は何か寝たことによって別の人間に生まれ変わったのかと思った。
「なんだ?」
コーヒーの準備をしながら野々村は美来を睨み付けた。
「なんでもない」
いつもの無愛想な顔を見て美来は少し安心した。
ほどなくして大きな焚き火に焼べられたポットはすぐに湯気を吐き出し始めた。
ベストから厚手の布を取り出して熱せられたポットの取っ手を持った。
「コッヘル出せ」
美来は足下にあった自分のコッヘルを差し出す。
インスタントコーヒーのスティックを野々村は放り投げる。
渡されたスティックの中身をコッヘルに入れる。
「砂糖とミルクは?」
「無い」
じゃあ要らないと言うのも何か悪いと思ったので美来はコッヘルを渡した。
そこへポットのお湯を注いだ。
「ほら」
「ありがと」
渡されたコッヘルは温かくて、ちょっと寒くなって来たのでありがたかった。
「なんだ?」
「ブラックコーヒーってあまり飲んだことない」
一瞬躊躇したあと美来はコッヘルに口を付けた。
「あっつい」
舌を出したあと美来は苦そうな顔をした。
「すぐ冷めちまうさ」
なんだか野々村は嬉しそうだった。
「松さんの持ってきたコーヒーと匂いが違う」
「あれはドリップの良いやつだからな、こんなインスタントのコーヒーと比べるな」
「あー松さんの持ってきたお肉めちゃくちゃ美味しかったね」
コッヘルを両手で持って美来は足を伸ばす。
「ありゃそうとう良い肉だ、滅多に食えるもんじゃない」
野々村も自分のコーヒーに口を付ける。
「ねえノーさんあれよりも美味しいお肉食べたことある?」
美来は特に深い意味があって聞いた事ではないが、野々村は携帯用のコップに注いだコーヒーを見ながら何か考え始めた。
「えっあるの?」
「まあな」
「どんなお肉?」
「自分で仕留めた鹿の肉だ」
野々村は銃を構えて撃つ仕草をする。
「えっ鹿を撃ったことあるの?」
「ああ」
「凄い、どこでどこでそんな事できるの?」
「日本でもあるが、一番美味しいのはアラスカだな」
「アラスカってどこ?」
「アメリカの端にある場所だ」
「端ってどのへん?」
美来は世界地図の細かい地名は覚えてない。
「北極に近いこの世の果てみたいな場所だ」
「遠い?」
「日本からだとトランジット(乗り換え)含めて二日ぐらい掛かる。そこから船に乗って狩りが出来る別荘まで行くのにまた半日ぐらいだ」
「そんなところまでなんで行くの?」
「さあな、昔は世界中の色んな所に行くのが好きだったんだ。とにかくこのクソみたいな日本から遠く離れて一人になれる場所を探して北極、南極、ヒマラヤ、砂漠、アマゾンの熱帯雨林何でも行った」
「そんなところでキャンプしたの?」
「そんな所だからキャンプしたんだ。じゃなきゃ泊まるところも無いし狼か熊に食われちまうからな」
「だからキャンプ得意なんだ・・・・・・」
大したことないと野々村は笑った。そこには自慢でもなんでもなく、旅というより冒険に近い行脚をなんとも思っていないという顔だった。
「何度か猟に行って、自分の手で仕留めた鹿をその場で解体して調理して食べた。アラスカのカリブー、まあ大きい鹿は凄く肉が締まっていて、仕留めた後すぐ食べると、今まで食べた肉の中で一番美味かった」
車より大きい動物をライフル銃ひとつで倒して食料にする。魚だって捕って食べたことのない街育ちの美来にとっては想像出来ない事だ。
「さっきまで生きていた大鹿が目の前で死体になってる、想像出来るか?」
「残酷だね」
「そうだな、でも美味かった」
「松田さんの肉より?」
「ああ確実に世界一美味いんだ、自分で仕留めた獲物の肉を自分で捌いて自分で食うのは鹿だろうと七面鳥だろうとリスだろうがウサギだろうとなんだって美味い、生きてるって感じがしてな」
「そんなキャンプしてたら私たちのキャンプなんてキャンプじゃなく見えるね」
何もないところに行って、狩猟してご飯を作って帰ってくる事と美来がやってる管理キャンプ場にテント張って買ってきたご飯を食べる事なんてオモチャを使ったおままごとに見えるだろう。
「対した違いはねえよ」
野々村は鼻で笑った。
「私も早く大人になりたいなあ、そうすれば自分で好きなように好きなことを好きな場所で出来るでしょ?」
「それは大人になる事とは関係ねえ」
「大人でも自分で好きなように好きなことできるとは限らねえからな」
「でも沙緖里さんとか松田さんとか色々出来て楽しそう」
「こんなキャンプ場に独りで来て貴重な休日を消費するのが有意義な事か?」
「ノーさんだって来てる」
そうだなとコーヒーカップを掲げた。
いちいち格好つける海外ドラマに出て来る人みたいだ。
「私も早く大人になりたい、独りになりたい」
「じゃあとりあえずひとりでテント張れて、火を起こして、飯を作れるようになるんだな」
「鹿を撃てるようになる必要はないの?」
「それは誰かがやってくれるが、日本では免許や面倒くさい手続きが必要だ」
「それは大人になるのに必要な事?」
野々村は首を振った。
「ノーさん今日は凄く喋ってる」
「美味い肉食って美味い酒飲んだら人間よく喋るようになる」
「私には用意出来ないヤツだ」
二十歳じゃないからお酒を変えないし、高い肉もお小遣いの中では厳しい。
一生懸命バイトして買うのが牛肉の塊というのもなんだか変だ。
「狩りの話でひとつだけ思い出した事がある、数年前最後の狩りのつもりでアラスカに行った」
暗闇の中、野々村は火をじっと見て話した。
「さんざん色々準備してやっと三日間だけ時間をもらった。そしたら一日目に今まで見たことも無い大きくて立派な角を持った鹿に出会ったんだ。大きい年齢を重ねた鹿ほど警戒心が強くて滅多に人の前には現れない。それが真正面でしかも風上に立っていてこっちには全然気がつかない、のぞき込んだスコープには見た事もない大きな角が写ってた、おれは引き金を引けば誰もが羨む大物を仕留める事ができる、そうおもった」
身振り手振りで野々村は熱く語る。いつの間にか美来も話に引き込まれていた。
「でも俺はまだ二日残ってると思ってその鹿に向かって銃弾を放たなかった。これで撃ったらこの最後の狩りがこれで終わってしまうと思って引き金を引かなかった」
一瞬の躊躇、野々村が撃てないのを見透かすように鹿は悠々と歩く。
「スコープに鹿を捉えながらずっと大鹿の姿を追っかけて、そのうち一瞬こっちを見てから大鹿はさっさと林に消えていった、結局三日間それ以降鹿には出会えずに最後の猟で俺は一頭も狩ることができなかった」
野々村は火を見ながらため息をついた。
「それで俺は仲間からは絶好の獲物を逃したバカヤロウだって散々馬鹿にされて、日本に帰ってきた」
野々村はコーヒーが空になったコッヘルを覗き込む。
「時々あのアラスカの鹿の事を思い出す。今日みたいな星空の下、ひとりで出会った俺を最後に見た鹿の事をな」
ふと頭上を見上げるといつのまにか雲が抜けてキャンプ場の上には星空が広がっていた。
「なんで私にその話してくれたの?」
「お前はなんだかあの逃がした鹿に似てる」
「まだ酔っ払ってるの?」
「だろうな、じゃなきゃ他人にこんな話はしねえ」
そう言うと野々村は今日初めて大笑いをした。
初めて見た野々村の笑い方は口を大きく開けて、上半身を大きく揺さぶってなんだか映画に出てる人みたいだった。
その後は特に話もせず焚き火を消してお互いのテントに入った。
美来は寝袋に入っても寝るまで野々村が見たという鹿の事を考えてた。
そして本当に獲れたての鹿の肉は今日食べた松田が持って来た高級な牛肉より美味しいのかと考えたが、お腹が鳴ったのでそれ以上は考えるのは危ないと思って寝袋の中に深く入り込んだ。

翌朝、美来は日の出の前に目が覚めた。
キャンプに来ると太陽の日の出、日の入りのリズムで起きてしまうから不思議だ。上着を着てテントの外に出ると既に野々村が火を熾していた。
「ノーさんおはよう」
野々村は軽く手を上げてくれた。
手にコッヘルと歯ブラシを持って管理事務所にある炊事場へ向かって洗顔と歯磨きをする。
うがいをしながら、昨日よく喋った野々村はやっぱり別人だったんじゃないかなど考えた。
テントに戻ってくると昨日と変わらない姿で野々村はお湯を沸かしてコーヒーを飲んでた。
昨日みんなで焚き火を囲んだままになってたので美来が持って来たリラックスチェアもそのままだった。
一瞬考えた後、恐る恐る自分の椅子に美来は腰を下ろした。
「おい、飲むか?」
「コーヒー?」
昨日と同じ市販品のインスタントコーヒーのスティックを渡す。
自分のコッヘルにスティックの中身を入れて、野々村に渡してお湯を注いでもらう。
昨日は美味しくなかった。なんだか朝一番に飲むコーヒーは目が覚める感じがして、寒さもあって身体が温かくなって美味しかった。
「隣に座って怒らないの?」
「好きにしろ」
長髪で顔が隠れてよく見えないが、野々村はもうあんまり怒ってないらしい。
「朝から火起こしするときって気をつけることあるの?」
「地面に薪を置きっぱなしにすると地面の湿気にやられて火が付きにくくなるから、焚き火の近くに立てて乾燥させておいた方が良いかもな」
「ふーん、やっぱりガスコンロ欲しい」
「まああって損はしねえ」
普通に会話してるなあと美来はなんだか変な感じがするなあと思った。
その時テントのジッパーが開く音が聞こえて来た。
「あっ松田さんも起き・・・・・・」
美来が言葉に詰まったので、興味なかった野々村も松田のテントの方を向いて細い目を大きく見開いた。
二人が驚いたのは松田が着替えをしていたからだった。
昨日の厚手のオーバー姿とは全く違う、ピッタリと身体のラインにフィットした細身のスーツ姿、胸ポケットにはしっかりとスカーフまで添えられていて、キャンプとは真逆のピッチリとしたフォーマルな姿、いつの間に髪を整えたんだろうと思うくらい頭の先からつま先まで、足下も茶色の革靴を履いて完全なビジネスマンスタイルだった。
「やあおはよう」
松田の挨拶に美来も野々村も絶句していた。
「流石に寒いか・・・・・・」
テントの中に入って昨日着ていたオーバーを上から羽織る。
そして自分のコップを持ってゆっくりと野々村と美来の焚き火に近づいて来た。
「あんた何者なんだ?」
「お湯も沸かせないキャンプ初心者だ」
そう言って自分の持って来たドリップコーヒーの元を用意して、カップに装着する。
野々村は驚きと呆れた顔をしつつお湯を注いだ。
流石にインスタントコーヒーよりは良い匂いがするし、その抽出を長い足を組んで待ってる松田の姿と野々村の対比は偉い人と使用人のような対比で見えた。
「ありがとう、昨日から何から何まですまない助かったよ」
カップに注がれたコーヒーに松田が口をつける。
「そうだ、これももう使わないから置いていこう」
そう言ってオーバーのポケットに入っていたドリップコーヒーのパックが入った袋を野々村に渡した。
「すがすがしい朝だね」
松田は顔を上げて周囲を見渡す。
そして何かに気がついて手を上げる。
するとキャンプ場の管理小屋の方から松田と同じスーツを着た男性と女性がぞろぞろとキャンプ場に入って来た。
「社長、準備は?」
「ああ問題ない」
何人もの人間が急いで松田のテントを解体して出掛ける準備を始めた。
作業分担が決まってるのか、誰一人言葉も殆ど喋らず撤収準備を終えた。
「キャンプ場の下にお車を待たせてます。飛行機まで時間もありませんのでお急ぎください」
「コーヒーも飲む時間も無いのか?」
「お急ぎください」
松田は首を振ってもう一口だけコーヒーを口に含むと、カップを声を掛けたスーツの男に手渡した。
「野々村くん、美来ちゃん、本当に世話になったね、ありがとう」
背筋を伸ばした松田が頭を下げる。
同じように他のスーツ姿の人達、松田の部下も野々村と美来に向かって頭を下げた。
「最高の気分で大事なプレゼンに挑める。キャンプは実に楽しかった」
手を広げてキャンプ場の新鮮な空気を吸い込んだ後、朝のスーツを襟を正して松田は歩き出した。
「では、また機会があれば一緒にキャンプを」
そう言って松田が歩き始めると、荷物を持った部下がぞろぞろと後に続いてチリ一つ残さずにキャンプ場を出て行った。
「ねえノーさん」
「なんだ」
「大人って大変なんだね」
「ああ、アレが大人だ」
なぜ松田がこのキャンプ場に独りで来たのか本当の理由は分からないし、昨日の沙緖里も忙しい合間を縫ってこのキャンプ場に態々ただご飯を作りに来た。
ただ本人達は来たときよりは少しだけ生き生きとしていた。
ちょっとだけ人が居なくて、小さな渓流があって林に囲まれてる、そんな中でテント張って焚き火を囲んで持って来たご飯を食べる。
それだけでなんで生き返ったように生き生きと帰っていくのだろう。
考えながらコーヒーに口をつけて、そういえば苦手だったブラックコーヒーが飲めるようになってた。
「ノーさん、昨日話してくれた大きな鹿の話」
「なんの話しだ?」
「狩りに行って最初の日に会って、そのまま逃がしちゃった話」
そんな話したか?っと野々村は話した事を忘れていたようだった。
「山の中で鹿に会えて良かったね」
美来はコッヘルを持ちながらボサボサの髪のまま野々村に声を掛けた。
「肉には会えなかった」
「そこは残念だったけど、美味しいお肉はキャンプしてると偶に食べられるんじゃない?」
「そんなに美味い肉にはありつけない」
「私は三回目で食べられた」
「次また肉に会えるかどうかなんて分からないぞ?」
「また会いたいな、お肉」
「じゃあまずは自分でテント張って火起こして料理作れるようになれ」
そう言って野々村はふと気がついた。
「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」
聖書の一節を野々村は口にした。
「意味分かるか?」
野々村の問いに美来は首を横に振った。
「俺も分からん」
野々村は十字を切って火に薪を焼べた。


END

あとがき

ノーマン・リダースとマッツ・ミケルセンがキャンプしてたら面白いのかなあって思って書きました25000文字ぐらい。
キャンプは行ったこと無い。

さわだ


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