祐天寺駅に向かう坂道で
こんにちは。今回は少しプライベートの事になりますが、私と祐天寺の思い出を書こうと思います。
私の母の実家が祐天寺駅からほど近い場所にあり、私が小さい時からよく祐天寺に行ってました。最近というか、たまに私の頭に祐天寺にあった自転車公園からの父との帰り道の映像が浮かびます。
この自転車公園は祖父の家の近くにあり自転車の貸出をしていて乗って練習できる公園でした。小学生だったある日、私は祖父の家に行った際に父とその公園に行き、途中で喧嘩をして帰ってきたのです。私の父はちょうど5年ほど前にがんで亡くなったのですが、私が大学生の頃から単身赴任で長野にいました。55歳で早期退職して、一旦神奈川には戻りましたが、長野の方が肌に合うといい、その後ずっと長野におりました。うちは両親が仲が悪く、正直父との関係も思春期を過ぎたあたりから、あまりよくなく、途中から離れてくらしていましたが、父が入院してからも頻繁にお見舞いにいっているわけではありませんでした。5年前に亡くなった時もそこまで重症ではなかったのですが、お見舞いに行こうとした日の前日に突然体調が急変し亡くなってしまい、なんだかあっと言う間にお葬式が終わり、泣く暇もなく、色々な事が飲み込めなかったのを覚えています。
でも、式等が終わり、家に帰ってきて友達に電話をしていたら、なぜか祐天寺の自転車公園の帰り道、父と喧嘩して私の後を少し距離をあけてついて歩く父との光景が浮かび私は泣いていました。当時の記憶をあまり詳しくは覚えていませんが、拗ねていた私は、怒って先に帰り、父が後ろを歩いてきたのだと思います。その後、拗ね続ける私に父は呆れて怒ってしまったのですが、先に謝ればよかったと思った記憶があります。多分、それは後悔なのだと思います。
祐天寺の祖父は牛乳屋を営んでおり、店前にアイスボックスがありました。家族で夏休みになると遊びに行き、兄と二人で外で遊び疲れた後、店の外から「おじいちゃん、アイスもらうね〜」というと、家の中から「いいよ〜」という返事が帰って来るのが恒例でした。その祖父も10年ほど前に亡くなりました。
祖父の家の近くに同年代の従姉妹もいたので、一緒によく遊んでもらいました。従姉妹は遊び上手で、いつも面白い遊びを考えてくれて、一緒に劇を作って演じたり、近くの道を探検したりしました。その従姉妹も私が中学生の時に亡くなったので、なんだか、いつも祐天寺にいくと色々記憶が蘇ります。
祐天寺にはいい思い出も沢山あるし、どちらかというと亡くなった人との思い出が多いです。祖父の家も建て替えてお店はなくなったし、その公園も従姉妹と探索した細い道ももうありません。そしてその光景もその事実も知らない息子とその場所に行くと、また違う気持ちになります。私は今を生きているんだなと。祖父の家から祐天寺駅に向かう坂道の途中、心が弱い人だったけど優しかった父、よく遊んでくれた従姉妹達、いつも笑顔だった祖父、皆に支えられてここにいる私は、少しせつない気持ちになります。そして同時に強く優しくちゃんと生きていかねばと思わされるのかもしれません。
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