自分の人生に必要な人は,一度見失っても必ずどこかで巡り会える

例によってそのままです。
自分の人生に必要な人や,相手の人生に必要な人は,たとえ一度見失っても,縁が切れても,必ずどこかで巡り会えるんじゃないか,というお話。

私の友人の中には「中学の同級生」という人が何人かいる。
私が30だとして,「中学の同級生」と聞くと13歳からだろうから,17年。
「ずいぶん長い付き合いになるんですね」と返したくなるが,そこは沢田,そんなことはない。

私の友人の中で「中学の同級生」と呼ばれる人たちは,全員,中学校の卒業式で縁が切れている。
それでも,これまでの人生のどこかで,また巡り合った。
反対に,同様に卒業式で縁が切れている「高校の同級生」とは,家がかなり近い人がいるにも関わらず,どこでも巡り合っていない。
世界は狭い,とはよく言うけれど,多分,もう一度巡り会えたということは,何かしら意味があるのかもしれない…というお話をまとめました。

バイトをしていたらばったり会った

私は音楽に縁があって,プロのオーケストラの裏方のバイトをしていた時期がある。
その時,たまたま演者さんへの差し入れに…と来たのが中学の同級生だった。
「え?マジ?ツバキ?本物」
「そうそう,本物」
「えーそんなことある?」
「あるみたいだね」

それからは一緒に野球を観に行ったり飲みに行ったり,ドライブデートをしてみたり。
ついこの間まで,毎日毎日電話で話を聴いていたけれど,仕事に追い詰められて辞めてしまったので,今は毎日ではなくなった。
ただ,今でもなにかあると真っ先に連絡をくれる。

「いろんなことすぐ言えるような人って少なくてさあ…」と言っていて,ああ,そうなるために巡り合ったんだな…と思った。

街で買い物をしていたらばったり会った

大学生の頃だったと思う。
街で買い物をしていて,「さわちゃん?」と声をかけられた。
中学の同級生だった。
卒業してから約10年。
よく気づいたな,と思った。

当時着ていたファッションはほぼ真逆を行っていたけれど,この頃にはお互いKERAに載っているような服を着るようになっていて,ファッションの話題で盛り上がった記憶がある。
私は今は和装中心になってはいるけれど,特に関係なく,一緒にお買い物に行ったり,カフェでのんびりしたりしている。

ちなみに今,彼女はネイリストを目指していて,私はそのハンドモデルをしている。
彼女いわく,透明度が高くてきれいな爪らしい。
爪の横幅が広い,いわゆる男爪というやつなんだろうと思っていてすごく嫌な手だったけれど,彼女のおかげで私の手はいつも綺麗に整えられている。

SNSに偶然現れた

この時代ならではだと思う。
最近,中学すら通って卒業するのが難しい状態だったことが判明したので憶えていることだけになるが,私は中学時代,この子にずっとお世話になっていた。
家では当然まともなことを教えてもらえなかったので,彼女が中学時代ずっと,それこそ親のように,家事や生活に必要なことを教えてくれた。
友人としてもとても親しくて,一緒にカラオケに行ったり,プリクラを撮った記憶がある。
おそらく彼女抜きに中学時代のことは語れないほどだと思う。
そんな友人とどうして中学卒業を機に縁が切れてしまったのかは,本当に分からない。
それでも中学卒業以来,当然のようにずっと彼女を探していた。
会いたいといえば,当然会いたいけれど,探して何をしたいわけでもなかった。

本当に偶然だったんだと思う。
Twitterに突然それらしい人が現れた。
誕生日も名前も一致していて,ああ,間違いない…と思った。

私は例によって中高生の記憶の一部が欠落している。
(とは書くものの,誰かが持っていってしまった,と言ったほうが正確だな…といつも思う)
あんなに仲が良かった記憶があるのに,縁が切れた理由が欠落しているピースに眠っていたら…?と今では思うが,そんなことでうだうだ言う子ではなかったと思うので,思い切ってフォローした。

彼女の返事は「もう一度会えるなんて!」だった。
それから何時間かわからないほどメッセージを交わして,今こんな感じよ〜なんて写真が送られてきた。
私は何も考えずに「綺麗!」と送ったのだが,
「100万回の『いいね』より,あなたの『綺麗』が宝物」
と返ってきたのが,すごくすごく,嬉しかった。

ちなみに彼女は,私と再会して以来,会いたかった人との再会が続いているそうで,「女神かなにかかもね(笑)」と言ってくれた。
そんな大層なものではないけれど,彼女にとってそうだったなら,本当に嬉しい。

相手の人生にとっても,自分が必要なのかもしれない

他にも再会した人はいるのだが,この3名に共通して言えるのは,その子の人生にとっても,自分が何らかの影響を及ぼした可能性があるということ。

バイト中に再会した子にとって私は,仕事の悩みを打ち明けられる人になれた。
街で会った子は,ネイリストになるための試験で私の手が必要だった。
SNSに現れた子は(ただの偶然で私の力ではないのは明らかだけれど),私と会ったのをきっかけに,ずっと探していた他の人と会ったり,なんだか幸せなことが増えたみたい。
彼女は,私が彼女がやっているとあるゲームを始めたと知っただけで嬉しくて仕方がない!と言うくらい,相変わらず,私を愛してくれていて,なんて幸せ者なんだろうな…と思う。
たまたま同じゲームを始めただけでこんなに喜んでもらえるのだから。

なので,私にとって必要だったのはもちろんだけれど,相手にとっても,自分は何かしら必要だから,こう言うと安っぽいけれど,運命が巡り合わせたのだと思う。

それでも会いたい人はたくさんいる

高校時代友人だった人とも,私は今でも会いたいと強く思う。
すごくひどいことをした記憶がうっすらあるというのに。
それでも会えていないということは,口に出すのは悔しいし辛いけれど,まだ人生に必要のない人だということなのだと思う。
もちろん,この先生きていれば,何らかの形で会うことになるかもしれない。

だから,せっかくまた巡り会えた縁を大事にしながらも,また巡り会える日を待ち続けようと思うのだ。

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