「大造じいさんとガン」〔鶴田教授のご講演から⑦〕(2018年3月4日)
「大造じいさんとガン」は小学5年生で扱う教材です。
この教材の授業実践の動画を見て、ここまで抱いていた私の疑問が解けました。――自分の生活環境とはかなりかけ離れた状況についても、「理由づけ」は可能なのかというものです。
「大造じいさんはなぜ残雪を撃たなかったのか」――これがこの教材で、児童に与えられたテーマです。動画の中で語っていた子は、クラスメイトを自分の〝たとえ話〟に登場させたりして、自分の生活の中での想像が及ぶ範囲でありながら、大造じいさんと残雪の関係や、人間としてのあり方などを生き生きと説明していきます。
○テキストを根拠にしつつ、子どもの既有知識や生活経験に基づく類推(アナロジー)による理由づけ。
○残雪の行為は子どもが素手で暴漢に立ち向かっていくようなものである。しかも、自分の友達ならさてき、自分の敵である人間を救おうとするだろうかという問題提起をすることによって、残雪が普通の人間以上の存在であり、それを卑怯にも狙っている大造じいさんは「鳥以下」ということになる。
○子どもたちが具体的考え、具体的に語るとき、その主張は論理的になっていく。
中学3年生で扱う「故郷」(魯迅)では、「上下関係・身分差の問題」をとらえる点で困難があります。それでも「生徒の既有知識や生活経験に基づくテキストの解釈・推論」に加え「共有性の高い身近な経験に基づく類推」という、先の「大造じいさんガン」の事例と同じ構造で理解を促せるという指摘がありました。
〝そんなのわからない〟という子どもには、〝たとえ話で説明してくれればいいよ〟〝なるべくみんながそれならイメージできるというたとえを考えてみてね〟といった声掛けが有効なのかもしれません。
こういう人たちがいて、こういう状況に陥ったら、こんな行動をとって、こんな気持ちになる(こんな気持ちになって、こんな行動をとる)……といったように考えるように導けばいいのだと思うと、方向性が見えてきました。(次回に続く)
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