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異端宣言~私は私以外の何者にもなれない~(2021年5月22日メルマガ)

 おはようございます。ぐずつく天気が続きますね。私の叔母は雨の日が嫌いでないと言います。レインコートを着こみ、長靴をはいて雨の中を出ていく姿が、子どもの頃の私の目に焼き付いています。

 さて今日は、嘘のような本当の〝自分自身〟についてのお話です。

 私は変な子どもでした。座学はそうでもなかったのですが、体育、音楽、図工といった実技科目で、見本のよう作るとか真似してそのままするとかいうことが非常に困難でした。

 実技科目が人並み以上にできないというのは、苦痛でしかありません。

 座学であればできなくても周囲にはそこまではわかりませんが、実技科目はできないと〝モロバレ〟状態で、非常に恥ずかしい思いをします。だから一生懸命練習もしました。ですが、怒られても、根気強く説明されても、本当に〝わからなかった〟のです。

 現在私が展開しているSNSやYouTubeの見てくれの悪さ、発信している内容のウケなさ……それじゃバズらないから、数稼いでいる人の真似をすればいいと言われても、したくないとかいう問題ではなく、何を真似したらいいかまったく〝わからない〟からできないのだと最近気づきました。

 そんなバカなと思う方もいるかと思うのですが、本当の話です。

 人生最悪のブラック勤務の時、ある日、私はとうとうブチ切れました。

 〝わからなきゃ聞けばいいだろ〟と、経営者一族の中でも最も合わなかった一人に言われ、〝コイツ、何言ってんだろう?〟と思った理由が今さらながらわかりました。ーー聞いてわかったら苦労しない。

 彼らもズレていましたが、決定的なのは、まったく論理的かつ道徳的には物事を進めず、自分たち自身の思いつきや見た目の良さで事を進める人たちでした。そういうものは、思考(論理とか道徳はこちらに属し、多くの人の間でも擦り合わせがしやすいものだと考えます)以上に身体感覚に根付いていて、私が子供の頃から実技がまるでダメだったことが、この決裂におおいに影響した気がします。

 私の美的感覚や価値観は、世間一般とはおそろしくズレているのではないかと、ここ数年の間ずっと、痛い思い、嫌な思いをたくさんして、やっと思い知ったという感じです。

 そうでありながら人並みでありたいと、無理に自分でないものになろうとした涙ぐましい努力による組織での〝社畜〟人生23年は、心身ともに限界だったのだと思います。でも、まさかそんな……と思いますよね。あまりに意外過ぎる真相なので、自分自身の人生にとっては本当に大事なことでありながら、これに気づくまでに人生の半分を費やしてしまいました。

 また、最近の自分のキーワードは「異端」です。

 「異端」の響きは良くないですが、「正統」ではないというだけで、歴史や伝統がないというわけではありません。

 「正統」は大体において権威や権力に支持され、ある対象が本来持つ力を整え、結果的に骨抜きにします。「異端」は反権威・反権力の中にあって、対象となる何かがほぼむき出しのままに扱われ、とてつもない力を持っていることが多いです(それゆえに「異端児」は組織に属せず、反体制的存在(多数ならば勢力)になるのかもしれませんが……)。

 イカサマ、ペテン、詐欺の類と違うの……?と思われるかもしれませんが、それらはお金が基準、弱い者には強く出るが強いもの(権威や権力)にはおもねるといった傾向と、そうでなくても一般的に品がない(歴史や伝統が欠落していることが多いので)といったところで見極められます。

 歴史や伝統、および論理を解さないわけではなく(むしろ好きで)、人の真似ができない私は、異端児になれる可能性はおおいにあるではないかと、子どもの頃から人と違う自分を情けなく思ってきた呪縛からやっと解き放たれるかもしれないと、近頃はひそかにそんな自分に自分で期待しているのです(笑)。

 叔母が雨の日を嫌いでないように、あなたの感覚はあなただけのものなので、無理に周囲に合わせて押しとどめることはないのです。ただ、雨が嫌いでないくらいであれば大きな問題は生じないのかもしれませんが、私のようにそのブレが強いほど〝同志〟を見つけるのは難しくなり、孤立を恐れて時には、あるいは長いこと、自分をまげて過ごしてしまうのだという思いを新たにしています。

 ーーですが、人生はいつだってあなたがあなたであることを求め、待ち望んでいます。ーー

〔原題「ほかのものにはなれない、異端でありたい。」〕

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