見出し画像

GWは実家の自室の断捨離をする(note書き下ろし)

 私は、片付けが苦手、物が捨てられない、そして、就職してからは仕事に追われる毎日で、いわゆる汚部屋の住人でした。

 二十年くらい一人暮らしをしているのですが、その部屋については、生活が変化したこの数年でだいぶ整理できました。

 ところが、実家の自室は、職場を変えるたびに前の職場から持ち帰った荷物を段ボールのまま置いておくということが長く続きました。もともと小中高生の頃のいろいろな物も雑然と置かれていた部屋でしたが、それに加えて私の仕事の関係でものすごい量の本や書類がただ放置されているような状態となり、ほこりとかびが充満する魔窟と化してしまっていました。

 YouTubeで、ゴミ屋敷やモノ屋敷の清掃や片付けの動画を見ると、実家を出た子どもたちが自分の物を置きっぱなしにして家を出たり、実家を物置がわりにしているケースが少なくありません。動画に登場する親御さんたちは、物を捨てられない世代であり、年をとって以前のように活動できなくなっていて、子どもたちの残した荷物が生活の質を著しく低下させ、時には障害物となって安全面まで脅かしているのに驚きを隠せませんでした。

 私自身も、こうした動画に登場する方たちのように年をとった時に、汚部屋をまったく自分に関係のない人たちに片付けてもらっている図が浮かんで(独身なのでかなりの高確率でそうなる…)以来、終活を兼ねて毎週末、実家の自室を1時間でも片付けるようにしています。

 今住んでいる部屋がある程度目途がついた数年前から、実家の自室にも取り組んでいますが、なかなか大変な作業です。思い出や思い入れのある物も多いので、手放すのには気持ちの踏ん切りが必要です。

 しかし、ここへ来てひとつ大きく意識が変わったのは、本や紙類です。本については、ジャパンナレッジで閲覧できるものと図書館に置いてあってリクエストをすれば数日で手元に届くような本は、積極的に手放しました。また、紙類というのは何らかの情報が記されているわけで、本同様にジャパンナレッジや図書館、そしてネットで得られる情報が記載されているだろうものは、どんどん処分しています。

 さらに、本についていうと、これもあったほうがいいなというので買ったまま読んでいないもの、周囲の人と話を合わせるため、あるいは、人にすすめられて買ったものばかりで、残された時間も見えてきている自分にとっては、それらはもはや必要ないであろうと思われました。本に限らず、人からもらった自分の趣味とは合わない物はたくさんあり、それらを使うこともなくいつまでも所有するのも、あまり良くないというのに最近気づきました(使っていなくても物は劣化するので、使ってもらえる人に譲るのが良いという考えに変化しています)。

 片付けを決意した当初に比べればだいぶ整理されてはきたのですが、まだまだ先は長いです。しかし、実家の自室を断捨離をすることで、本当に自分にとって価値あるものが、新しく手に入れたものや最新の情報に限らないことに気付かされています。先に記したような本を手放して空いた本棚には、小学生の頃に何度も何度も読んだ本を居間の本棚から移して来たり、また、亡くなった祖父の集めていた郷土史の本を父の実家から持って来てもらって入れています。

 一方で、実家の自室の断捨離には、自覚のないストレスも感じているようです。あまり詳しくは書きたくないので抽象的な書き方になるのですが、モノ屋敷というのは、自分のものではない価値観とか他人のネガティブな意識みたいなものが、モノを通じて自分の内面を侵食してくるのです。だから、GWで自室の片付けはだいぶ進んだものの、毎日そのような空間に身を置くというのは、自分ではわからないうちに負担があったようです。

 もちろん、子どもだった昭和の最後の時代、デパートや専門のお店に並んでいた素敵な物を、家族や友人が記念日などにプレゼントしてくれたのはとても嬉しかったです。しかし、バブル時代以降、必要のない物までが次々と家に入り込んで、物を捨てられない我が家ではそれらがそのまま居座ってしまったと感じています。しかも、価格が安いこと、質よりも量がもてはやされるようになったという実感があります。昭和の物は、素材や作りがしっかりしているので、今またリバイバルで使ったりしている物もありますが、そこには価値が置かれなくなっている気がします。

 残る人生を豊かに生きるにはどうしたらいいだろうかと、物と対話する日々が続きそうです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?