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昔ばなしの中の美術(2018)

昔ばなしの中の美術
Saven Satow
Mar. 31, 2018

「画龍点晴」。

 昔ばなしは前近代の民衆の集合知識の表象です。そこには現代と大きく環境が違う彼らの考えがあります。美術に関しても、民衆がどのような見方をしていたのかが昔ばなしに反映されています。美術史上の名作がいかに評価されてきたかは史料を読みこむことで理解できるでしょう。しかし、地方を含め民衆が美術というものの良し悪しをどんな基準から捉えていたのかは知るのは容易でありません。昔ばなしはそれを推測する際の参考となり得ます。

 昔ばなしに登場する美術は限られています。牛や馬、鹿、猫、カエル、カラスなど身近な動物の彫刻・絵画に、人物画・幽霊画です。風景画はありません。絵画は掛け軸が多く、屏風絵や絵看板、絵馬などもあります。名人作はあるものの、美術史で論じられる作品はあまりありません。

 昔ばなしにおいて神仏の彫刻や絵画は美術ではなく、信仰の対象として扱われています。また、浮世絵の昔ばなしはありません。これには昔ばなしが世代間の語り継ぎだという理由もあります。いずれにせよ、民衆にとっての美術の範囲や接触する機会がここから想像できるでしょう。

 落語『応挙の幽霊(幽霊の酒宴)』に幽霊画を探し求めて骨董品屋をめぐり歩く旦那が登場します。ですから、自分で出来不出来を判断したり、世間の評判に影響されたりするなど実際の個々人はそれぞれだったと思われます。個別の事情はともかく、昔ばなしから伝わる民衆の美術についての評価基準はリアリティです。描かれたり、彫られたりした対象物が今にも動き出すと錯覚させる現実感のある作品をよいものとします。もちろん、鳥取県の『絵姿女房』が示す通り、前近代において絵画は写真の役目も果たしています。けれども、芸術性は現実の転写にとどまらず、対象物が魂や命を持って動き出すような驚きを与えることにあります。

 昔ばなしに登場する美術品は美しいと評されることがあまりありません。人々はそれを見事と驚いています。美しさという主観的な判断よりも、驚きを他者と共有して評価の共通認識が形成されています。驚きは具体的対象から喚起される感情です。それを媒介することで人は他者と意識を共有できます。前近代は個人主義ではなく、共同体主義が前提です。そのため、民衆にとっての美術の評価も美しさでなしに驚きに基づくのです。

 民衆のリアリティの認識は現実の再現だけではありません。美術を扱った昔ばなしでは、絵画や彫刻の存在が実際に動いたり、実体化したりします。それは悪さをしない場合とする場合との二つに大別できます。この両者はメッセージが異なっています。

 悪さをしない場合には、金銭欲や名誉欲など欲への戒めがこめられています。金銭欲が宮崎県の『エビとカラス』、名誉欲は栃木県の『千駄塚』がそうした例です。こういった昔ばなしに接すると、美術品が富裕層の間で高額で取引されたり、巷で評判になると人が集まったりする状況が地方でも珍しくなかったことがわかります。

 また、名人が主人公のお話もこの部類に入れることができます。巨勢金岡が登場する和歌山県の『筆捨ての松』、左甚五郎と狩野法眼が対決する兵庫県の『馬比べ』がその例です。いずれも腕比べのお話ですから、欲に対する戒めがこめられています。

 一方、悪さをする場合は民衆の美術の見方をよく物語っています。こうしたお話では、実体化しないように美術品に細工が施されます。群馬県の『あばれ絵馬』は日本一の絵師が描いた絵馬が実体化して村の畑を荒らすお話です。絵師が手綱をつけ、杭に縛りつけられた姿に加筆すると、馬が絵から飛び出ることがなくなっています。また、福井県の『あやしい牛』は左甚五郎作の木彫りの牛が福井の街を夜な夜な暴れ回ります。牛飼いの老人が彫刻の両眼と前足にノミで傷を入れて事態を収拾しています。

  こういったお話は民衆が自然そのものではなく、人間によって加工されたものが美術だと認知していたことを明らかにしています。しかも、その作為の意味も伝えています。

 この悪さをする動物たちは人間にとって身近です。美術と無関係なお話では、化け猫などを除くと、悪く扱われることがあまりありません。家畜として飼育されたり、農耕・運輸の手段だったり、家や食べ物を守ったりしますから、概して、よい動物として登場します。

 しかし、美術が実体化して暴れる動物は、人によって管理・制御されず、野生化しています。そうした動物は人間にとってよきものではありません。人間に飼い慣らされてこそ、動物はよく評価されるのです。

 野生の暴れ馬が名馬ではありません。人間に調教されて指示に従った上で、その認知行動の能力を高く発揮する馬がそう呼ばれます。そんな名馬はそれが姿形や仕草にも表われていると見事さも讃えられるのです。

 先に戒めの例として挙げた『筆捨ての松』に、実は、こうしいた自然と人間の関係についての死さがあります。それは次のような物語です。

 巨勢金岡(こせのかなおか)と言えば、都で知らぬ者がいない絵描きの名人です。小品・大作のどちらも見事です。花の絵から香りが漂ってくる気がします。また、10畳ほどもある紙に描いた虎は今にも吠え出しそうです。人々は金岡の絵を競うように大金を出して買い求めています。金岡に適う絵描きなどこの世におるまいという世間の評判を耳にして彼は一人悦に入っています。

 ある日、金岡は那智の滝を写生するために旅に出ます。その途中、藤白峠で海岸を見入っている時に、魚の入った盥を天秤棒でかついだ7、8歳の男の子と出会います。

 金岡がどこへ行くのかと尋ねると、小僧は熊野から藤白に魚を売りに行くと答えます。小僧もどこへ行くのかと聞いてきたので、金岡は那智に絵をかきに行くと言います。それを耳にした小僧は自分も絵が大好きで、毎日、地面に棒で描いて遊んでいると明かします。

 小僧は金岡に筆と紙を貸してくれと頼みます。弟子はその態度に腹を立てますが、金岡は小僧の求めに快く応じます。弟子は、渋々、馬の鞍につけていた大きな筆を神と一緒に小僧に渡します。金岡は、この大きな筆で、人々を前に大作を描くパフォーマンスを得意としているのです。

 そう簡単に描けるものかと高をくくっていた金岡ですが、小僧の鶯の出来栄えに息をのみます。小僧は金岡を描き比べに誘います。金岡はそれに応え、烏を描いて見せます。

 すると、小僧は絵の鳥を飛ばせようと金岡に言います。戸惑う金岡を尻目に、小僧が手を一つ打つと、鶯が絵から羽ばたいていきます。次は金岡の番ですが、手を打っても、烏はピクリとも動きません。ところが、小僧が眉を動かすや否や、烏は絵から飛び立ちます。

 烏は峠の松の枝でさえずっていた鶯を追い払います。それを見た金岡は自分の烏が小僧の鶯に勝ったとはしゃぎます。自分の描いた絵に敵うものはないと息巻きます。

 小僧は、そんな金岡に、抜け出した鳥を絵に呼び戻そうと持ちかけます。小僧が手を二つ打つと、鶯は絵の中に舞い戻ってきます。次は金岡の版ですが、手を何度打っても烏は松の木でカーカーと鳴いています。もう待っていられないと小僧は去っていきます。

 その直後、烏がさらに松の木に集まり、そろって鳴いて、金岡を嘲笑します。烏たちは、いくら名人であっても、熊野権現様の化身に敵うはずがないと金岡に明かします。あの小僧は実は熊野権現だというわけです。

 それを知った金岡は、カッとなり、持っていた大きな筆を松の根本に投げ捨てます。自分の描いた烏に笑われるとは無念と悔しがります。けれども、思い上がった自分をたしなめるために、熊野権現様が現われたのだと反省します。

 その後、都に帰った金岡は二度とおごることなく、絵の修業に励んだとされます。名人と言えど、おごり高ぶってはならないという戒めから、金岡が筆を投げ捨てた松を「筆捨松」と呼ばれるようになったと伝えられています。

 この物語は戒めがテーマです。ただ、美術が自然そのものであるようなリアリティを追求したとしても、それを自在に扱うことができないという前提があります。飛び出した鳥を絵に呼び戻すことは人間にはできません。それは神仏のなさることです。人間にとって自然そのものは扱う領域ではないのです。

 これが民衆の美術についての評価基準です。美術にはリアリティが大切です。けれども、その際、自然のままではなく、人間の手による加工が要ります。よい動物が野生でなしに人為に統制されたものであるように、よい美術もそういった作為があり、それが芸術性の基準です。

 近世に入って、地方でも民衆は長者や庄屋、お寺などで美術に触れる機会を得ています。昔ばなしからその状況が伝わってきます。もちろん、それは美術史上の名作・傑作ではなかったでしょう。しかし、そういった美術に触れながら、民衆は教養がなくてもわかる評価基準を自分たちなりに形成していったと考えられます。素朴な見方ですが、芸術性に基づいて美術に親しんでいたことは伝わってくるのです。
〈了〉

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