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ジェネレーションXの時代、あるいはカスタマイズとコミュニティ(2)(2008)

第3章 ビデオ・ゲームの歴史
 今日のビデオ・ゲームのアーキタイプは、1958年にアメリカのブルックヘイブン国立研究所でウィリアム・ヒギンボーサム(William Higinbotham)が考案した「テニス・フォー・トゥー(Tennis for Two)」である。これはオシロスコープに表示される2人用のテニスゲームで、彼は各研究の合間の気晴らしになればとシャレで開発している。所員の間で好評となったが、冗談に特許は野暮とばかりに、平和研究で知られるかの偉大な物理学者はどこかに申請することはしない。この決定により、ビデオ・ゲームはオープンにつくられていくことになる。

 1960年代に入ると、理工系の学生が、1910年生まれの先駆者同様、お遊びでゲーム・ソフト開発にとりくみ始める。62年、MITの学生マーティン・グラーツ(Martin Graetz)やスティーブ・ラッセル (Steve Russell)、ウェイン・ウィッタネン(Wayne Wiitanen)が研究室のコンピュータ上で「スペースウォー(Spacewar!)」を制作し、大学生たちの間で話題となる。72年、マグナボックス社が世界初の家庭用ビデオ・ゲーム「オデッセイ(Odyssey)」を発売する。同年にノーラン・ブッシュネル(Nolan Bushnell)が創業したアタリ社は、75年にはテニスゲーム「ポン(Pong)」をリリースし、単体で15万台も売れるビデオ・ゲーム初のヒット商品となる。

 ゲームを語るとき、日本の功績を省くことはできない。エポック社がアメリカのマグナボックス社との技術提携し、1975年、初の国産テレビ・ゲーム「テレビテニス」を発売する。77年、ダイトーの西角友宏が開発した「スペースインベーダー」が爆発的に流行し、それと同時に、社会問題化もしている。イエロー・マジック・オーケストラがゲーム・サウンドをとり入れた『ファイヤー・クラッカー』を発表したのもこの頃である。技術革新が進んだものの、しばらくはこれと言った人気商品が登場せず、業界は低迷する。しかし、79年、シューティング・ゲーム「ギャラクシアン」がナムコ、80年、携帯型液晶ゲーム機「ゲームウォッチ」が任天堂からそれぞれ発売され、持ち直しを見せ始める。

 1980年、岩谷徹が開発した「パックマン」がナムコより販売され、ビデオ・ゲーム史上初の世界的大ヒット作品となる。これは、従来、男性に独占されていたゲーム市場に女性を呼びこもうという動機で製作されている。女性に受け入れられやすいように、かわいらしさを前面に出したパックマンは、最初にアイドルとなったゲームのキャラクターである。この「かわいい」はジャパニーズ・クールを象徴するキーワードであり、それがどのようなものであるかを外国人が知った初めての出来事でもある。現在でもパックマンはヴァージョンを重ねながら、継続して発売されており、2005年、「最も成功した業務用ゲーム機(most successful coin operated game)」として『ギネス・ワールド・レコーズ』の認定を受けている。

 「かわいい」に相当する英単語は”cute”ではなく、”sweet”である。これは、さまざまな用法もあるけれども、幼児などに対して使われ、「かわいい」の子供っぽさにフィットしている。「かわいい」は攻撃性がないことを表象する。「かわいい」が消えたものは、攻撃性を持っていると相手から判断されかねない。それは哺乳動物にも見られる。動物行動学の調査によると、親ギツネは、顔の部位が真ん中によっている段階の自分の子供をそれと認知するが、パーツが離れて大人の顔になると、敵と見なし、攻撃を仕掛けることさえある。攻撃性という観点から見れば、「かわいい」は部位が中央に集まっている顔のことである。ターミネーターな体躯をしていても、よっていれば、幼く感じられ、逆に、鉄腕アトムのような体型であっても、離れていると、大人っぽく見える。それを逆手にとって、自己防衛の手段として「かわいい」が用いられることも少なくない。

 今でこそ、25歳の日銀の行員がニャッキのケータイ・ストラップをしていても違和感がないが、それは少女マンガを少年が抵抗感なく読むようになった80年代以降の流れである。社会に攻撃性が蔓延すれば、自分の身を守るために、「かわいい」が増殖する。えのきどいちろうは、2008年2月4日にJOQRで放送された『くにまるワイド ごぜんさま~』において、最近のCMに「かわいい」が使われている理由として、テレビ関係者からのコメントを紹介しつつ、ネットその他で攻撃されるのを避けるためだと言っている。「かわいい」幼児に攻撃を加えるとしたら、それはどうかしている。そのため、「私を嫌いにならないで(Don’t give up to me!)」というメッセージが暗にこめられているケースも目につき、「かわいい」は、必ずしも、健康的であるとは言えない。

 1983年、任天堂が家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」を発売する。8ビットCPU搭載のこの機種はゲームをインタフェースからキャラクターの時代へと導く。中でも、宮本茂が開発した「スーパーマリオブラザーズ」のマリオは人間型のキャラクターとして最初のスターである。マリオは、宮本茂がデザインした「ドンキーコング」ですでに知られ、以降、シリーズ化される。85年、ファミコンはアメリカでも発売され、随時、各国の店頭にも並ぶようになる。このヒット商品により家庭用ゲーム機市場は急拡大していく。

 80年代前半、アメリカでゲーム産業は存亡の危機を迎える。急成長する市場を見て、うまい儲け話だと新規参入が相次ぎ、安易で粗悪なソフトが続々と出荷されてしまう。消費者はビデオ・ゲームに幻滅し、1983年、市場は急速にしぼみ始める。ビデオ・ゲームの流行は一時的なブームであり、ゲーム産業は終わったという意見がメディアやエコノミストから主張されるようになっている。

 この苦境を救ったのが日本のゲーム産業である。日本のクリエーターたちは魅力的なキャラクターと凝った展開のストーリー、一度耳にすると忘れられない音楽、奥行きを感じさせる画面構成をゲームにとり入れる。それには日本のアニマンガ文化からの影響が見られる。ゲームにおけるこのキャラクターの季節を主導したのは日本メーカーである。1986年、任天堂がファミコン用ソフトとして「ゼルダの伝説」を発表する。これはキャラクターが成長する初めてのゲームである。ゲームはどれだけ感情移入できるかが人気を決定する点があるが、このキャラクターのレベルアップ機能はそれを満足させるものである。同年に「ドラゴンクウェスト」、翌87年には、「ファイナルファンタジー」がいずれもスクウェアよりファミコン用RPGソフトとして発売される。以降、ロールプレイングゲーム(RPG)や対戦型格闘ゲームが爆発的な人気を博していく。プレーヤーはゲーム上のキャラクターと物語を操るようになり、そこに参加している気さえする。現在では、対戦型格闘ゲームはコアなファンの嗜好品となってしまったものの、他国と比べて、依然としてRPGのゲームでの市場占有率が日本は高い。

 キャラクターの季節が日本のアニメ文化と親密な関係にあった理由として、二点が挙げられる。一つはアニメーションの特性であり、もう一つは日本のアニメーションの特徴である。

 実写はカメラを用いるため、どこかに焦点を合わせなければならないのに対して、アニメはカメラの制約から解き放たれている。もちろん、アニメであってもカメラを使う場合もある。同一の画面の中で一本の木と一人の人間を描こうとした場合、実写では焦点の都合上、どちらかを主にせざるを得ないが、アニメにおいては、両方を主にできる。アニメは、カメラの遠近法に縛られず、どこまでも平面的な視覚を提供する。ジョージ・ルーカスがロン・ハワードに「アニメーションは俳優が邪魔をしない」と言ったように、役者の演技という曖昧なものを排除し、世界を平面に分割して、時空間を自由に扱え、寓話的なリアルさを観客に訴える。「シュミラークルの全面化」(ジャン・ボードリヤール)であるアニメは、物語性が希薄であるなら、すべてが主役であり、同時に主役が不在の世界を描ける。実写はどんなに平面的たらんとしても、カメラの遠近法が作用しているため、観客に立体性・実存性を思い起こさせてしまう。

 ところが、物語性を強くしようとすると、遠近法の欠落さにより、その展開をセリフに依存せざるをえない。ウォルト・ディズニーのアニメでキャラクターがセリフを喋らせたように、何かを主にするため、セリフがその記号の機能を果たす。「なにもかもが『見えるもの』から『わかるもの』になってしまったのです」(小栗康平『映画を見る眼』)。キャラクターとセリフへの傾倒はアニメをラジオ・ドラマとしてそのまま使えるようにさせてしまう。

 加えて、日本のアニメの傾向もキャラクターの季節にマッチしている。日本のアニメには必ずしもアニメーションにする必然性がない作品が少なくない。宮崎駿作品が典型であるが、特殊効果を使って、実際の俳優や動物に演じさせることで、不都合が生じるとは推測されず、アニメならではの映像美を追及しているとは言いがたい。なるほどかつては市民権を獲得するために、アニメでもここまでできると世間に印象づける必要があったけれども、今であれば、むしろ、アニメでしかできない映像を追い求めるべきだろう。残念ながら、大部分の日本のアニメは映像的には極めて保守的であり、アニメで描写する必要性は限定的で、自己完結性だけが強まっている。「カメラが入るポジション、見せ方は、オーソドックスで、落ち着きのいい実写のそれとなんら変わっていません。実写の映画のセオリーをそのまま引き継いでいます。動植物が人間の言葉を喋ることで人間化しているとしたら、どんなお化けであろうが、これは人間ドラマです。さまざまに工夫された絵柄によって、ファンタジーであることから目を覚まさせない、人間のセリフ劇です」(『映画を見る眼』)。

 1994年、ソニーが家庭用据え置き型テレビ・ゲーム機「プレイステーション」の発売を開始する。この32ビット機はさらに市場を世界的に広げると共に、ゲームにおけるパックス・ヤポニカの終焉を告げる。ゲームはキャラクターから3Dの季節へと変わる。

 1990年代後半、ジャパニーズ・クールが世界的に注目され始めるが、それは、むしろ、パックス・ヤポニカの遺産である。確かに、世界中でテレビ放送されているアニメの半数以上が日本製と見られているし、また、アメリカでのゲーム・ソフトの売り上げ本数のベスト10の半分程度を日本製が占めている。けれども、将来的に、日本が世界的な文化の発信地とたる可能性は高くない。従来、ジャパニーズ・ク-ルは若者が主導して生み出してきたが、少子高齢化に伴い、市場規模が縮小しているため、企業は若年層以上に、人口が多く、購買力もある高齢者を主要な消費者と見なすようになっている。マンガ雑誌の発行部数の落ちこみは、講談社と小学館が共同でマンガ誌を2008年4月から発行する事態まで引き起こしている。外国人がカスタム・メイドした上で、日本から文化を発信する方が期待高だ。もちろん、日本の消費者の嗜好は独特であるが、その小さな市場規模でも成り立つ程度では応える企業もあるだろう。しかし、アジアや太平洋、ロシアなどの新興国の富裕層は旺盛な購買力を持っており、国内の消費者よりも優遇されていくことは間違いない。

 事実、国内のゲーム市場の縮小化を睨んで、任天堂は2006年末にWiiを発売している。中産階級の増加を背景に、第二次世界大戦後、欧州の社会主義政党が階級政党から脱却して包括政党へと向かったように、同社は従来のゲーマーだけでなく、支持層の幅を広げる路線を推進している。垣根を下げるために、再びインタフェースの問題に立ち返っている。「Wiiリモコン」による体感的な操作を導入する。その結果、WiiFitのような既存のゲームとは異なる日常生活に関連したつコンテンツが搭載され、対戦やデータ交換のみならず、Wii独自のインターネットを利用したサービス・機能が盛りこまれている。健康をめぐるソフトは、若年層以上に人口も多く、購買力もある団塊の世代、すなわちベビー・ブーマーをターゲットにし手いることは明らかである。

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