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「マヨヒガ」からのメッセージ(1)(2020)

「マヨヒガ」からのメッセージ
Saven Satow
Jan. 13, 2020

「(相模原殺傷事件が)匿名裁判となったこと自体が今の日本社会の重度知的障害者に対する差別意識を表している。全員が名前を出して被害を訴えられる世の中にしたい」。
尾野剛志

第一章 「マヨヒガ」伝承
 昔ばなしは言語的・道徳的規範を共有する共同体において世代間で語り継がれる口承文学です。それは絆を広げたり、強めたりするといった社会関係資本の蓄積の機能があます。伝承は各家族も担います。前近代は、個人主義の近代と違い、共同体主義です。共同体が先にあって、個人がそこに属すると捉えます。家族の道徳規範も、世帯独自なものではなく、共同体のそれに従っています。

 そのため、昔ばなしが語り継がれてきたのは、それがたんに面白いからではありません。規範の共有に基づく伝承ですから、それにそぐわないものはリレーされません。昔ばなしは口承を続けてきた民衆の集合知識で、社会的メッセージがこめられています。けれども、それは道徳的教訓に限りません。昔ばなしが取り扱う存在や物事、出来事など各々に集合知識による意味づけがあり、それが社会的に共有すべきメッセージとして伝承されているのです。

 近代は主に啓蒙主義・功利主義・共和主義によって理論的に基礎づけられています。近代文学の捜索・鑑賞もそれを踏まえて成立しています。近代は、宗教戦争の惨禍を目の当たりにしたトマス・ホッブズの社会契約論により、政教分離を最も基礎的な原理とします。政治は公、信仰は私の領域に属し、相互に干渉してはなりません。価値観の選択は共同体ではなく、個人に委ねられます。この事情により、近代人が昔ばなしに接すると、府に落ちなかったり、謎を感じたりすることがあります。語り継いできた前近代人にとっての暗黙の前提を共有していないからです。

 そうした昔ばなしの一つとして、「迷い家」伝承があります。これは「マヨイガ」や「マヨヒガ」と呼ばれ、東北や関東に伝わっています。訪れた者に福をもたらすとされる山中の幻の家をめぐる伝承で、柳田國男が岩手県上閉伊郡土淵村(現遠野市土淵町)出身の佐々木喜善から聞き書きした話を『遠野物語』(一九一〇)で紹介し、広く知られるようになっています。後に、佐々木自身も「山奥の長者屋敷」(一九二三)を雑誌『中学世界』、「隠れ里」(一九三一)を単行本『聴耳草紙』にそれぞれ発表しています。

 「迷い家」伝承はこの二つのテキストだけではありません。昔ばなしは口承文学で、言わば、スタンダード・ナンバーのライブ演奏です。語りの度に、微妙に変わることもあり得ます。また、口伝えは伝言ゲームですから、その過程でさまざまに変化してきたとも考えられます。ですから、昔ばなしの考察の際に、細部に拘泥することはあまり有意義ではありません。

 遠野出身の民俗学者菊池照雄は、『遠野物語をゆく』(一九八三)において、「迷い家」伝承が土淵町琴畑にもあると報告しています。「遠野から白見山をめざすときには、土淵町琴畑がその入口となるが、琴畑川の川上から巨大な桐の花や椀が流れて来るので、不思議に思った村人が川に沿って奥山に至り、マヨイガを発見したという伝承が、ここにも残っている」。ただし、説話ではなく、断片的な伝説として伝わっているのみです。

 「マヨヒガ」は『遠野物語』の中でも最も考察されている話の一つです。柳田自身も含めさまざまな論考が提示されています。また、「マヨヒガ」は表現者の創作意欲を刺激する伝承でもあります。それをモチーフにした数多くの小説やマンガ、ゲーム、演劇、映画、アニメが発表されています。しかも、一時の流行ではなく、最近に至る迄継続的に取り上げられています。リストが長くなるので作品名は割愛しますが、大半はエンターテインメント性が強く、中でもミステリーやホラーが多くなっています。

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