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井戸塀代議士(2009)

井戸塀代議士
Saven Satow
Dec. 02, 2009

「自己犠牲は美徳の条件である」。
アリストテレス『修辞学』

 2009年12月2日付『東京新聞』は、母親から政治献金を受けていたのは鳩山由紀夫首相だけでなく、弟の鳩山邦夫元総務大臣もそうだったとスクープ記事を掲載している。

 今回のニュースは、鳩山一族における母親の存在の大きさを改めて示している。石橋湛山の『天分の認識』によると、現首相の祖父鳩山一郎は囲碁が強かったが、それは幼い頃から母親に手ほどきを受けていたからである。戦前から日本の政界では、碁を打ってお親睦を深めるという習慣がある。今日でも、小沢一郎民主党幹事長や与謝野馨前財務・金融担当大臣など碁を愛好する政治家も少なくない。息子を政治家にしたかったので、母春子が囲碁を上級者に習いに行き、それを一郎に仕込んでいる。

 その件はともかく、今回のニュースをめぐって、近頃、「井戸塀」という政治家の懐かしい形容語をしばしば耳にする。

 「井戸塀」とは、政治活動や選挙運動に私財をつぎこみ、最後には井戸と塀しか残らない代議士を意味する。これは、「政治家たるものこうでなくてはいかん」という美談や「政界に足を踏み入れると財産をなくす」という警句として語り継がれている。鳩山兄弟への政治献金では、生前贈与による脱税の疑いがあるけれども、世論が騒がないのは自腹を切って政治活動をする姿がかつての井戸塀を思い起こすからである。

 藤山愛一郎元経済企画庁長官は「最後の井戸塀政治家」と呼ばれているが、最も有名なのは田中正造だろう。この伝説の代議士が亡くなったとき、井戸と塀どころか、持ち物は信玄袋一つだけだったと伝えられている。

 彼は几帳面な人物で、第一回衆議院議員選挙の際の歳出入を帳面に残している。それによると、選挙運動費は3400円なのに対し、議員歳費は800円である。かりに4年の任期満了でも歳費だけでは選挙費用でさえ賄いきれない。しかも、明治32年(1899年)に成立した議員歳費値上げに反対し、歳費を全額辞退している。田中正造は、結局、代議士としての政治活動やその後の足尾銅山鉱毒反対運動で私財すべてを使い果たしている。彼は、間違いなく、近代日本における政治家の理想像だと言ってよい。

 戦後の代議士にどれだけの政治資金が必要なのかを知る興味深いエピソードがある。ある時、佐藤栄作が竹下登に国会議員を続けるコツを教えようと口を開く。それには年間1万円寄付してくれる支持者を全国に1000人持てばよい。各都道府県に1万円支持者が22人いれば、代議士として政治活動が続けられる。まるでフェルミ推定である。今から半世紀ほど前の話だが、1000万円で十分というわけだ。

 「井戸塀」には、実は、さらに含意がある。それは、井戸と塀しか残らないのだから、代議士は一代限りで、世襲などできないという意味である。実際、戦前は世襲代議士がほとんどいない。戦後も初めの頃は、吉田茂でさえも、政治資金は三女和子の婿浅生太賀吉に頼っている。炭鉱王だった麻生は九州各地の別荘を売り払って工面し、吉田の首相在任中に、その資産は半分に減っている。吉田の息子健一は、周囲が何と言おうと、政界入りを拒否し、戦後を代表する文芸批評家の一人となっている。

 今の議員には「大臣病」の感染者が多い。しかし、かつては大臣にならないことを誇りにする政治家もいる。三木武吉がその代表である。彼の好敵手の大野伴睦もわずかな期間を務めただけだ。戦前から活動を続ける彼らは若い政治家を育てることに生きがいを感じている。代議士は家業ではない。先輩が後輩の面倒を見て育てるものだ。

 井戸塀代議士に代わって、戦後政治では、世襲議員が一般化する。この政治貴族の出現は政治的な茂りを意味しない。政治が利権になっただけのことだ。今回の総選挙の意義の一つに、こうした政治貴族の減少と市民政治家の進出が挙げられる。しかし、まだ十分ではなく、今は市民政治家の時代への過渡期にある。政治資金の問題もこの観点から議論するのが建設的である。
〈了〉
参照文献
麻生和子、『父吉田茂』、知恵の森文庫、2007年
竹下登、『政治地は何か』、講談社、2001年
日向康、『田中正造を追う』、岩波書店、2003年
谷沢永一編、『石橋湛山著作集4』、当用経済新報社、1995年
]NHK、『高校講座「日本史」』、「第31回 大日本帝国憲法」、2005年11月29日放映


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