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コギトイド─ルネ・デカルト(3)(2003)

第三部 A Beautiful cogito
 「ぼくは、デカルト主義を、人が言うほど単純明快なものと思わない。大ざっぱなようで〈時代〉そのものであり、そこに基本的な〈概念〉を祭壇に祀り、その間に〈構造〉の注連縄を張って、精緻な事実はええ加減に、ゴロゴロと朝寝の床で眺めている、そんな風情がある。そして、デカルトの一生はデカルト主義的であったようなきがする。三銃士でいえば、やはりアラミスだ」(森毅『魔術から数学へ』)。

The buildings reach up to the sky  
The traffic thunders on the busy street  
Even slips beneath my feet  
I walk alone and wonder,
Who am I?  
 
I close my eyes and I can fly
And I escape from all this wordily strife  
Restricted by routine of life  
But still I still can't discover,
Who am I?  
 
I long to wake up in the morning and find everything has changed  
And all the people that I meet don't wear a frown  
But every day is just the same: I'm chasing rainbows in the rain  
All the dreams that I believe in let me down  
Maybe I'm reaching far too high  
For I have something else entirely free  
The love of someone close to me  
Unfettered by the world that hurries by  
To question such good fortune,
Who am I?  
(Petula Clark “Who Am I”)

 デカルトは心身二元論の創始者と見なされている。デカルト主義は短絡の極みとさえ非難されることもしばしばである。それによると、デカルトは西洋近代思想の権化であり、その二元論は西洋の優位をアピールしただけでなく、西洋が世界中にもたらしたダンテでさえ思い浮かばなかった残忍さと悲惨さの原因だということになる。

 けれども、それは、いわゆるデカルト主義の二元論以上に、短絡的だろう。『方法序説』の「幾何学」は、森毅の『異説数学者列伝』によると、「『代数』を応用したものではない。むしろ、それまで幾何と癒着していた〈代数〉を自立させ、それを〈幾何〉と結合させたものと言えよう」。彼の二元論はこうした「癒着」からの「自立」の結果である。デカルトの心身二元論は、「コギト・エルゴ・スム」の論理が示している通り、「癒着」していた心身から、精神を「自立」させた後、それを身体と結合させている。精神と身体は無関係ではない。互いに独立してはいるものの、両者は密接な関係にあり、一方なくして、もう一方もありえない。二元論において、選択してからは、その判断根拠が二項であるかどうかは問題ではない。選択・判断する以上、対象は他者でなくてはならない。

 デカルトは、『方法序説』において、解析と代数について次のように述べている。

 次に、古代人の解析と近代人の代数について言えば、それらはいずれも抽象的で何の役にも立たぬと思われる問題に用いられているばかりでなく、前者、すなわち古代人の解析の力は、つねに図形の考察に縛られていて、想像力を大いに疲労させることなしに悟性を働かせえ得ない。
 また、後者、近代人の代数においては、人々はある種の規則と記号にひどくとらわれていて、それを精神に育てる学問であるどころか、むしろ、精神を悩ます混乱した不明瞭な技術にしてしまっている。こうしたことから、私は、これら三つの学問の長所を兼ねながら、その欠点を免れているような何か他の方法を求めなければいけないと考えたのである。

 デカルトは、代数学が曖昧で複雑であり、幾何学はあまりに限定的であると愕然とし、その統合を試みる。古代ギリシア人は記号化を嫌ったが、彼らは作図を数学から解放している。例の命題を導き出した方法的懐疑は記号化への意志であって、記号化は現実の再現ではない。デカルト以前の数学者は個々の問題を解くための個別の技法を探している。オランダへの亡命者はそんなことには目もくれず、未知の問題を解く方程式を見出すことに向かう。未知数や既知数を示すために、xやaといったアルファベットを初めて使っている。さらに、数の累乗を表現する指数を考え出し、代数方程式の正、負それぞれの解の数を知ることができる符号法則も定式化している。デカルトは代数学を言葉の制約から解放し、代数的関係に関する記述法を飛躍的に拡大する。プレ・デカルトの方法において、4次元以上の空間を理解するのは難しい。直観的に認識するほかないからだ。ポスト・デカルトでは、N次元を記述する際、座標を拡張するだけですむ。

 代数と幾何が癒着しているので、2次方程式は面積、3次方程式は体積を求めることと認識される。これでは4次以上の方程式や虚数を扱うことが困難である。両者を一旦分離し、座標によって再構成するなら、それらを図として表わせる。この解が求められたと仮定する解析幾何において、未知数は変数と理解できる。そこから、速度の微分が加速度といったように、関数の解を別の関数によって示すことももたらされる。フーコーはタブローの思考を西洋近代的認識の好例として挙げたが、むしろ、座標こそふさわしい。数学において変化を捉える方法は西洋近代以外にない。

 デカルト以前にも意識は認識されていたけれども、デカルトは、「コギト・エルゴ・スム」によって、意識を記号化することに成功する。コギトはあくまでも疑いという作用の下にあり、変数であると同時に他の変数と関連している。他の変数は他者である。ただ、私も他者も記号として認識される。

 「ぼくは、デカルト主義を、人が言うほど単純明快なものと思わない。大ざっぱなようで〈時代〉そのものであり、そこに基本的な〈概念〉を祭壇に祀り、その間に〈構造〉の注連縄を張って、精緻な事実はええ加減に、ゴロゴロと朝寝の床で眺めている、そんな風情がある。そして、デカルトの一生はデカルト主義的であったようなきがする。三銃士でいえば、やはりアラミスだ」(森毅『魔術から数学へ』)。


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