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公共性の球団経営(2)(2004)

2 野球と公共性
 球団経営は、基本的には、エンターテインメント産業です。観客を集め、リピーターを増やし、関連グッズを販売して収益を上げるのです。球団の経営者たちは東京ディズニー・ランドに学ぶべきでしょう。

 アメリカには、スポーツ全般に言えることですが、野球を題材にした映画が数多くあります。伝記的な映画にしても、フィクションにしても、映画史に残る名作も少なくありません。『フィールド・オブ・ドリームス』が忘れられることはないでしょう。

 日本でも、野球を題材にした映画が撮られていますけれども、『ダイナマイトどんどん』や『瀬戸内少年野球団』を除けば、必ずしも名作とは言えません。『ミスター・ルーキー』の駒田徳広のバッティングは素晴らしかったですが、内容はイマイチです。なお、今日まで最も美しい野球映画は黒澤明監督の『野良犬』です。その中の後楽園球場でのプロ野球のシーンは比類ないものです。

 若大将シリーズで野球を扱っていれば、事情は少々変わっていたかもしれません。バッファローズの北川博敏選手は、今回の合併騒動に関して、「映画の『メジャーリーグ』のようにならんもんかな」とコメントしています。日本映画のタイトルが口にのぼることはありません。

 そんなハリウッドでも、日本プロ野球を題材にすると、『ミスター・ベースボール』に終わってしまいます。主演のトム・セレックにとってキャリアのプラスにまったくなっていません。

 野球自体が題材でなくても、それがアクセントとしてうまく使われている映画も多くあります。スティーヴン・ソダーバーグ監督の傑作『トラフィック』では、ベルキオ・デル・トロ扮するメキシコの刑事ファビエル・ロドリゲスは、麻薬の捜査に協力する見返りとして、アメリカの捜査官に、子どもたちが麻薬の売人にならないために、野球を楽しめる球場(ボール・パーク)を建てて欲しいと頼みます。「みんな野球場が好きだ。みんな野球が好きなんだ(Everybody likes parks. Everybody likes baseball」」。

 このセリフは日本プロ野球の背広を着た連中からただの一度も聞かれなかった言葉です。のみならず、日本のプロ野球の問題点を凝縮しています。

 近代以前、公共の場は人の集まる場所を意味します。広場や市場、劇場、宗教施設などがその一例です。そこは社交の場でもあります。そういう場所には芸術作品が置かれているものです。地元の有力者たちは自分がいかに芸術をわかっていて、太っ腹であるかを市民にアピールするため、芸術家に作品を依頼しています。ドナテルロの彫刻はフィレンツェの公共性の表象で、ミケランジェロ・ブエナロディのダヴィデ像は共和制に完全に復帰したフィレンツェから依頼された公共事業です。

 日本中でよく見る人の寄りつかないような公会堂は、公共の場ではなく、利権を貪る連中の私的なものでしかありません。スポーツやアートをマネジメントから捉えることは公共性と社交の再検討です。

 大リーグのオーナーたちは、そういった公共性の意識の元に、球団を経営しています。彼らは日本のサラリーマン社長と球団経営に対する意欲が違います。大リーグの球団を持つことは社会の成功者の証であり、社会貢献の一つです。

 テッド・ターナーはCNNで成功した後、アトランタ・ブレーブスのオーナーに就任しています。また、マクドナルド・チェーンを発展させたレイ・クロックもサンディエゴ・パドレスのオーナーに就任しています。CBSやドミノ・ピザ、アンホイザー・ブッシュ社(バドワイザー)、リグレー・ガム、ウォルト・ディズニー社、FOXなど大リーグの球団を経営した経験のある企業も数多くあります。

 かつては個人で球団を経営することも少なくありません。フィラデルフィア、次いでカンザスシティに本拠地を置いたアスレチックスはコニー・マックがオーナーであるだけでなく、そのチームの監督を50年間も務めています。なお、テッド・ターナーを最後に、球団の株式を所有する者は監督になれないことになっています。こういう経営者はピーター・オマリーが1997年にロサンゼルス・ドジャースを手離したのが最後になります。彼らは、いずれも、大リーグの球団経営はたんなる金儲けではないと信じています。

 そもそも、オリバー・ホームズ判事が、第二次世界大戦前に、大リーグは一般の企業と違い、独占禁止法が適用されないと判決を下し、この判例が今でも生きています。かつて、ブルックリン・ドジャースの名物オーナーで、ジャッキー・ロビンソンを入団させたブランチ・リッキーは、彼が経営から手を引いた後、ドジャースがロサンゼルスに移転すると発表された際、「ドジャースはブルックリンの公共機関である」と反対しています。このように大リーグの球団は公共機関です。

 今回の合併騒動で問われているのは公共性です。近年、新しい公共性が日本社会において問われています。社会の中のプロ野球です。プロ野球も同様に新たな公共性を生み出すことに寄与しなければなりません。もしこの合併が資本の論理、すなわち民間資本の蓄積に従属して進んでいくとしたら、プロ野球は日本で消失し、選手たちとは「フィールド・オブ・ドリームス」の中でしか会えなくなる危険性があるのです。

 「世界で最も美しいのは人々でいっぱいの野球場だ(The most beautiful thing in the world is a ballpark filled with people)」(ビル・ヴィック)。
〈了〉
参照文献
池井優、『プロ野球おもしろこぼれ話』、知的生きかた文庫、1992年
川崎賢一他、『アーツ・マネジメント』、放送大学教育振興会、2002年
玉木正之、『プロ野球大事典』、新潮文庫、1990年

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