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ダズンズと詩のボクシング(2011)

ダズンズと詩のボクシング
Saven Satow
Mar. 10, 2011

Painter: "Y'are a dog."
Apemantus: "Thy mother's of my generation. What's she, if I be a dog?"
William Shakespeare “Timon of Athens” Act 1 Scene 1

 日本の詩人たちが本当にそれを理解しているのだろうかと疑問を抱かざるを得ないのが、1997年から始まり、今も続く「誌のボクシング」である。詩人がリングに上がり、作品を朗読し、どちらが観客の心をつかむかを競う。

 これを「ボクシング」の比喩で言い表すこと自体に詩人としての能力のなさを示している。この方式はアテナイの競演のヴァリエーションであって、その競技会は「競言」とでも改称すべきだろう。相手をKOあるいはTKOする勝敗ルールがない競技のどこが「ボクシング」と呼べるのかまったく理解できない。

 言葉のボクシングは「ダズンズ(The Dozens)」にこそふさわしい。これは、ブルースなどと同様、古くから続くアフリカン・アメリカン、いわゆるアメリカ黒人の伝統文化の一つである。観客を前に、一対一でお互いに悪口を激しく言い合う。内容は、相手の親族に対する罵詈雑言が最も習慣的である。先に怒ったり、言い返せなくなったりしたら負けとなる。相手をしゃべり倒すというわけだ。観客はそのやり取りに対して野次や賞賛を投げかけ、最高のパフォーマンスには「決まった!(Ohhhh! Burn!)」と叫ぶ。

 黒人たちは白人から罵られ、嘲られ、鞭で叩かれる差別の中で生きている。そうした壮絶な境遇から生み出されたのが言葉のボクシング、すなわちダズンズである。語源も、ニューオーリンズの市場で、年老いたり、体力がなかったりする奴隷がダース単位で売られていたことに由来するとされている。

 どんな状況でも耐え抜く精神力とやりこめる表現力がここでは競われる。エディ・マーフィーやクリス・タッカーなどアメリカの黒人コメディアンが口から先に生まれてきたのかと思うほどしゃべりまくるのはこの伝統に根ざしている。

 こう考えてくると、「詩のボクシング」が恥ずかしくなるほど浅はかで、嫌になるほどだらしないことが明らかになる。ダズンズの拡張をいかりや長介とザ・ドリフターズが『ドリフ大爆笑』の中で90年代前半に行っている。仲本工事と高木ブーがボクサー姿でリングに上がり、交互に悪口を言い合い、それをリング・サイドのいかりや長介がアナウンサーと共に解説する。言葉のパンチに打ちのめされた方が負けというルールである。

 勝敗は観客によって決まるものではない。長台詞が苦手な高木ブーが不利と見られたが、「マヌケ」という三文字を発し、意表をつかれた仲本工事がダウンするという番狂わせが起きる。「詩のボクシング」はこのドリフのコントに遠く及ばない。

 言葉の一撃によって相手をノックアウトする。それこそが詩のボクシングである。その王者は、間違いなく、蝶のように舞い、蜂のように刺す。
〈了〉
参照文献
詩のボクシング
http://www.asahi-net.or.jp/~dm1k-ksnk/poetry-boxing.htm
Mona Lisa Saloy. "African American Oral Traditions in Louisiana", 1998
http://www.louisianafolklife.org/LT/Articles_Essays/creole_art_african_am_oral.html


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