グッドモーニング,レボリューション(14)(2014)
14 ノマド・メディアとしてのラジオ
ま、だからさ、話をラジオに戻すと、ラジオはノマドなメディアです。ノマドロジーは移動の思想だと理解されているけど、それは表面的。遊牧民(Nomads)は草と水を求め、家畜と共に各地を移動する。草で覆われた小屋や天幕など移動が容易な家で仮住まいをしています。オーストラリアのアボリジニやカラハリ砂漠のサンなどの狩猟採集民からロムなどの雑業的な放浪民まで含まれている。彼らの多くは乾燥地帯に生きているけど、それは安全だからです。人間にとって、最も危険なのは人間自身。政治組織・体制からの干渉は真っ平だ。でも、国民国家は遊牧民に定住を強いる。大人は国民として選挙を通じて政治的意思を表明し、国家に税金を納め、子どもは小国民として学校に通学しなければならない。遊牧できないなんて、もう、イヤ、こんな生活!
遊牧民の移動途上にある定住社会では規模の大きい経済活動が行われていて、遊牧民も多かれ少なかれそれに組みこまれている。彼らは自給自足の民じゃない。遊牧生活で育んだ生産物を売り、穀物や衣類、武器などの商品と交換するとしても、もっと多くの商品を産出して、市場に積極的にかかわろうとしない。遊牧生活なら、優先順位を自分たちで決定できるし、家畜を短期的な利潤ではなく、長期的に利用できる。頻繁に移動するには、荷物をできるだけ少なくしたほうがいいでしょ。身軽に!身軽に!確かに、最近のキャンピング・カーにはテレビも風呂も冷蔵庫もついてるけど、家畜を連れてけないでしょう?私的所有物を極力減らし、物を共有ないし借用するようにするんですね。牧畜と遊牧の違いは前者が土地の私的所有に基づいているのに対し、後者では土地が共有であるという点にある。ですんで、ノマドロジーは共有・借用の思想。♪I’d rather be a hermit crab than a snail.
近代以前、世界的に、伝統的支配では、所有は重層的だったんです、そもそも。所有権と利用権が未分割なんです、要するに。近代だと、土地の所有権は地主のもので、小作人はそれを借りて利用している図式です。小作人は利用権を持ってるだけです。領主が持っている土地を農民が使うんですけど、その農民も地主と小作人に分かれていて、小作人自身が耕作した土地はその人のものなんです。その収入が馬鹿にできないくらいあって、日本は、近代以前から、観光旅行が盛んだったんです。要するに、物見遊山ですね。小銭もたまって、どっかにいきたいなと思っても、昔ですから、自由にそうもいかない。それで、集落の代表として、ありがたい旧所名跡にお参りにいくということにしたんですね。そういうとこの周りにはいかがわしいとこが発達したのも、そのせいです。見学は二の次ですんで。だから、いったら、旅の恥はかき捨てで、ご近所へのお土産を買っていかなければならないんで、お決まりのものを用意する業者が生まれたんです。観光産業が発達してたんですね、こんなこって。あんまし、今と変わんないでしょ。
話が前後するけど、日本では、伝統的に「入会地」というのがあるんです。最近だと、「コモンズ(Commons)」という社会学の用語で呼ばれることも歩けど。クラブの入会なんかの「入会」と書いて「いりあい」と読むんですけど。例えば、藩主の命令で、藩境防衛の目的に武士一〇〇人をとある村に住まわせたとしましょう。そういう村落共同体が入会集団です。そこに、森があったとすると、その人たちは共同所有・共同使用にするのです。入会地のある農村の配置は、概して、同心円構造をしてます。集落を中心として外側に耕地、その外帯に私有林野が広がって、入会地はさらに外、最も外側にあります。森のここはうちのもので、あそこは隣のものだということもありません。森のどこから薪を拾おうが、どれだけ拾おうが自由なんです。
当然、ルールはありますよ。成文化していることはほとんどありませんで、慣行です。一日に森に入っていいのは、一家族一人までとかいう風に。だから、分割も譲渡もできません。それを何かに他の目的に利用しようとしたら、全員一致が原則です。「あいつが賛成なら俺は反対だ」みたいな変なことを言う人がいた場合、無視するでしょうけど。その集落から転居すれば権利を失うし、逆に、そこに引っ越してきたからといって、入会権をもらえるわけじゃない。その集落を発展させるようなことを一緒に担って、それを他の人たちから認められて許可される。そんなこったから、入会地の登記は、もちろん、できるわけない。所有権として登記はできるんですけど、実際の入会権とは異なってしまうんです。入会慣行は、近世以降に発展したと考えられています。戦乱の時代が終息すると、農業の復興し始めて、農業生産量を増やすために、集団農業が効率性の向上に不可欠だったんです。それに、生活に密着してます。木の実や山菜、キノコなんか食料の採集、燃料に使う薪や炭の生産、家畜用の秣の調達や放牧、家屋の資材、つまり木材や萱とかもそこで集めたんです。
コモンズの悲劇というたとえ話があります。共有地の悲劇とも言われます。羊を飼ってる人がいて、それを育てるために、共有地の草を好きなだけ食べさせるとします。他の人も同じようにそうしてしまって、共有地は成り立たなくなってしまう。そんあ立ちえ話です。でも、共有地は持続可能のための制限があるんです。さっき言ったようにね。コモンズの欠点は、実は、人口増加を加味していない点なんです。人口増加すると、もたない。この認識が欠けてるね、コモンズの悲劇には。そう言うけれどもさ、コモンズの悲劇は日本の国家予算のぶんどり合いにふさわしいんじゃないかな?
明治民法にはほとんどその記述がありません。ないわけじゃないんですけど。確か、二箇所。民法第二六三条と二九四条。でも、現実に、トラブルがあるわけですから、数々の判例が出されています。国有地にも入会地が多くあります。漁場に関する漁業権・入漁権・入浜権、水源・水路についての水利権、泉源・引湯路をめぐる温泉権も、類似の法構成をとってたりして、判例・解釈等が準用もしくは参考とされたりしています。マンション管理における共益設備についても類似の法構成と解釈もされているんです。環境問題とかを考える場合、「ゲベーレ(Gewere)」の国ドイツが共有や借用を通じて環境問題に取り組んでいるように、現代的な入会権を考察すべきじゃないでしょうか?
ラジオから流れてくる曲と言えば、歴史を考えたら、やっぱりこれでしょう。ワリーネ、ワリーネ、ワリーネ・ディートリッヒじゃなくて、マレーネ・ディートリッヒ(Marlene Dietrich)、『リリー・マルレーン(Lili Marleen)』。
Vor der Kaserne
Vor dem großen Tor
Stand eine Laterne
Und steht sie noch davor
So woll'n wir uns da wieder seh'n
Bei der Laterne wollen wir steh'n
Wie einst Lili Marleen.
Unsere beide Schatten
Sah'n wie einer aus
Daß wir so lieb uns hatten
Das sah man gleich daraus
Und alle Leute soll'n es seh'n
Wenn wir bei der Laterne steh'n
Wie einst Lili Marleen.
Schon rief der Posten,
Sie blasen Zapfenstreich
Das kann drei Tage kosten
Kam'rad, ich komm sogleich
Da sagten wir auf Wiedersehen
Wie gerne wollt ich mit dir geh'n
Mit dir Lili Marleen.
Deine Schritte kennt sie,
Deinen zieren Gang
Alle Abend brennt sie,
Doch mich vergaß sie lang
Und sollte mir ein Leids gescheh'n
Wer wird bei der Laterne stehen
Mit dir Lili Marleen?
Aus dem stillen Raume,
Aus der Erde Grund
Hebt mich wie im Traume
Dein verliebter Mund
Wenn sich die späten Nebel drehn
Werd' ich bei der Laterne steh'n
Wie einst Lili Marleen.
ワン