見出し画像

傷ついた果実たち─寺山修司の抒情詩(6)(2002)

6 メニッポス的諷刺
 驚くほど広範囲の領域で活動した寺山修司であるが、彼は『俳優就業』や『復興期の精神』の花田清輝の継承者であり、その作品はメニッポス的諷刺である。「めだちたがりやには、自己を道化と位置づけるだけの批評精神が必要になる。道化になるためには、批評精神がなくてはならぬ。自己に向けてのめだちたがりとは、自己に対する批評の一形態なのだから」(森毅『めだちたがりの美学』)。

 さまざまな要素が入りこんでいるメニッポス的諷刺は、写実主義や自然主義の時代には、省みられなかったけれども、脱線の文体を操ったピンダロスの継承者ローレンス・スターンを経てポストモダン文学に至り、メニッポス的諷刺は再評価される。「メニッポス的諷刺(Menippean satire)」というジャンルを定義したのはマルクス・テレンティウス・ウァロであるが、ソクラテスの弟子で、キニク派のアンティステネスが創始者である。アリストテレスの同時代人ヘラクレイデスも対話に空想物語を加えたロギストリクスも考案している。また、ビオンは不在の相手との対話という形をとり、発話と思考の過程を対話化するディアトリベーの創始者である。その系譜上に、メニッポスとウァロが続く。

 メニッポス的諷刺の古典的作品として、ルキウス・アンナエウス・セネカの『アポコロキュントーシス』、ネロの宮廷の遊客であるガイウス・ペトロニウスの『サチュリコン』、シリア生まれのルキアノスの諸作品──『本当の話』・『空飛ぶメニッポス』・『漁師』・『嘘好き、または懐疑論者』・『偽預言者アレクサンドロス』──、アプレイウスの『黄金のロバ』、ボエティウスの『哲学の慰安』、『ヒポクラテスの書』がある。エピクテトスやマルクス=アウレリウス・アントニヌス、アウレリウス・アウグスティヌスの諸作品のように、自分自身との積極的対話を通じた自己開示のソリロギウムは自己の一貫性を破壊する。「超限数については、かつて聖アウグスティヌスの行ったこと以上のことは望みえない」(ゲオルク・カントール)。

 ディアトリベー、ロギストリクス、ソリロギウム、宴席における対話のシンポジオン、神や英雄の奇跡的行為を叙述したアレタロギアもメニッポス的諷刺の要素を持っている。古代ギリシアやローマの作品は多かれ少なかれそうである。ルネサンスや啓蒙主義の作品はほとんどこれに属する。「われらは禁ぜられたるものを求む」(プブリウス・オウィディウス・ナソ)を実行していたヴォルテールやドニ・ディドロ、ジャン・ル・ロン・ダランベールといった啓蒙主義者の先行者であるルネサンス期の人文主義者は古典的教養を重視している。

 フランソワ・ラブレーやトマス・モア、デジデリウス・エラスムスは、古典研究を通じて、人間性を解放している。ジョルジュ=ルイ・ルクレール・コント・ド・ビュフォンの『文体論』における「文は人なり(Le style c'est l'homme)」という言葉は、文章が人柄の表現だということを意味するのではない。人文主義者の語り合いには、眉間にシワをよせた偏屈者や辛辣な言葉、激しい言い合い、ピリピリとした雰囲気はない。三段論法といった興醒めするものなどまっぴら御免だ。闊達で自由、平和、穏やか、優雅、遊ぶように、適格に言葉を発する。ユーモアを最も重んじ、冗談のわからないのはまったく困ったものだ。「よき人々にすべては解放される」(コンラート・ムチアン)・

 人文主義者は正面切った論争は好まない。彼らは、そんな場面で、ユーモアをこめ、やんわりと、しかし、致命的に相手をやりこめる方法として、諷刺を用いる。まともにぶつかり合っては、しこりを残す。たとえ論理的能力が劣っている相手であっても、その言葉をうまくかわすほうが賢明だ。

 そうした姿勢にちなんで、EUは、一九八七年、加盟諸国における各種の人材養成計画、科学・技術分野における加盟国間の人物交流協力計画の一環として「エラスムス計画」を創設している(一九九五年、EUでの教育分野の行動計画である「ソクラテス計画」の高等教育部門に統合)。人文主義者は隠遁者ではない。ジャーナリスティックに活動する。しかし、彼らは、「静安に祝福あれ」(コンラート・ムチアン)を好むがゆえに、こめかみに血管を浮き立たせてまで、論戦に身を置くことはしない。田原総一朗はお呼びではないというわけだ。

 人文主義者は古典的ラテン語、すなわちキケロ風の優雅なラテン語を復興する。彼らから見れば、スコラ哲学のラテン語は堅苦しく、野蛮極まりない。彼らはこの言語を通じて思考する。直接的ではなく、どこまでも間接的に、すなわち一定の距離をもって世界に接する。と同時に、方言や俗語、隠語による民衆文化も活発になっている。ルネサンスの雰囲気はまさにカオスであり、メニッポス的諷刺が現実化した時代である。

 荘重と放縦、讚歌と諧謔、冗談と本気、素顔と仮面が融合している。寺山修司は、この意味において、人文主義者である。寺山修司はルネサンス的理想を体現している。いかがわしく、インチキくささが漂う寺山修司には「万能人」という言葉がふさわしい。『地獄篇』はダンテ・アリギエリの『神曲』、『寺山修司少女詩集』はフランチェスコ・ペトラルカのパロディである。errare humanum est.

 「ぼくに言わせれば、一つのことにかけるから、うまくいかぬこともある。両道かけてみれば、かえってうまくいくこともあるのだ。それに、うまくいこうがいくまいが、そのために人生がゆたかになったら、それでいいではないか。怒る人がいるかもしれぬが、一つのことに専念していたら、失敗したときに言いぬけの口実になる。一意専心なんて、その程度ものじゃないかしら」(森毅『わらじは二足』)。「人は書物を読むときに、他の一切の行動を中断し得ない」(寺山修司『不思議図書館』)。我迷路了。「われわれの目的は成功ではなく、失敗にたゆまず進むことである」(ロバート・ルイス・スティーブンソン)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?