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「目黒の秋刀魚」と改正道交法(2006)

「目黒の秋刀魚」と改正道交法
Saven Satow
Jun. 06, 2006

「えー、毎度ばかばかしいお話を一つ…」

 この6月から改正道交法が施行されています。民営化の一環として導入された民間駐車監視員による違法駐車の減少と交通渋滞の緩和を目的としているわけですが、怠慢な広報はいつものことながら、駐車料金をケチって路上駐車をするしみったれはともかく、宅配便や引越、介護タクシーなども杓子定規にも取締りの対象となっているようです。

 杓子定規というのはしばしば笑いのネタになるものです。江戸落語『目黒の秋刀魚』にもそうした杓子定規が見られます。

 よく晴れた初秋のある日、殿様が家来を連れて、目黒不動参詣を兼ねて遠乗りに出掛けます。昼頃に目黒に到着すると、ある農家から秋刀魚を焼く匂いが漂ってきます。家来から秋刀魚の味を聞かされ、自分も食べてみたいと殿が所望します。秋刀魚は下魚ですからおやめくださいと家来が頼んでも聞く耳を持ちません。結局、家来は農家からその秋刀魚を譲ってもらい、殿に差し出します。殿は初めて口にした秋刀魚の味にすっかり魅了されてしまいます。

 それからというもの、秋刀魚のことが頭から離れません。しばらくして、親戚に呼ばれた際、家老から好みの料理を申しつけてくださいと言われた殿は秋刀魚を希望します。日本橋の魚河岸から最高の脂の乗った秋刀魚を取寄せるのですが、杓子定規にも、お腹を壊しては大変と家老は秋刀魚を蒸し、小骨を抜いて殿に差し出すのです。

 イメージとまるで違う秋刀魚を前に、殿は「なに、これが秋刀魚と申すか。間違いではないのか?確か、もっと黒く焦げておったはずだが…」と呟きながら、一口食べたものの、油の抜けた秋刀魚の不味さに顔を歪め、「この秋刀魚、いずれより取り寄せたのか?」と尋ねます。家老が「日本橋魚河岸にございます」と答えると、殿はこう納得するのです。「あっ、それはいかん。秋刀魚は目黒に限る」。

 福祉という考えのない時代ですから 幕府は命令を出しても、そのための制度を示すことはありません。例えば、幕府は生類憐みの令を発して、捨て子や姥捨てをやめるようにと市中に命令します。けれども、そのための制度や予算を決めることはありません。支柱にまかせっきりなのです。

 そうは言っても、昔の上様は下々の生活の実態を見たことがありませんから、それを知りたいと思っていたものです。この殿もそういう動機で、当時江戸の郊外だった目黒まで足を伸ばしています。

 それに比べると、道交法改正を推進した官僚や政治家は、これだけ杓子定規な運用に疑問を抱かないのですから、人々の生活の実態など知る気もなかったようです。

 古典落語は、テレビのバラエティ番組と違い、ネタがバレていても、何度でも楽しめるものです。「あいつの『目黒の秋刀魚』はいつ聞いてもいいね」とお客に思わせることが、落語家の技量でしょう。繰り返しの中で、磨かれていく誰にも真似のできない噺家の味を落語を通じて観客は感じるのです。

 今回の道交法改正で最も困っているのは、自動車を仕事に使っている人たちです。彼らには、噺家同様、毎日の繰り返しの中で、蓄積してきた知識や技術というものがありますが、改正によりそれがうまく使えなくなっています。にもかかわらず、民間駐車監視員の団体は天下りを受け入れています。ノウハウが民間にはないからという理由です。

 まったくお後がよろしい話です。
〈了〉

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