格差の起源とルソー(2017)
格差の起源とルソー
Saven Satow
Dec. 18, 2017
「金さ君。金を見ると、どんな君子でもすぐ悪人になるのさ」。
夏目漱石『こころ』
今日、国内外を問わず、最重要の政治課題の一つは格差是正だろう。富める者がより富み、貧しき者がより貧しくなる。富の集中が加速、想像を超えた状況に至っている。米国では上位3名の富豪の資産が国民の50%の合計以上に足している。
ワシントンDCのシンクタンク「インスティテュート・フォー・ポリシー・スタディーズ(Institute for Policy Studies: IPS)」は、報告書『ビリオネラー・ボナンザ2017(Billionaire Bonanza 2017)』を2017年11月3日に公表している。ビル・ゲイツとウォーレン・バフェット、ジェフ・ベゾスの合計の資産額が下位50%のアメリカ人(約1億6000万人)の合計を超えていると発表している。他方、米国人のおよそ5人に1人は資産額がゼロ、もしくはマイナスである。この傾向はさらに悪化すると予測されている。
貧富の格差を示す指標の一つとしてジニ係数が用いられる。通常、所得から算出されるジニ係数の値の範囲は 0~1である。数値が1に近づくほどその集団における格差が大きいと評価される。ジニ係数が 0 である集団は各人の所得が均一で、格差がまったくない状態である。逆に、ジニ係数が 1 である集団はたった1人がすべての所得を独占している状態である。
ジョン・ロールズの『正義論』が説くように、格差は許容できる範囲ならば、労働意欲を促すなど社会に好影響を与える可能性がある。ジニ係数は0.4が危険値とされる。これを超えると、社会騒乱多発が危惧され、容認できない格差の社会である。OECDの報告書『格差縮小に向けて』によると、2013年のアメリカのジニ係数は0.4なので、おそらく今はそれ以上だろう。アメリカの格差はもはや危険な状態である。
こうした今日的状況を背景に、格差に関するさまざまな研究が進展している。その中に歴史的アプローチがあり、最近、興味深い論文が公表されている。ワシントン州立大学のチームによる”Greater post Neolithic wealth disparities in Eurasia than in North America and Mesoamerica(北米および中米よりもユーラシアで新石器時代以降に富の格差拡大)”が2017年11月13日に『ネイチャー』詩に掲載されている。彼らは先史時代にまで遡り、ジニ係数を用いて格差の推移を明らかにしている。
チームは、狩猟生活から植物栽培による定住が始まる時代を経て農業社会へと移行する約1万年近い期間に亘るジニ係数を算定、文明の進化に伴う格差の発生について調べ上げる。新石器時代は、かねてより「新石器革命」とも呼ばれ、人類史における発展の重要な契機の一つと見なされている。言うまでもなく、考古学的時間スケールの研究において所得を利用することなどできない。通時的に比較可能な富を示す物が必要だ。そこで、彼らは遺跡に残る住居跡のサイズの違いに着目する。
彼らは、63の世界各地の古代遺跡で住居について詳細な記載のある論文を参照し、その広さを推定する。集落内の差を元にジニ係数を算定、格差の状態を検討している。
狩猟時代のジニ係数は低く、平均で0.17である。ところが、初期の農業である生産園芸が始まると、0.27に上昇する。さらに、農業がより大規模化すると、0.35である。農業開始からおよそ2500年で格差がこの水準に拡大している。
この後、新旧大陸間でジニ係数が異なる推移を示している。中国や欧州、中東、エジプトの旧大陸はジニ係数が上昇を続け、農業の開始からおよそ6000年後に平均0.59に達している。一方、北中米の新大陸はジニ係数が0.35の水準を維持している。
この違いは農業への馬を始めとする大型の家畜の導入時期によるものではないかと推察される。旧大陸の住民は牛馬を農耕に利用したり、人やモノをより遠くまで運ばせたりしている。この効率性の向上により農地面積が拡大、穀物の蓄積も増加する。彼らは土地を守ったり、それを増やすための征服をしたりする戦士を生み出していく。
ジニ係数は、狩猟生活から定住、農耕社会へ至るにつれ、上昇する。国家が形成されると共にジニ係数がさらに大きくなる。ただし、メキシコのテオティワカンなどの例外もある。農業に基づく国家であるにもかかわらず、ジニ係数が0.17と小さい。ここは集団指導体制の政教国家で、それにより貧富の差が抑えられたと従来の研究で主張されている。その見解が実証されたというわけだ。イノベーションによって富が増大しただけでなく、その再分配も機能したこのような国家も歴史的に存在している。
この研究は格差の起源が農業にあることを物語る。もちろん、従来から考古学の知見を利用して農業が格差の原因とする研究は少なからずある。住居のジニ係数を用いて通時的・共時的な比較を行い、大型動物の農業への導入がその度合いに影響を及ぼすという主張が今回は新しい。
狩猟生活の時期にはジニ係数が小さい。しかし、農業を始め、開発が進むと、格差が拡大している。確かに、テオティワカンのような例外もあるが、全般的に、狩猟生活の時期には小さかったジニ係数が定住から農耕、国家に至る過程で大きくなっている。
なお、研究者たちは、現代の集落についても同じ方法でジニ係数を算出している。現代の格差問題を考える際にも、この手法がその整理に利用できるのではないかと提案する。スロベキアやスペインではジニ係数が横ばいである。アメリカや中国はそれぞれ0.8と0.73と急上昇している。標準的な所得ジニ係数のみならず、住居ジニ係数も格差の実態を探る指標として用いることは十分考慮していいだろう。
人間が共同体を形成する理由は、将来の不確実性に備えるためと考えられよう。個人や小家族だけで狩猟生活していては、今日食べられたからと言って、明日も大丈夫とは限らない。共同体を形成し、遊牧や栽培などの農業をすれば、蓄えが生じるから、将来に備えることができる。しかし、その蓄積が格差の起源というわけだ。
農業が貧富の格差拡大をもたらしたと指摘した最も有名な思想家はジャン=ジャック・ルソーである。彼は近代を理論的に基礎づけたトマス・ホッブズやジョン・ロックの社会契約説を批判的に継承する。このジュネーブ人は近代を本格的に批判した最初の思想家である。
その指摘は、事実上、格差の起源から始まる。1753年、ディジョンのアカデミーが「人々の間における不平等の起源は何であるか、そしてそれは自然法によって容認されるか」という主題の懸賞論文を公募する。ルソーは、当時世界各地から欧州に報告された人類学的情報を参考に、格差が歴史によって蓄積されたと『人間不平等起源論(Discours sur l'orgine de l'inégalité parmi les hommes)』(1855)で主張する。この歴史的遡行の方法はG・W・F・ヘーゲルやカール・マルクス、フリードリヒ・ニーチェにも影響を与える。
ルソーは自然状態を想定して自説を展開する。「なぜなら、人間の現在の性質のなかに、根源的なものと人為的なものとを識別し、さらに、もはや存在せず、恐らくは存在したことがなく、多分これからも存在しそうにもない一つの状態、しかもそれについての正しい観念をもつことが、われわれの現在の状態をよく判断するためには必要であるような状態を十分に認識するということは、そう手軽な仕事ではないからである」(『人間不平等起源論』)。
人間は自然状態において自由で、平等に暮らし、与えられた環境に適応して自足しつつ、改変しようとする完成能力を有している。人間は自己愛と同情心以外の感情は持たない。無垢な精神の持ち主である。そのため、この自然状態に争いはない。
ルソーの「自然状態」は必ずしも絵空事ではない。それは、いわゆる災害ユートピアを思い起こせばよい。田中康夫は、NHK総合テレビで1995年12月15日に22時30分から放映された『35歳─ボランティアは楽しい!?』の中で、ボランティアを振り返って次のようにコメントしている。
分業化社会でみんな歯車になってて、ハイテクな社会で人の顔がみえてこない便利さじゃないですか。僕が(神戸でボランティア)やっててロビンソン・クルーソーになれるなあって。犬はいたけどご飯も作ってお魚もとって家も作って、効率悪いかも知れないけど、でもすごく数字で換算できない心の充足感……みんな自分さがしなんですよ。
そこには、確かに、「自然状態」がある。『エミール』で『ロビンソン・クルーソー』を絶賛したルソーが説いた「悪徳を知らず、自己保存と同情という本能にしたがって、満ちたりた生活を送っている」(『人間不平等起源論』)平等な状態である。
その人間が群れて共同体を形成、農業と冶金を始める。これが不平等の起源だとルソーは言う。不平等は神が与えたものでもなければ、人間の本性に基づくものでもない。環境変化に伴い、人間は感情が変容する。農業を始め、土地を耕し、家畜を飼育していく中で、富が蓄積される。富をめぐって共同体の人間は自分と他者を比較し始める。虚栄心の芽生えである。優越感を覚えたり、見下したり、羨んだり、妬んだりする。こうした感情に囚われた人々は不正に手を染め、争いを起こす。「私有財産制度がホッブス的闘争状態を招いた」。
競争は支配と異なる。競争が一時的な関係であるのに対し、支配は継続的である。その関係が続くからこそ、支配は他者を道具として扱うことである。農業による富の蓄積はある程度長い時間にわたって維持される。それが競争から支配へと関係を変える。
ロックは労働に基づき、私的所有権を基本的人権としたが、ルソーは富の蓄積がそれを生み出したと主張する。前者は私的所有権を自然状態の産物と位置付けている。それに対し、後者は自然状態から離れた後に生じたとする。ロックの自然状態が社会であるのに対し、ルソーのそれはもっと以前のプリミティブなものだ。彼は英国の社会契約論者たちに異を唱える。
この戦争状態によって滅亡しないために、人間は「欺瞞の社会契約」を結ぶ。富の私有を認める私有財産制が法制化され、国家が財産を守るようになる。その結果、不平等が正当化され、現在の社会状態へと移行する。格差を認める法に基づき、富裕層の強者が貧困層の弱者を支配し、彼らからの搾取を続け、専制政治体制が成立する。「徳なき名誉、知恵なき理性、幸福なき快楽」の社会に人々は置かれ、不平等の弊害が拡大していく。それに伴い、社会は堕落する。
このように、ルソーは不平等の起源を農業と冶金に見出す。それが富の蓄積をもたらし、貧富の格差を生み出す。しかし、彼の主張の力点は経済的不平等が人間をいかに変えるかにある。格差の真の問題はそれが社会に何を招くのかである。
人間は環境に適応して生きる。だから、格差が人を変える。不平等が生じると、他者と比較して自己を捉えるようになる。優越感や軽蔑、羨望、嫉妬などルサンチマンに人間は囚われる。富める者も貧しき者もそれによって不正を働いたり、争ったりするようになる。歴史的に形成された不平等を国家が法制度によって正当化する。そのため、搾取が続き、社会が堕落していく。近代は格差を拡大させて社会にルサンチマンを蔓延させる危険性があるとルソーが警告したとも言える。彼はこの疎外の問題の克服のために、『社会契約論』を構想する。
今日、格差をめぐる研究が流行している。その際、重要なのは格差自体よりも、それが社会に何をもたらすのかという認識である。ルソーの直観が現在でも説得力があるのはそこである。彼を敷衍すれば、ジニ係数はルサンチマンの指標でもある。格差は人間を変え、社会を堕落させる。だから、この問題は是正されなければならない。
〈了〉
参照文献
J・J・ルソー、『人間不平等起原論』、本田喜代治他訳、岩波文庫、1972年
Timothy A. Kohler & others, ‘Greater post Neolithic wealth disparities in Eurasia than in North America and Mesoamerica’, “Nature”, Nov. 13, 2017
https://www.nature.com/articles/nature24646
Chuck Collins & Josh Hoxie, “Billionaire Bonanza 2017”, Institute for Policy Studies, Nov. 08, 2017
https://inequality.org/wp-content/uploads/2017/11/BILLIONAIRE-BONANZA-2017-Embargoed.pdf
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