見出し画像

作詞家黒澤明(2016)

作詞家黒澤明
Saven Satow
Sep. 15, 2016

「歌は世につれ、世は歌につれ」。
玉置宏

 2016年9月10日、日比谷野外大音楽堂にてスカイベント「SKAViLLE JAPAN'16」が開催されています。東京スカパラダイスオーケストラも参加し、6曲演奏します。その中で最も盛り上がったのは『ジャングル・ブギー』でしょう。これは「ブギの女王」笠置シヅ子の1948年の曲のカバーです。スカパラは1991年のアルバム『ワールド・フェイマス』カに収録、代表的なレパートリーの一つとして今も演奏しています。

 占領下だった70年近く前の曲が野外の音楽祭で演奏され、それに合わせて大勢の老若男女が踊り、合唱しています。驚くべき光景です。これだけの熱狂を巻き起こせる懐メロは他に思い浮かびません。

 『ジャングル・ブギー』は、もともと、黒澤明監督の『酔いどれ天使』の劇中歌です。この映画は三船敏郎が初めて出た黒澤作品として知られています。笠置シヅ子も出演、その三舟や木暮実千代らが登場する酒場でのダンスシーンでこの曲を歌っています。

 笠置シヅ子のステージの映像は、残念ながら、あまり残っていません。この映画はその貴重なパフォーマンスを今に伝えています。

 実は、『ジャングル・ブギー』の作詞を担当したのは黒澤監督自身です。画家志望で知られる監督ですが、作詞家でもあるのです。

 この歌詞は音の配置が内容と合っています。人間は発音する際に、口の中で音を作ります。それは大きく前と奥に分かれます。「わ」は唇の方で音を作りますから、前者です。一方、「あ」は喉の方で音を作りますから、後者です。前と奥の音が交互に続くと、リズミカルな印象を与えます。

 歌い出しは発声しやすさから、奥の方の音が選ばれます。「あなた」から始まる流行歌が多いのはそのためです。それに対して、前の方の音は発声に力が要ります。ですから、歌い出しに前の音を使う場合、作品世界の主人公の意志の強さを表わします。

 『ジャングル・ブギー』の歌い出しは口の前の方で作る音です。のみならず、小節の始めの音の多くもそうです。「ウォ」や「私」、「火」、「月」、「ジャングル」などきれいに選ばれています。主人公は力強い女性の猛者ですから、この選択は最適です。

 主人公の性格上強引さがありますけれども、比較的音の配置は前と奥が交互に並んでいます。ブギウギですので、リズミカルさは大切です。際どい内容だけに、性交渉を暗示させるほどです。「骨も溶けるような恋」は当初「腰も抜けるような恋」だったと言われています。プリンスがこの曲を知っていたら、リスペクトを伴いカバーしたかもしれません。

 興味深いのはサビの「ジャングルで」です。「グ」以外は前の方の音で、交互になっていません。ここは主人公の野性味溢れる力強さを強調する部分です。粗野なまでの強引さがこれによって示されるのです。

 作詞に慣れていないと、音の配置が歌いにくかったり、内容に合っていなかったりします。俳優兼司会者の関口宏が作詞した『星の砂』がその典型です。これは非常に歌いにくく、小柳ルミ子の歌唱力が並々ならぬものであることをよく示しています。

 『ジャングル・ブギー』は黒澤明監督の作詞家としてのセンスの良さを物語っています。作詞家になったとしても成功し、そのエネルギッシュでセクシャルな雰囲気を持つ歌詞はロカビリー時代を席巻したかもしれません。

 黒澤監督は脚本家でもありますから、発生される言葉の選びがうまいのは理解できるでしょう。けれども、やはり散文と詩は違います。短歌や俳句を戦時中に気晴らしに詠んでいたようですが、西洋音楽のポップスの歌詞とは異なります。

 自伝に目を通して答えを探そうとしても、なぜという疑問が残ります。ただ、監督には音楽をめぐる微笑ましいエピソードがあります。

 監督の姉は認知症を患い、昔のことはよく覚えているものの、現状認識が乏しかったそうです。ロス・プリモスをテレビで見ると、「明は歌手になったんだねえ。よかった、よかった」と安堵感を示しています。コーラスの黒沢明を弟だと信じていたわけです。周囲があれは別人で、弟は映画監督になったと説明しても納得しません。子どもの頃、明は歌うのが好きで、よく自分のために歌ってくれたと反論するのです。

 監督はロス・プリモスの黒沢明に会った際、感謝の言葉を述べています。あなたのかげで、姉は自分のことで安心してすごせたといった趣旨です。絵が浮かび、思わず微笑んでしまうエピソードです。

 笠置シヅ子のブギ宇久が取り上げられることは今では限定的です。占領下の雰囲気を醸し出すNBGMが中心です。『ジャングル・ブギー』は例外的に時代を超えて歌い継がれています。それはその作詞家の映画同様でしょう。黒澤明は恐るべき多彩な才能の持ち主であり、可能性の宝庫です。監督から学ぶことはまだまだあるのです。
〈了〉
参照文献
黒澤明、『蝦蟇の油』、岩波書店、1984年

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?