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北緯35度42分─ヘンリー・ミラーの『北回帰線』(13)(2007)

13 ヘンリー・ミラーの文体
 事実----女なんてものは、みんな似たりよったりだね。服を着ているときの女を見ると、あらゆる事を想像する。個性みたいなものがあると誰でも考えるが、むろん、そんなものはありはしない。両脚のあいだに割れ目があるだけのことさ。そいつに男はみんな夢中になるんだ----ところが、誰も、そいつを時間の半分も見るわけじゃない。あれがあすこにあるのだと知って、考えることといえば、ただそのなかに銃杖をさしこむことだけだ。まるでペニスが代りに考えてくれてるようなもんさ。
(『北回帰線』)

 描写に関して、ヘンリー・ミラーは非常に意欲的である。「私は、およそ考えうるかぎりのいっさいの表現手段を探求する」(『黒い春』)と公言するヘンリー・ミラーは、ジャクソン・ポロックを思い起こさせるように、多種多様の表現を配置している。もっとも、後に発表した水彩画からはポロックとは少々異なった画風である。遠近感はあまり感じさせず、鮮やかな色彩をにじませるように、描いている。『北回帰線』には、口語、文語、俗語、隠語、卑語、学術用語、造語などが散りばめられている。また、写実主義、自然主義、表現主義、サンボリズム、シュルレアリズム、ダダイズムなどの表現方法もとり入れられている。

 アレクサンダー三世橋。橋に近い大きな吹きさらしの空。陰気な裸の街路が、その鉄格子で数学的に固定されている。廃兵たちの陰鬱が円屋根から湧きあがって、広場の隣の街路に溢れ出ている。詩の死体置場。

 俺がそう言っているあいだに、彼女は俺の手をとって股にはさんでしめつけた。便所で、俺はものすごく勃起して、便器の前に立った。翼のある鉛の棒かなんぞのように、それは軽くもあり、同時に重いような気もした。

 クリュゲルは、あの狂ってしまった聖人の一人であり、マゾヒストであり、きちょうめん、正直、自覚を自分の法則としている肛門型の人間であった。

 エルザが八百屋に電話をかけている。鉛管工が便器の上へ新しい台をとりつけている。ドアのベルが鳴るたびにボリスは冷静さをうしなう。興奮してコップをとり落とす。彼は四つん這いになる。フロックコートを床に引きずっている。ちょっとグラン・ギョールに似ている。 

 今日まで、俺の身に起こったことは、一つとして俺を破壊するほどのものではなかった。俺の幻影以外、なにものも破壊されなかった。この俺は無傷だった。世界は無傷だった。明日にでも革命か、疫病か、地震が起こるかもしれない。明日にでも、同情を、救いを、誠実を求めうる人間は、ただの一人も残らないかもしれない。

 世の中には秘教的という言葉が神聖なアイコオ(気状液)のごとく作用する人々がいるらしい。『魔の山』のヘル・ピーパーコルンにとってのセトルドに似ている。

 硫黄で点火されて俺のそばを通りすぎて行く音や女たち。カルシウムの征服をまとって地獄の門をあける門番たち。松葉杖にすがって歩く名声。それらは摩天楼のために小さくなり、機械の歯につけた口で擦り切れるまで噛みくだかれる。

 この多様さは、それぞれのリテラシーを十分に理解しているからこそ、可能になっている。ヘンリー・ミラーは非常に巧みに模倣し、見事なパロディを書き上げている。これは「メニッポス的諷刺」ないし「アナトミー」(ノースロップ・フライ『批評の解剖』)と呼ばれるべきだろう。対象ではなく、その文体の固有性を描写することに意図が感じられる。ヘンリー・ミラーは対象をそのままと言うよりも、役者が演じるように、既存の文体や用語法を通じて描く。座談の際には、ただしゃべるより、声色を変えたり、表情を作ったりするほうが相手のハートをつかみやス。『北回帰線』はまさしく座談の文学であり、ファティック・コミュニケーションが具現されている。

 けれども、たんなるいいとこどりじゃない。『北回帰線』は全体として自己組織化されている。ルドルフ・シェーンハイマーは、福岡伸一の『生物と非無生物のあいだ』によると、「生命とは動的平衡(Dynamic Equilibrium)にある流れである」と言っているが、『北回帰線』はそれを具現している。見るべき点は、この全体の動的平衡であって、個々の描写の多様性ではない。しかし、動的平衡が保たれていると指摘するだけでは不徹底というものだろう。一歩間違えば、ヘンリー・ミラーの作品だって、ジョージ・ルーカスが封印した“The Star Wars Holiday Special”になりかねないところだ。なぜそうなっているのかを突きとめなくてはならない。

 ヘンリー・ミラーは、作品を通じて、ライフを書いていると次のように述べている。

 私がものを書くのは、より大いなる現実をうち立てようためである。私は現実主義者でもなければ自然主義者でもない。私は生命の味方をするものであり、生命は文学においては夢と象徴を駆使することによってのみ得られる。私は心底では形而上的な作家なのである。
(『自伝的ノート』)

 私にとって作品とはそれを書いた人間である。したがって私の作品は私という人間である。ぼんやり者で、投げやりで、向う見ずで、狂熱的で、卑猥で、騒々しくて、考えこみがちで、ウソつきで、小心翼々とした、そのうえ悪魔のように誠実な私という人間なのである。私は自分を一つの作品とも一つの記録ともみなさない。私は自分を一つの現代史、否、あらゆる時代の歴史であると考えている。
(『黒い春』)

 ライフには動的な平衡状態がある。それを書こうとすれば、どのように動的平衡を体現させるかを方法化する必要がある。

 たとえばスタヴロギンについて考えてみる。するとぼくは、何か神聖な怪物が高いところに立って、おのれの臓腑を引きちぎってわれわれに投げつけている光景を思いうかべる。憑かれた狂気のなかで大地は震撼する。それは架空の個人にふりかかる災厄ではなくて、人類の大部分が埋没し、永久に抹殺される大天変地異である。スタヴロギンはドストエフスキーであり、ドストエフスキーは、人間を麻痺させ、ないしは頂点へ引きあげるそれらいっさいの矛盾の総和である。彼にとっては、あまりにも低いがゆえに入りこめぬ世界というものは存在せず、あまりにも高いがゆえに登るのが怖ろしいという場所もなかった。彼は深淵から星にいたるまで、全世界を通りぬけた。神秘の核心に身をおき、その閃光によって闇の深さとひろがりとをはっきりとわれわれに照らしだしてくれる人物に二度とふたたびめぐりあえる機会がないのは残念である。
(『北回帰線』)

 日常生活を描くことに最も自覚的だったのは、おそらく、映画監督の小津安二郎だろう。小津とヘンリー・ミラーは、表面的には、およそ似通った点は見当たらない。しかし、小栗康平によるその小津映画の分析は、ヘンリー・ミラーのライフに関する方法の理解に、非常に有効である。

 小栗康平は、『映画を見る眼』において、たいした筋のない小津映画が作品として平衡状態を持っていることを次のように解説している。

 小津安二郎監督は、映画固有の形式にもっとも自覚的な映画監督でした。小津さんはプロットで語られる映画を嫌っていましたから、題材は家庭、家族から取られるものが多く,とりたてて劇的なものはありません。小津さんの映画を物語で語ろうとすると、どれがどの映画の話だったのかわからなくなってしまうほど、同じように思えるものがたくさんあります。
 そうしたことを批判された小津さんは、豆腐屋にビーフステーキを作れといっても出来るものじゃない、がんもどきぐらいなら作れるかもしれないが、それが精一杯だといったといいます。見事なものです。
 豆腐であれがんもどきであれ、忘れ難い映画でした。ことに、戦後の何本かの映画は、小津さんのスタイルがはっきりしていて、「東京物語」になると完璧な映画に思えます。これまであちこちでたくさん書かれていることでしょうが、私なりに小津映画の特徴に触れてみます。
 「東京物語」は、尾道に住む老夫婦が旅行の支度をしている座敷から始まり、ラストもそこに戻り妻が死んで片方が欠けた状態が示されて終わります。同じ場で、同じ構図が反復されることで、変化(を受け入れる生きる私たち)がくっきりと定着されています。ドラマは大きな変化を求めていないのに、私たちが受け取る「変化」は決定的なのです。ふつうであれば、ドラマを変化としてとらえます。小津さんはそうではありません。この、ことの正逆がまず小津さんならではのものです。妻の死は、ドラマの要因ではあるけれど、拡大されません。避けがたい日常の断面としてあるだけです。
 久しぶりに父母を向かえる東京の息子の家では、子供の勉強机が廊下に出されます。それが面白くなくて、子供はお母さんの後を着いて家の中をうろうろします。その動きに乗って、廊下や部屋、階段がていねいにとらえられています。暮らし向き、家族構成、人物の性格がここで示されることにはなりますが、それが主眼ではありません。人物のいない場面を空舞台といっていますが、これらの描写では必ずといっていいほど、人物がそこにフレーム・イン(空舞台に人物が入ってくること)しています。人物がそこからフレーム・アウトした後にも、その空舞台が残ります。人物をドラマの主体と考えると、この空舞台はただの余白しか過ぎませんが、ここではそうではありません。空舞台が人物の不在を伝えています。場を主体としたら、人物、人物が欠けた状態、いなくなった状態です。存在と不在とが、小津映画の中では交互に訪れます.大きなシークエンスでも小さなエピソードでもそうです。
 外へ出掛ける、外から帰ってくる、そうした場面もよく繰り返されます。これも存在と不在。そしてなによりも死という不在。
 東京の娘や息子にも家庭の事情があり、父母を十分にもてなしてはくれません。戦争で死んだ息子の嫁がまた一人でいて、血もつながらないその嫁のもとで、老いた父母が心を休める、話は厳しいものですが、父母は、まあまあだよと、たんたんとしています。そう心掛けています。
 ドラマを起伏としてとらえて図に描けば、こうなるのでしょう(略)。平常があり、きっかけが生じ、問題が発展してピークを迎え、それがまたカーブを描いて静まっていく、そういう曲線です。そのカーブは問題によって、人物によって、急激に昇りつめるものであったり穏やかに時間を要するものであったりさまざまでしょうけれど、なんらかのピークをもっということでは同じかもしれません。
 小津さんはどんなときも注意深く、このピークを避けています。起伏が激しく現れるその前で、あるいはそれがおさまった後に、各場面を設定します。劇が発展して行くことを避け、迂回します。 これは劇が起伏を作らないだけではなく、映州のムーブメント、動きを封じていくことになります。
 そのかわり、といっていいかどうかはわかりませんが、とんなに日常的な会話のカット・バックであっても、それらをプロットを運ぶためのもの、とはとらえません。以前、小津さんのカット・バックには目線が合っていないものがある、ということをいいましたが、それには理由があります。
 二人の人物が向かい合っています。目線を合わせるためにお互いに画面の右寄り、左寄りを見なければなりません。小津さんは正面に近い目線をとることが多いように見えます。はっきり目線が重なっているように見えるときは、だいたい次カットが入れ込みになっていて、人物は二人いっしょにとらえられています。
 目線が正面目で、それも多少なりともその向きがズレている理由として、画面の構成を変えたくないという考えがあったかもしれません。右を見たり左を見たりすれば、鼻の向きが違う顔が交互に映ることになり、形式を壊しかねません。視覚に余分なリズム、動きも生じてしまいます。小津さんはこれを嫌ったのでしょう。
 もう一つ、もっと大事なことがここにはあります。カット・バックは、相手がこういったからこう答える、という流れを作りますが、しかしだからといって、それらはその流れにただ従属はしていない、小津さんはそういっているのではないでしょうか。一つひとつのカットを、独立させるために日線をズラした、そのようにも思えるのです。
 セリフは受け答えであり、その結果がプロットを運ぶことにはなりますが、それは会話の一面でしかありません。日常では、ふつうにそう思っていることです。なぜなら、そのとき私たちは物語を知りません。物語が先にあるわけではないからです。私たちは話をしていて、答えたことだけが自分であるとは考えていません。話したことを含めて自分である、そう考えているだけです。つねに自分は残りつづけています。自分が残りつづけている分だけ、画面での目線は相手からわずかにズレて、独立します。これもフレームで世界を切り取ることで成り立つ映画の独自な形式です。
 劇を発展させない、場を主体とする、会話を物訴に従属させない、こうしたことが重なりあって、小津さんの映画の文体が作りあげられています。言語と違って論理としての文法を持たない映画は、それに代わるものとして、確固とした形式を所有しようとします。
 形式というとすぐに、形式主義と軽んじられてしまいそうですが、そうではありせん。文法も、これこれこういう約束事のもとに、という形、形跡の確認です。ただ映画の形式は言語のように普遍化しません。小津さんの形式は小津さんだけのものです。自分は豆腐しか作らないというのも形式です。自分はここからものごとを見るという、映画の形式です。よくいわれる小津さんのロー・アングルも、そうした形式の端的な現れです。形式が映画の文体を作り、その形式は作り手が一人ひとり作りだすものであるとすれば、映画の文体はまさしく多様であるべきでしょう。

 小津映画では、筋は重要ではない。日常生活、すなわち暮らしはそれに従って進んでいつわけではないからだ。会話は筋に従属せず、独立している。また、出来事の連鎖として物語が展開されることはない。ピークを迎えようとすると、それが注意深く避けられている。演劇のように、場ないし空間への人の出入りによって物語が進行し、同じ構造でありながらも、そこに表われる微妙な違いが提示される。その変化は小さく、作品内で拡大されることもないが、決定的である。それは意味や無意味ではなく、残り続けたものが受けいれざるを得ないものである。意味=無意味の転倒などこの成熟した表現の前では未熟な戯言にしか感じられない。「ズレ」を方法論とする批評家は,概して、読解の際に、この差異を拡大する傾向があるが、それはアイロニーにすぎない。ズレは日常性を表わすのに、非日常化してどうする?『東京物語』は村上春樹のようなロマンスとは異なっている。最初と最後は一致しない。構造は同じだが、ほんのわずかだけ違っている。自意識の優位さを確認する物語ではなく、やりくりしながら生きていく人々の日常の暮らしの姿である。実際に日常では、存在と不在が繰り返され、いつかそれは生と死へとたどり着く。がらんとした部屋に戻ったとき、人はやっぱりもうあの人はもういないのだと実感するものだ。日常を描くには場を主体にしてこそ可能なのであって、自意識を主体にしてはありえない。

 小栗康平による小津映画の批評を読むとき、村上春樹への賞賛は虚ろに思えてならない。俺は、夜酔っ払うと、時々、無性に小津や黒澤明の映画を見たくなる。実際、そうしている。『北回帰線』を読むときにも、それらはよく合う。

 奔放で、いかがわしい『北回帰線』が静かで端正な小津映画が通じ合っている点という意見は突飛に思えるかもしれない。『北回帰線』でも、会話を含め、個々の要素は筋に対して独立している。また、これといった出来事もない。しかも、冒頭と結末は同じ構造をしていながら、微妙に変わっている。自分への人や物、情報の出入りによって『北回帰線』が展開されている。登場人物のヘンリー・ミラーは主人公でさえない。たんなる場だ。ヘンリー・ミラーは自分自身ではなく、その場への出入りを書いている。このようにして動的平衡が保たれている。ヘンリー・ミラーは暮らしを具現化した作家だ。『北回帰線』以後の作品もほとんど同じとなっているのも、ヘンリー・ミラーが固有の「形式」を獲得したからにほかならない。

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