ダウンロード

パニックとサイエンス・コミュニケーション(2011)

パニックとサイエンス・コミュニケーション
Saven Satow
Mar. 22, 2011

「この講演で、どんな話がでてくるかをたのしみにお集まりくださったことの光栄にこたえるために、私は一本のロウソクをとりあげて、皆さんに、その物質としての身の上話をいたしたいと思います」。
マイケル・ファラデー『ロウソクの科学』

 見苦しい現象が起きている。首都圏でのガソリンや米などの買い溜め、ならびに原発事故に伴う風評被害がそれである。正直、またかという印象を抱いた人も少なくないだろう。政府や専門家のみならず、市民の間からも、冷静な行動をとるべきだという呼びかけがなされている。 

 その原因もいくつか指摘されている。中には、未曾有の震災により「無意識」に押しこめていた危機や不安の意識が浮上して起こったという意見がある。しかし,こういった状況を説明する際に、「無意識」を持ち出すのは知的怠惰である。本人たちは合理的に行動しているつもりだから、その説明が抜けている。

 正確な情報が伝わっていないからパニックが起きたという意見が最もよく聞かれる。正確な情報を適切な方法で政府や関係者、専門家、マスメディアが市民に伝達するのは当然である。彼らには責任がある。しかし、たとえ正確な情報を流したとしても、認知心理学の各種の研究が教えてくれるように、パニックは起こり得る。それだけでは不十分である。

 一例を挙げると、意思決定の際に、一方向のコミュニケーションしかなければ、その情報に関する認識を深められず、適切な判断が行えない危険性があるからだ。情報がたとえ正確であったとして、確証する手続きがなければ、人は納得せず、自身の思いこみや思いつきを優先させてしまう。

 実は、一般市民よりもエリートの方がパニックに陥りやすいという研究がある。災害社会学者のリー・クラーク(Lee Clarke)とカロン・チェス(Caron Chess)は、災害時に、一般市民よりもエリートの方がパニックに陥りやすいことを解き明かしている。

 現代社会は競争や利己主義に基づいており、それに適合する人物が成功する傾向がある。このエリートは競争心やエゴイズムが強く、そのバイアスから社会全体を認知する。災害時には略奪のような事件が起こると恐れパニックに陥り、情報隠蔽に走るなど過剰反応をとってしまう。クラークとチェスはそれを「エリート・パニック(Elite Panic)」と呼ぶ。コミュニタス状況で、エリートは、感情を受動的ではなく、行動を促す動機として把握する認識が希薄である。

 共感能力に乏しいエリートほど災害時にもろい。コミュニタスでの一体感を持てる市民に対して、エリートが欠如モデルで科学的知見について語るのはいささか滑稽ですらある。無知だから不安に感じているのであって、知識を与えてやればよい。それは彼らの社会性の貧弱さゆえの考えである。

 だから、パニックを解明するのみならず、防止するには、サイエンス・コミュニケーションの観点から考察する必要がある。その際、参考にすべきアンケート結果がある。

 NPO法人「くらしとバイオプラザ21」は「くらしとバイオ」に特化したサイエンスカフェを開催している。サイエンスカフェは、1998年、TVディレクターだったダンカン・ダグラスがイギリスのリーズのカフェシアンティフィークで始めた専門家と市民の語らいのイベントである。フランスの哲学カフェがそのモデルだとされている。日本でも開かれているが、多くは大学が主催している。そんな中、このNPOは生活に密着したバイオの話題・情報提供とゲストの専門家を交えた対話を続けている。

 このバイオカフェの満足度は、参加者とゲストのスピーカーのアンケート結果を分析すると、一般のフォーラムやシンポジウムよりも、前者のそれが高いことがわかる。参加者の実に90%以上が満足している。さらに、興味深いのは「バイオカフェのやり方について」に関する05~06年のアンケート結果の総計である。「気楽に話し合いたい」の回答が最も多く、「他の参加者の意見が聞きたい」と続き、次が「スピーチを長くしてほしい」だが、鼻差で「講師に直接質問・意見が言いたい」が来る。これが示しているのは、参加者はスピーカーとの縦の一方向よりも横や双方向のコミュニケーション、すなわち交流を求めていることである。

 こうした分析から、市民は正確な情報を聞くのみならず、それに関して話し合うことを臨んでいることが明らかになる。どんなに正しくても、専門家の話を聞いているだけでは嫌なのであって、自分たちにも言わせろというわけだ。緊急事態になればなるほど判断力は低下するので、そうしたくなる。市民は、横や双方向を含めた多様なコミュニケーションを通じて、抱いている不安や意見を相互に交感し、その情報の妥当性を吟味し、納得して判断した行動をしたい。

 こうしたコミュニケーション過程が阻害されれば、共感が生じにくく、パニックが起こりやすい。それを防ぐには知を流すのではなく、循環させる必要がある。

 ただし、市民もサイエンスを含め各種のリテラシーがあまりにも不足している。政府や関係者、専門家、マスメディアを批判するだけでなく、自ら意欲的にその向上に努めるべきである。現代社会では情報がつねに過剰気味であり、情報のオーバーロードが発生する傾向がある。この状況で正確の情報を伝えるにも、処理するにも工夫が要る。そのためにも、リテラシーを広く共有する必要がある。

 リテラシーの向上が伴わなければ、コミュニケーションの実践も不十分に終わる。そのとき、市民の行動は集合知どころか、集合無知と化す。精油所の火災映像を見て、石油がなくなるとスタンドに駆けこむような早合点は抜け目がないのではなく、傍迷惑な間抜けである。
〈了〉
参照文献
武田譲、『新訂バイオテクノロジーと社会』、放送大学教育振興会、2009年
マイケル・ファラデー、『ロウソクの科学』、三石巌訳、角川文庫、1962年
レベッカ・ソルニット、『災害ユートピア』、高月園子訳、亜紀書房、2010年

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?