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結婚するって本当ですか(1)(2012)

結婚するって本当ですか
Saven Satow
Dec/ 23, 2012

「『結婚』の仕事を続けているのはなぜかと聞かれれば、結婚探しという人生探しがテーマとなり、新たな可能性がつくられる可能性を感じられるからと答えたい。不安な時代を軌道修正する若年世代を育てる社会であって欲しいと願うからだ」。
板本洋子『追って追われて結婚探し』

第1章 権利としての結婚
 1946年11月3日、日本国憲法が公布され、翌年の5月3日に施行されます。その24条に婚姻の自由、すなわち権利としての結婚について次のように規定されています。

第24条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

 「個人の尊厳と両性の本質的平等」に基づく婚姻・家族制度を保障したこの条文を受けて、1898年以来続いてきた民法のイエ制度は廃止されます。婚姻は戸主の統率から解放されます。婚姻はもはや個人の権利です。

 けれども、流行歌に恋愛結婚、すなわち権利としての結婚が登場するのは1963年を待たなければなりません。音楽産業自体が曲がり角に来ている時代なのに、「流行歌」などという死語を使うのはアナクロでしょう。なるほどそれは社会が多様化・相対化する前の大衆音楽の概念です。ここでこの概念を用いるのは、社会的意識を議論の前提とするためです。確かに、非常に狭い範囲で歌われていたり、人知れずつくられていたりするケースもあるでしょう。しかし、社会における音楽のフレーミングとすれば、それらに言及する意義は必ずしも認められません。

 戦前の流行歌は、婚姻外の色恋を扱うか結婚をコミカルに描くかのいずれかです。前者の代表が淡谷のり子の『別れのブルース』(1937)、後者は杉教狂児と美ち奴の『うちの女房にゃ髭がある』(1936)でしょう。歌の女性たちがいるのは夜の世界や家の中といった具合です。男性作詞家の描く女性は男にとって都合のいい女にすぎません。女性の心情などほとんど理解できていないのです。

 最初に恋愛結婚が登場した流行歌は、梓みちよの『こんにちは赤ちゃん』です。タイトルからは気づかないかもしれません。永六輔作詞・中村八大作曲のこの曲は生まれてきた新しい命を讃える歌ですが、恋愛結婚が前提となっています。それ以前と違い、陽の光が射しこむような明るさに溢れています。翌年の5月、梓みちよは文京区の椿山荘で開かれた学習院初等科同窓会に招待され、昭和天皇の前でこの曲を歌っています。「人間宣言」をし、新憲法1条で「国民統合の象徴」と規定された天皇が同24条の保障する恋愛結婚を背後に持つ流行歌を楽しむ光景はまさに「戦後」です。

 この1963年は戦後の流行歌の歴史の転機となった年です。歌には戦後的価値観が明確化しています。『こんにちは赤ちゃん』の他にも、舟木一夫の『高校三年生』がヒットしています。戦前、青春の歌はありません。大部分は尋常小学校もしくは高等小学校を終えた段階で働き始めます。青春を謳歌できるのは一部のエリートだけです。学歴貴族たちは旧制高校の寮歌を合唱してそれを確認するのです。1949年に藤山一郎の『青い山脈』が戦後最初の青春かと思うかもしれません。けれども、これは旧制の女学校が舞台の映画の主題歌です。西條八十の七五調の歌詞は戦前の寮歌とさほど離れていません。ちなみに、寮歌の歌詞には「歌」や「我」、「夢」、「春」、「友」などが多いことで知られています。50年代にうたごえ喫茶が流行しますが、主要レパートリーはロシア民謡です。団塊の世代が新制高校に初めて入学学したのが1963年です。「戦争を知らない子供たち」が思春期を迎える時、青春歌が誕生するのです。

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