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批評の世紀、あるいは諷刺の黄金時代(5)(2006)

5 百科全書の時代

 こうした諷刺的批評の精神が辞典や辞書の作成を促したのは自然の流れだろう。それはまさに記号を並列に配置する。

1660年、ロンドン王立協会が創立される。初代総裁トマス・スプラット(Thomas Sprat)は、『王立協会史(The History of the Royal Society)(1667)の中で、協会では言葉の「シンプルさ(simplicity)」を最も尊んだと言っている。このベーコン主義者によると、これからの学者は誇張や脱線、もったいぶった文体を斥け、多くの人が言葉を通じて理解を共有できるように、簡潔で控え目、素直、明確、平明な叙述を心がけ、さらに、言葉の意味と用法を統一しなければならない。王政復古にもかかわらず、その主張にはピューリタニズムの影響が見られる。

 サミュエル・ジョンソン(Samuel Johnson)の英語辞書は王立協会の目標のパロディである。当時の英語は単語の綴りもまちまちで、階級や地域による発音や用法の違いも著しく、その状況はアナーキーと言っても過言でない。協会は英語における統一王朝を企てたわけだが、彼は英語の立憲政治を実現したのであり、その功績により、近代英語を作った男と賞賛されている。以後、彼の辞書が英語の規範となった反面、”dramatick”とワープロ・ソフトで綴るとスペル・ミスの警告が合図されるのを彼のせいにするのは酷であるとしても、多様性を削いでしまったのは確かである。

 サミュエル・ジョンソンは英語辞典を編纂する際に、収録語の数よりも、正書法を確立し、その用例には古今東西の文献から厳選している。1755年に刊行された『英語辞典(A Dictionary of English Language)』はルネサンス期から18世紀までの英語の文選あるいは引用集でさえある。謙虚にも、不定冠詞を用いているが、手にとった人はこの字引を英語辞書における定冠詞とし讃える。助手六人を使っていたものの、ジョンソン博士は.膨大な読書量に裏打ちされた驚異的な知識を活用し、ほぼ独力で完成させている。

It is the fate of those who toil at the lower employments of life, to be rather driven by the fear of evil, than attracted by the prospect of good; to be exposed to censure, without hope of praise; to be disgraced by miscarriage, or punished for neglect, where
success would have been without applause, and diligence without reward.
(Samuel Johnson “Preface to a Dictionary of English Language”)

 彼は、英国の法体系の如く、英単語の語源とその用法の変化を歴史的・経験的な「事実」を積み重ね、ヒエラルキーを排除している。この編纂の方針は、オックスフォード英語辞典などその後の英国の辞書に受け継がれている。

 サミュエル・ジョンソンは、諷刺の黄金時代の知識人らしく、英語辞書だけでなく、もう一つの規範も提供している。ジョンソンの弟子の一人ジェイムズ・ボズウェル(James Boswell)は、自作にさらりと引用するにはもってこいの名言が並ぶ『サミュエル・ジョンソン伝(The Life of Samuel Johnson)(1791)を著わしている。これは近代伝記文学の出発点である。

“When a man is tired of London, he is tired of life; for there is in London all that life can afford”.

“Hell is paved with good intentions”.

“Patriotism is the last refuge of a scoundrel”.

 しかし、英国の諷刺の黄金時代は、残念ながら、ヨーロッパでの文化的ヘゲモニーの凋落における輝きである。この時代の精神は産業革命により世界で最先端の資本主義国家ではなく、未発達の大陸で引き継がれていく。” All human things are subject to decay, and when fate summons, monarchs must obey” (John Dryden ”MacFleknoe”).

 森毅は、『数学の歴史』の中で、18世紀の欧州におけるイギリス文化について次のように述べている。

 イギリスはたしかに「先進的」であったし、ロックとニュートンは一八世紀ジンの輝きの星だった。フランクリンやペインを通じて、それがアメリカ独立の起動力になったばかりか、モンテスキュやヴォルテールを通じて、啓蒙主義からフランス革命にまでいたる思想的原動力でありさえした。しかし、実際は、この時代にはイギリスはヨーロッパ文化の王座から転落しつつあった。

 ジョン・ロックとアイザック・ニュートンの時代は、「イギリス文化を世界最高の位置にのばした」。しかし、大陸に対する英国の文化的優勢さは、経済力の進展とは反比例するかのように、18世紀に衰えていく。その文化の花は英国で枯れ、その種が飛んだ大陸、特にドーバー海峡を挟んだフランスで咲き乱れる。

18世紀、フランス語と手紙のネットワークによる「文芸共和国(Republic of Letters)」が欧州で形成されている。身分や出自を問わず、フランス語の読み書きができれば、このコモンウェルスに参加できる。王侯貴族や芸術家、知識人、文学者、商人、裕福な女性が加わり、議論を交わしている。この文芸共和国は諷刺の黄金時代の精神を発展させている。

 森毅は、『数学の歴史』において、18世紀について次のように述べている。

 現在の数学のどの分野でもオイラーの名を冠した基本公式を見出すことができる。オイラー、そしてラグランジュ、それにダランベールまで付け加えれば、現在に及ぶ数学の根幹は、十八世紀にできたともいえる。数学にとって、基本的な事実の発見という点からみれば、この時代は今までの歴史最高かもしれない。十八世紀は、数学にとって、事実の世紀だったのである。
 ついでに、この種の標語づくりを、比較のために試みれば、十七世紀は原理の世紀であり、十九世紀は体系の世紀とでもいうことになろうか。後代の人は、二十世紀をなんとよぶだろう。現代人のなかにはそれを方法の世紀とよびたがる人もあろうが、まあ、それはこれからの問題である。
 しかし、これらの個別的事実だけに、十八世紀を代表させるのも正しくない。歴史はいつでもそうだが、その時代の主流と共に、次代の主流となるべき流れが始まってもいるのだ。百科全書派は、この事実を秩序づけはしなかったが、十九世紀を育んでもいた。

18世紀は17世紀に発見された「原理」に立脚し、「事実」を探し出す。それは学びへの意志である。啓蒙主義は知識人による民衆の無知からの解放ではなく、すべてを知り尽くしてやろうというと知的貪欲さの現われである。啓蒙主義者も所属していた文芸共和国が生み出した最高傑作が百科全書である。それはエプレイム・チェンバース(Ephraim Chambers)の『百科辞典(Cyclopedia)(1728)に影響されて始まり、18世紀を代表する知的プロジェクトである。百科全書は「百学をひとつのサイクルに統合しようとするものだった。しかしながら、時代はまだ成熟していなかった。それどころか、十九世紀の秩序ある分断がその後に来るのである」(『数学の歴史』)。百科全書は「普遍的統合の外被における個別的集積」が見られ、18世紀の二重性を体現している。

 諷刺の黄金時代も「普遍的統合性」と「事実の堆積」という二面性を持っている。確かに、この時代は、部分的に、17世紀に属している。しかし、その精神は一八世紀の魁だったと捉えるべきであろう。

18世紀は「理性の世紀」と呼ばれるが、その理性は諷刺的である。啓蒙主義という合理主義と諷刺という非合理主義の拮抗、すなわち合理=非合理の対立図式による18世紀をめぐる理解は近代に毒されているにすぎない。百科全書は、諷刺同様、古今東西の知識・情報をまとめ上げている。しかも、データ・ベースでは使いやすさが優先される。神ではなくアルファベット順、すなわちロゴスによって並列に整理されている。神を頂点とするヒエラルキーは瓦解し、神も、人間同様、理性の裁きを受けなければならない。18世紀は神が人間宣言した時代である。”Know then thyself, presume not God to scam; the proper study of mankind is man”(Alexander Pope ”An Essay on Man”Ⅱ).

 この時期に、イギリス国王が議会の承認なしに政治に携われなくなったように、詩の絶対的優位さは崩れ、散文も詩と平等の地位を獲得する。ドライデンが桂冠詩人を剥奪されながらも他の分野で活躍した通り、詩人がそれだけである時代は終わり、散文も手がけていく。散文は活況を呈し、ジャンルにおかまいなしに、作家たちは作品を書きまくっている。啓蒙主義者の散文にはロマンスやSF、ファンタジー、アナトミー、諷刺などありとあらゆるジャンルが含まれている。批評もそうした一つのジャンルとして成立している。ただ、ジャンルとの境界ははっきりしておらず、批評は同時に他の何ものかでもある。

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