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植民地支配における日本語教育と日本近代文学の成立(2)(2004)

2 漢字廃止論
 1866年(慶応2年)、幕府開成所反訳方前島密は『漢字御廃止之議』を将軍徳川慶喜へ建白している。それは言文一致運動だけでなく、国語国字問題、すなわち送り仮名・使用漢字の制限を中心とする日本語表記の問題のほとんどをすでに網羅している。

 前島は、『漢字御廃止之議』において、漢字廃止のメリットについて、次のように請願している。

 国家の大半は国民の教育にして、其教育は士民を論ぜず国民に普(あまね)からしめ、之れを普からしめんには成る可く簡易なる文章文字を用ひざる可らず、其深邃(しんずい)高尚なる百科の学に於けるも、其文字を知り得て其事を知る如き難渋迂遠なる教授法を取らず、渾(すべ)て学とは其事理を解和するに在りとせざる可らずと奉存候。

 数が多く形も複雑な漢字を幼少の頃から学習するのは貴重な時間の無駄であり、国家的損失である。むしろ、仮名文字を国字と定めて新教育をする方が新しい学問や文明を吸収する余裕ができると説いている。後に、前島は、タイプライターの利便性をあげながら、仮名文字でなくとも、ローマ字であってもかまわないから、使用できる漢字の制限などせず、とにかく漢字を廃止すべきだという主張に転換している。

 この提言は幕府から無視されるが、欧米化による中華文明からの断絶を目標とする明治に入り、近代化と国民国家建設が始まると、にわかに表記の問題が脚光を浴びる。漢字の廃止は中国という父を殺す最大の目的が秘められていたけれども、表音文字を用いる西洋諸言語の表記法が広く知られるようになると、漢字と二種類の仮名を合わせて用いる日本語の表記をできる限り簡素な方法に改善する必要性が主張されるようになる。

 これは日本に限定した動きではない。漢字を使用している地域で、近代化における漢字の不都合がつねに論議され、各地域で簡略化した漢字が考案されている。革命後の北京政府も、20%の識字率の向上を目指し、簡体字に踏みきっている。55の少数民族を抱え、おまけに方言では漢民族さえも通じ合えない現状を克服するために、共通の言語と文字表記が欠かせない。

 しかし、漢字の持つ中華文化圏の統一性は近代化によって解体する。漢字はアジア的停滞あるいは反民族自決の象徴と見なされている。北京政府は、今や、この簡体字を他民族共存の基盤に考えている。彼らは漢字を東アジアにおける主導権の確保の一つとしてその国際的枠組み作りに熱心である。簡体字のみならず、繁体字の国際文字コードへの取り組みも最も積極的だ。

 他方、台湾政府は自らが中華文明の正統であるとして旧漢字、いわゆる「正体字」の使用を堅持してきたが、民主化以降、独立運動と絡んで、漢字が政治問題化している。その上、口語として使われてきた台湾語の表記に関して標準中国語、いわゆる「国語」との間で一貫性が失われている。表音であれ、表意であれ、表語であれ、文字をめぐる論争は尽きない。現在、漢字を用いている主な地域は中国と台湾、日本である。

 表記をすべてひらがなやカタカナ、またはローマ字によって行うべきだという意見があり、1883年(明治16年)に「かなのくわい」(現カナモジカイ)、84年には「羅馬字会」(現日本ローマ字会)が創立されている。西周や田口卯吉らは表記のローマ字化を提案し、清水卯三郎はひらがな化を主張している。

 他にも、ヨーロッパの各種アルファベットを参考にした新しい表音文字を新国字とするような提案がなされ、また、縦書きに代わって、横書きを正規にすべきだという主張のみならず、右横書きではなく、左横書きの合理性も提唱されている。こうした動きは、戦前期全般に渡って、何度か盛衰を繰り返している。同音異義語が多いこともあって、それぞれに工夫の跡が見られる。古代エジプトのヒエログリフで、同音異義語を区別するのに、発音しない決定詞を用いていたが、そういった試みもなされている。

 文字改良論者は脱亜入欧が主眼だったため、エスペラント語のような新たな言語の考案に向かわなかっただけでなく、アジアやアフリカの表音文字にはほとんど関心を持っていない。エチオピアのアムハラ文字に関する知識は乏しかったとしても、1446年、李朝の世宗によって創案されたハングルは一つの音に一つの文字が対応する世界史的に最も完成された表音文字である。にもかかわらず、ハングルを参考にする議論は湧き上がっていない。それどころか、朝鮮半島を植民地にした後、日本は日本語を朝鮮人に強制している。

 戦後、経済が発展するにつれ、契約書を筆頭にして書類作成などで特に見られる日本語表記の非効率性の問題が再燃するが、1979年、ワード・プロセッサの開発により、解決する。日本語の表記において漢字が主役であり、仮名は脇役である。漢字は筆という筆記用具がもたらしたのであり、筆から脱却し、鉛筆やペン、さらにはタイプライターを導入するために、漢字の廃止が唱えられている。言語の規則は筆記用具の産物でもあることをワープロ開発が明らかにしている。

 明治期の言文一致運動は、記述においては、鉛筆やペンの導入によって可能になっている。鉛筆は、筆に比べて、個人差が出にくいため、「国民」の生産にふさわしい。けれども、記述と印刷の違いは歴然として認められる。また、1980年代以降の新言文一致運動は、ワープロやコンピュータの普及により、実現化する。それは真の意味で「大衆」を体現している。「国民」が成人男性を指すとすれば、「大衆」は成人女性である。新言文一致が女性の語り口に基づくのは当然であろう。電子化は個人差が消失するだけでなく、記述と印刷の違いも、TeXのようなソフトの考案に伴い、無効となる。

 人為的な文字改革は必ずしも国民国家政策に限らない。聖メスロプ・マシュトツは、405年、ギリシア文字を参考にアルメニア文字を考案し、その後、聖書のアルメニア語を完成させている。また、1369年頃、モンゴル語を記す目的で、中国を支配下にしたフビライ・ハーンがサキャ派ラマ教の法王パスパに命じて、チベット文字を原型とする縦書きのパスパ文字を制定している。モンゴル語では、従来、アラム文字──アラム語は、現在でも、シリア・アラブ共和国のマアルーラなどで話されている──から派生したソグド文字を基礎とするウイグル文字を参照して、チンギス・ハーンがつくったモンゴル文字が使われていたが、フビライの死後、次第に、パスパ文字は儀式用にのみ限定されていき、モンゴル文字が再び用いられるようになる。中華人民共和国の内モンゴル自治区ではモンゴル文字が使われているものの、1941年、モンゴル人民共和国(現モンゴル国)はキリル文字を採用する。けれども、1980年代末の民主化の動きと共にモンゴル文字復活の運動が広がっている。つまり、文字の改革は外部との接触によって生じる。

 前島は、『漢字御廃止之義』の中で、「松平」という字に「マツダイラ」や「マツヒラ」、「マツヘイ」、「シヤウヘイ」、「シヤウヒラ」などの読み方があり、漢字を見ただけではどう読んでいいのかわからない「世界上に其例を得ざる奇怪不都合なる幣」と言っている。これは漢字全般ではなく、日本語における漢字の特徴である。中国語や朝鮮語では一つの漢字の読みは一つしかない。他方、日本語では一つの漢字に対応する読みは不特定である。日本語における漢字は、前島によれば、朝鮮半島や中国大陸と比べても、非効率極まりない邪魔者であり、抹殺しなければ日本の将来はないというわけだ。

 日本語は、他言語と比較して、発音・文法・語彙・表現などの習得が容易である。ところが、文字に関しては突出して難しい。一つ漢字に複数の読み方があるのがほとんどである。しかも、固有名詞や当て字の読み方には規則性が必ずしもなく、一つ一つ覚えるほかない。反面、母音や子音の数が少ないため、同音異義語が多く、それらを漢字によって区別している。日本語は漢字に依存した言語であり、その廃止は体系のバランスを崩しかねない。

 確かに、東アジアの停滞の原因を漢字に求める認識は当時のヨーロッパ人の間では強い。前島も、彼らの意見を取り入れて、漢字の廃止を訴えている。しかし、近代化に文字改革がつきまとうのは文字が帯びる過去と決別するためである。

 トルコ共和国建設の際、ケマル・パシャは、政教分離をする目的で、アラビア文字からラテン文字へと公用の文字を変更している。アラビア文字もラテン文字も表音文字であり、この文字改革は表音文字の効率性ではなく、文字が代表する文化が問われている。アラビア文字はイスラム文化であり、ラテン文字は近代化を意味する。近代化は過去との決別と西洋近代文明の受容であり、文字改革はその一例である。

 使用する文字の変更は、その文化と他の文化との諸関係の変換につながる。表音文字を採用する場合、発音を他の言語と比較して、分析し、新しい規則を作る必要がある。五十音表を元にして、ラテン・アルファベットを対応させれば、日本語のローマ字表記ができるわけではない。対外的な必要性から、1930年(昭和5年)から三六年に渡って、臨時ローマ字調査会が日本語のローマ字表記に関する標準化を試みて、内閣訓令によって日本式を元にして訓令式を公布している。ところが、五十音表を優先させ、「ツ」を「tu」とするなど発音に対応していない部分があり、当初の目的に反している。

 ヘボン式や日本式、訓令式、新訓令式などローマ字の表記は現在まで統一されていない。コンピュータのキーボードのローマ字変換は、それぞれの方式が混在し、さらに新しい規則が加わっている。日本語は、明治まで漢字を採用しているように、中国語との関係が強かったが、ラテン・アルファベットを使う場合、今度は別の言語と強い関係を構築することになる。「chi」を「チ」にするのか、あるいは「キ」なのか、それとも「ヒ」、または「シ」と読むのか、まったく使わないのかは参考にする言語によって決まる。

 黒船ショックから開国に応じたせいもあって、日本語のローマ字表記には英語が最も影響を与えている。江戸時代、蘭学者はオランダ語を使い、「おてんば」や「ポン酢」、「半ドン」、「どんたく」などオランダ語に由来する単語も日本語の語彙には少なくない。しかし、明治に入ると、政府はオランダ語学習の機会を公教育から一掃してしまう。1872年(明治5年)、駐日オランダ大使はオランダ語を官立の学校で教えるように要望書を出したけれども、政府はこれを却下している。明治維新に踏みきる情報が蘭学者からもたらされていたにもかかわらず、江戸幕府と密接な関係にあった理由から、オランダの言語は官立の教育現場にはふさわしくないと判断している。

 その代わり、医学用語がドイツ語に基づくように、外国語は特定分野と結び付くようになる。外国語の学習も政治的配慮から生じているのであって、日本語のアルファベット表記も政治的思惑が入り込まざるを得ない。

 前島は漢字廃止に関してさまざまな正当化を列挙しているが、実際には、それらは身分制に基づく封建社会から個々人が相互に平等な立場で自由に商品を交換し、労働力という商品を持った労働者が自由に移動できる資本主義社会への移行を反映している。前島は、1920年(大正9年)に『将来の国字問題(漢字廃止と二十年)』の中で、「仮りに制限しても金持にこれだけの金を使へといふやうなもので、有れば使ひたいのは当然である。気に入つた骨董品があれば買ひたくなると同じく、知つてゐる文字があれば其れを使ひたいのは止むをえぬ事である」と経済的な比喩を用いて漢字制限論を批判している。国民国家制は資本主義の発達に伴う市場経済によって形成された均質的な経済圏である。言文一致運動において効率性が問われているように、この頃の前島には資本主義的価値観が浸透している。

 前島は、『漢字御廃止之義』において、後の文学における言文一致についてもそうした価値観から言及している。

 国文を定め文典を制するに於いても、必ず古文に復し「ハベル」「ケル」「カナ」を用ひる儀には無御座、今日普通の「ツカマツル」「ゴザル」の言語を用ひ、之に一定の法則を置くとの謂(いひ)に御座候。言語は時代に就て変転するは中外皆然たるかと奉在候。但、口舌にすれば談話となり、筆書にすれば文章となり、口談筆記の両般の趣を異にせざる様には支度事に奉存候。

 前島の言文一致は効率性という価値観から導き出されているが、日本語の言文一致運動は、前島の段階で、すでに活用語尾に着目されている。日本語は活用語尾によって、対他関係が表象されるため、身分制社会から近代社会へと移行した場合、新たな対他関係が生じてくる以上、それに対応する新しい活用語尾が不可欠となる。

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