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なぜニューヨーカーは無愛想なのか(2016)

なぜニューヨーカーは無愛想なのか
Saven Satow
Sep. 17, 2016

“This is the city of dreamers and time and again it’s the place where the greatest dream of all, the American dream, has been tested and has triumphed”..
Michael Bloomberg

 2016年8月に開催された米民主党の党大会においてヒラリー・クリントン前国務長官が大統領候補に正式に指名されます。ノミネートの発表まで多くの人々がスピーチを行っています・。その中でも最も注目された一人がマイケル・グリーンバーグ前ニューヨーク市長です。

 無党派である前市長はドナルド・トランプ共和党大統領候補をこき下ろしています。その際、自分は「ニューヨーカー」だから、彼がペテン師だとわかると言っています。

 このレトリックは、アメリカの事情を知らないと、よく理解できません。アメリカ人は、”New York is different”や”New York has its own rule”としばしば言います。アメリカにはニューヨークとそれ以外の二つの世界があるという意味です。ジョン・マッケンローがコートで悪童ぶりを発揮した時、一般のアメリカ人は彼がニューヨーカーだからとその理由を納得しています。

 前市長のメッセージはこう解説できます。一般のアメリカ人は善人ですから、人を疑うことをしないでしょう。そのため、人に騙されてしまうことがあります。でも、自分はニューヨーカーなので、まず、疑いの眼差しで人を見ます。だから、人の本性を見抜くことに慣れています。そんな自分にはトランプ候補が食わせ物だとわかるというわけです。

 前市長はニューヨークが他と違うというアメリカ人にとっての暗黙の前提に基づいて話しています。しかし、外国人にはそれがわかりません。その外国人がニューヨークとそれ以外を初めて訪れた時、こんな印象の違いを感じるでしょう。

 ニューヨークでは人々は無愛想な表情をして、急ぎ早に歩いています。道路に腕を突き出し、指パッチンをすると、タクシーが止まってくれます。タクシーに乗ったら、運転手に”Sir”を使って話し、降りる際にはおつりをチップとして渡します。建物に入ったら、警備員にあいさつし、受付に向かいます。受付に”Hi”や”Hello”と声をかけ、すぐに用件に入ります。目的のフロアに行っても、誰も関心を示さず、自分の仕事を続けています。

 次に規模の小さい田舎町に行ったとします。町の人々はニコニコ微笑んで、誰かと話しながら歩いています。流しはないので、タクシーは電話で呼ばなければなりません。タクシーに乗っても、運転手に”Sir”と話しかけたり、チップを渡したりする必要はありません。建物に入ったら、警備員に声をかけずに受付に向かいます。受付に笑顔で世間話を交えつつ自己紹介をし、相手の話にも耳を傾けます。一通りおしゃべりがすんでから、にこやかに用件を伝えます。目的のフロアに就くと、皆興味津々でこちらの様子をうかがい、噂話を始めます。

 両者の違いは他者との共存の方法によります。どちらも、その世界にとって他者と共存するぇ合理的な姿勢です。

 ニューヨークは世界中から人が集まり、人口の流出入も頻繁です。外部と内部の境界が曖昧になります。こうした環境で摩擦をできる限り避けて共存するには、人々がお互いに第三者として振る舞う必要があります。第三者は外部と内部の二分法に属しません。ですから、知ったことじゃないとばかりに表情は無愛想です。

 衝突しないために、人々は他者に関心を示しません。ニューヨーカーはよく皮肉を発しますのも、他との距離感を保つためです。相互に干渉しませんから、自分の仕事に専念します。けれども、その際、主張したいことを口にします。共有している者が少ないですから、物言わぬと同意したと見なされるからです。

 けれども、知らず知らずのうちに行動が他者との摩擦の原因になる可能性があります。そのため、都市の流儀を教える人が要ります。それがさまざまな人と接する機会の多いタクシー運転手や警備員などです。人々が彼らに敬意を払うのはそうした役割を担っているからです。

 一般的に言って、アメリカのコミュニティは近代と共に移民によって形成されています。彼らは外国から移り住んだ自由で平等、独立した個人です。ただ、人口の流出入は限定的で、静的と言って差し支えン愛でしょう。

 コミュニティの外部と内部の区別が比較的明確です。住民は、もともと、異なった文化背景を持った移民、すなわち外部の人間です。それが同居するのですから、人々は内部の人間として振る舞う必要があります。自分はよそ者ではなく、敵愾心を持っていないと笑顔でなければなりません。出会った際に、絆を確かめ、強くするために、あいさつや世間話は入念に行います。

 刑事コロンボが関係者に会うと、世間話を交えつつ自己紹介をします。彼のスモール・トークはアメリカの伝統に則っているのです。

 お互いの情報が共有されていますから、あからさまな自己主張はしません。言わずともわかり合っているのです。コミュニティにいるのは基本的に内部の人です。摩擦を回避するために流儀を教える人が要りません。ですから、彼らはタクシーの運転手や警備員委に冷淡です。

 よそ者の出現は重大な関心事です。よそ者に関する情報を共有するため、噂話が欠かせません。内輪では情報を分かち合っていますので、お互いに私的なことまでよく知っています。現われたよそ者が何者であるのかわからなくては安心できません。

 楽しくもないのに、笑っていなければならないのは外国人にはつらいものです。よそ者が内輪に認められるまでには時間がかかります。全人格的な情報を入手、その人がコミュニティになじむ気があるかを確認するからです。受け入れると、彼らは身内と同様の態度で接してくれます。

 アメリカのコミュニティの人々の行動の特徴は日本の伝統的村落と比べるとよりわかりやすくなります。

 日本の伝統的村落の多くは、近代以降の合併と人口移動によってその姿を変えましたが、身分制に基づく集落からの連続性があります。近世では移動や職業選択、婚姻の自由もありません。その人が武士であるか農民であるか鍛冶職人であるかは髪型や服装でわかります、たいてい先祖がいつどこからここにやってきたのかはっきりしません。ずっと以前から全員が顔見知りで、共同体に全人格的に属しています。

 こういう環境では冠婚葬祭が絆の確認・強化の機能を果たしますから、普段から笑顔を振る舞ったり、あいさつや世間話を交わしたりする必要がありません。日本の伝統的村落であいさつを交わすようになったのは1920年代以降です。都市への人口移動が本格化し、見知らぬ人の出合う機会が増えたため、要らぬ衝突を避ける目的から政府があいさつ運動を進めています。

 長い年月によって形成された慣習の世界ですから、よそ者がそれを体得することは困難です。よそ者が内輪に入ることは限定的です。概して、通り過ぎる人として扱われます。

 アメリカは広いので、ここで挙げた特徴がすべてのコミュニティに当てはまるわけではありません。ただ、比較的規模の小さい田舎町はこんな感じです。住民の態度は気質として語られることが多いものですが、環境への適応という合理性を見逃してはなりません。

 アメリカにはニューヨーク以外にもシカゴやロスといった大都市があります。ある程度共有した特徴もありますが、世界都市という点で異なります。ニューヨークはアメリカ人だけのものではありません。外国人の街でもあるのです。

 2006年に公開された映画『インサイド・マン』に興味深いシーンがあります。デンゼル・ワシントン扮するニューヨーク市警のキース・フレイジャーが盗聴していると、外国語の音声が聞こえてきます。彼を含め警官はみんな何語なのかさえわかりません。

 キースは「ここはニューヨークだ」と言い、街に出て録音した音声を流し、何語かわかる人はいないかと叫びます。ある男がそれはアルバニア語だと教えてくれます。アルバニア出身の別れた妻が家族とこんな感じで話していたから間違いないが、意味までは分からないと言います。そこで、キースはその女性を探しに行くのです。

 ニューヨークには、世界中から人が集まってくるのだから、どんな言語であっても理解できる人がいるというわけです。このシーンは他の都市ではありえません。ニューヨークは世界と共存している都市です。そんな都市に住むのですから、ニューヨーカーは無愛想なのです。
〈了〉


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