鉄の女(2013)
鉄の女
Saven Satow
Apr, 09. 2013
“No! No! No!”
Margaret Thatcher
環境問題の専門家がマーガレット・サッチャーに「首相、これからは地球温暖化に関心を払わねばなりません」と進言すると、彼女はこうくってかかっている。「何よ、あなた、私に天気予報の心配をしろと言うの」。1年後、彼女は温暖化問題の重要性を国内外に訴え、「緑のサッチャー」と呼ばれている。
このエピソードはサッチャーが時代の流れをつかむのがうまい政治家だということを端的に示している。思い出せば、ミハエル・ゴルバチョフへの警戒感を解いたのも米国よりも早い。ただ、サッチャリズムと見なされている政策の中には、すでに労働党政権が実施していたものも含まれている。
サッチャー内閣は「中期財政戦略(MTFS)」を公表し、財政赤字を削減、政府の規模を縮小、「スターリングM3(Sterling M3)」という指標を用いて通貨供給量をコントロールしてインフレ抑制を図っている。しかし、この財政政策は彼女以前の政権が先取りしている。
1975年、ハロルド・ウィルソン労働党内閣は、差し迫ったポンド危機を回避しようとIMFに緊急融資を仰ぐ。条件を満たすため、支出削減を含む緊縮政策を実行に移す。76年4月に発足したジェームズ・キャラハン労働党内閣もこの路線を引き継ぐ。これに対し、自治体の労組が賃上げ要求のストライキを決行、78~79年に公共サービスがマヒしてしまう。この状況を英国民はウィリアム・ジェークスピアの『リチャード3世』のセリフを引用して「不満の冬(Winter of discontent)」と呼ぶことになる。
サッチャーの前任者たちとの違いは政策以上にその手法にある。戦後、英国は関係主体が協議してコンセンサスを形成する「合意の政治(Consensus politics)」を意思決定の慣例としている。彼女はこれを打ち破り、敵対を辞さない「信念の政治(Conviction politics)」へと転換する。時代の流れがわかったら妥協せず、一気にそれを推進するのが彼女のやり方である。
サッチャーは戦後形成されてきた政治文化を一変させようと企てる。福祉国家の矛盾が表面化し、「不満の冬」のように、英国では「多重国家(Overload state)」の問題が可視化されている。サッチャーは伝統的保守層ではなく、現状に不安感を覚える人々に社会変革の闘争への参加を呼びかける。それは新たな英国のアイデンティティ獲得のためのものである。サッチャーは、その際、仮想敵を想定する。敵か味方かの二分法を改革を支持するか否かに結びつける。自分に賛同しなければ、英国は没落していくだろう。サッチャーは不可避の気分を世論の間に創出する。
参加することで自分自身のアイデンティティも確認できるため、彼女の政策によって不利を被る層も支持を表明せざるを得ない。人々は、サッチャーと共に、仮想敵を攻撃する。これに一旦参加すると、抜けられない。彼女は市場による一元化を指向する。他の選択肢はない。政策が達成されるなら、不可避の予言は実現する。失敗はすべて自己の責任に帰せられる。社会は格差によって分断が拡大してしまう。
サッチャーは、イギリスの女性誌”Woman's Own”1987年10月31日号におけるダグラス・ケイ(Douglas Keay)とののインタビューで、「社会なんてものはない」と次のように答えている。
“I think we’ve been through a period where too many people have been given to understand that if they have a problem, it’s the government’s job to cope with it. ‘I have a problem, I’ll get a grant.’ ‘I’m homeless, the government must house me.’ They’re casting their problem on society. And, you know, there is no such thing as society. There are individual men and women, and there are families. And no government can do anything except through people, and people must look to themselves first. It’s our duty to look after ourselves and then, also, to look after our neighbour. People have got the entitlements too much in mind, without the obligations. There’s no such thing as entitlement, unless someone has first met an obligation.”
「あまりに多くの人々が、問題があったらそれに対処するのは政府の仕事だとすることに、これまでの間、慣れっこになってきたと思います。『問題があるので、私は補助金をもらう』。『ホームレスなので、政府は私に家を世話してくれなければ困る』。彼らは自分の問題を社会に向けているのです。いいですか、社会なんてものはないのです。あるのは個人の男女、それに家族です。どんな政府でも、人々を通して以外には何もできませんし、人々がまずは自分の面倒は自分で見てくれなければ困るのです。私たちの義務は、自分のことは自分で面倒を見ること、隣人の面倒も見ることです。人々の頭の中は義務なしで権利ばかりです。まず義務を果たさない限り、権利なんてものはないのです」。
サッチャーは近代を否定している。前近代は共同体があって、個人がいるという共同体主義をとる。個人は共同体に義務を負い、権利はあくまでその対価である。一方、近代は個人主義であり、権利の体制である。近代は基本的人権を有する個人が集まって社会が構成されるとする。政府はその社会のための機関である。だから、政府は個人の権利を保障する義務を負う。しかし、サッチャーは「社会なんてものはない」と言う。
社会がなければ、政府の存在理由は自己目的化する。政府は自分自身のためにある。個人は社会という媒介なしにこの自己目的化した機関に属することになる。政府は個人の権利を保障する必要などない。義務を果たしたなら、その対価として権利を温情的に保障するだけだ。
このサッチャーの主張はいわゆる自己責任論そのものだ。それは社会を否定する反動的な反近代主義である。いわゆる自己責任論は前近代的共同体主義に基づく国家主義にすぎない。
サッチャーの信念の政治が最も現われたのが労働組合に対する姿勢である。英国の労働組合の組織形態は、よく言えば分権的、悪く言えば断片的である。「ショップ・スチュワード(Shop steward)」と呼ばれる個々の職場の代表が競うように賃上げ闘争を激化させる。政府がいくつかの労組と交渉し賃上げを抑制させたとしても、他が追随しないため、当初の約束も反古にされてしまう。いずれの政権も労使交渉の秩序形成に取り組んだが、労組からの抵抗に遭い頓挫する。
英国の労働組合の問題点は、それ自体ではなく、その組織形態である。けれども、サッチャーは労組を仮想敵に仕立て、徹底的に敵対する。クローズド・ショップ制を廃止して、従業員間の組合員の優越的地位を奪っている。労組に許されていた争議手段を制限、ショップ・スチュワード制は有名無実と化し、おまけに解雇要件も緩和される。彼女の狙い通り、労組は弱体化する。しかし、失業率は高く、87年まで8%を超える水準が続き、失業保険の給付も増加、財政圧迫の一因となっている。
サッチャーはイギリスの長期的な衰退を自由化によって顛倒できるとして新自由主義を採用する。政府は産業に介入することをやめ、市場に任せるべきだ。そうすれば英国は活力を必ず取り戻せると信じている。
ロナルド・レーガン政権がサプライサイド経済だったのに対し、サッチャー内閣はマネタリズムが中心である。公共部門の縮小を目的とした民営化路線をとっている。対象範囲は非常に広い。エネルギー部門からインフラ部門、さらに航空機や鉄鋼、自動車なども政府から民間へ売却されている。けれども、下水道を始めこの民営化には支出削減以外での効果が見えず、競争が生まれて当該市場の活性化を促したとは言い難い。情報の経済学やゲーム理論に照らし合わせて、民営化の必要性がないケースもある。ただ、売却益は国家財政を潤したことだけは確かである。
政策は具現化したモデルによってその意義をアピールするものである。サッチャリズムでは、それが「サッチャーの子どもたち(Thatcher's children)」である。彼らは、サッチャリズムに乗り、金融業に就き、テムズ川沿いに住むニューリッチである。これは小泉純一郎政権の時に登場した「ヒルズ族」に似ている。もちろん、こういう手合いは揶揄の対象になるもので、ワイルド・ビリー・チャイルディッシュ&ザ・ミュージシャンズ・オブ・ザ・ブリティッシュ・エンパイア(Wild Billy Childish & the Musicians of the British Empire)が同名のパンク作品を発表している。
サッチャリズムは政策の効果に疑問があるだけではなく、整合性が見出せない場合もある。新自由主義は「ガバメントからガバナンスへ」と要約されるが、地方自治ではサッチャーはガバメント指向の政治家である。競争入札やベスト・ヴァリュー、NPMなどを挙げてサッチャリズムを称賛する日本の首長は皮相上滑りである。1986年、サッチャーは大ロンドンと六つの大都市圏の市議会を廃止し、一層制の自治制度に改める。これらの年は労働党の基盤である。また、補助金を削減、「レイト」と呼ばれる固有の地方税を廃止している。さらに、学校を地方教育委員会の監督から切り離し、カリキュラムや試験制度を中央の意向に従わせるため、政府による直接支援へと変更している。
これは、日本に置き換えると、国会が東京都庁と都の地方税の廃止を決定したようなものだ。英国において、地方自治は立憲主義に位置づけられていない。自治体の創設・廃止が法律によって決められる。英国の自治体の事業は限られており、断片的で、規模も小さい。また、現在では導入されたが、首長も直接公選されていない。自治体からボトムアップされた革新はなく、中央政府によるトップダウンの強制である。英国の地方自治は日本と発想が違うので、前提から知らないと、見当外れになってしまう。このような手法を日本の首長は支持しないだろう。
こういったサッチャリズムは民主主義の進化の点では貢献していない。できる限り多くの関係主体が意思決定に参加すれば、責任ある判断と行動をするようになる。サッチャリズムは、こうした現代民主主義に対し、信念を実現するために、その過程からできる限り主体を排除して、選択肢を消して不可避性を強める。意思決定過程には熟議がなく、それは儀式と化す。
サッチャーの最大の業績は「鉄の女(The Iron Lady)」のイメージを世間に浸透させ続けたことである。時代の流れを読む卓越した政治勘から方針を決め、他に選択肢がないと思わせて、強いリーダーシップを発揮して信念を実現する。真にわかりやすい。と同時にいささか滑稽でさえある。ジャネット・ブラウン(Janet Brown)がその姿をレゲエ調で『鉄の女(Iron Lady)』とパロディ化することになる。
マーガレット・サッチャーが亡くなったが、彼女に対する不可避の疑問は消えない。あの時、彼女でなければならなかったのか、あるいはかの手法でなければならなかったのかという検討は今後も必要だろう。彼女以降、不可避の政治は世界各国に広がっている。不可避のレトリックに人々はしばしば囚われる。それは自らを追い詰めていくことにもなりかねない。多様化・相対化した社会において、粘り強く調整しながら選択肢を見つける知恵と工夫が政治に欠かせない。信念の政治からの決別が課題として今も生きている。
〈了〉
参照文献
平島健司他、『改訂版ヨーロッパ政治史』、放送大学教育振興会、2010年
山下茂他、『増補改訂版 比較自治─諸外国の地方自治制度』、第一法規、1992年
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