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「情報を集める」から「情報が集まる」へ(2018)

「情報を集める」から「情報が集まる」へ
Saven Satow
Dec. 21, 2018

「只より高い物はない」・

 ビッグ・データ時代は従来と情報に対する収集の姿勢が異なっている。かつては能動的であったが、今は受動的である。それは「情報を集める」から「情報が集まる」への転換と言うことができる。

 従来、最も個人情報を収集していたのは中央政府を始めとする公共機関である。民間企業も取り組んできたが、国勢調査を実施できる政府に遠く及ばない。公共機関は、公共政策に反映させるため、資金と人手を費やして個人情報を集める。密かに行われる場合もあるが、公共機関は公共の利益に沿った目的に基づいて調査を実施、対象者にそれを説明して協力を求める。個々人は、確かに公益性があると同意した上で、自分の情報を渡す。

 個人情報は公共の利益のための資源である。その集められた情報の分析の視点はマクロになる。知りたいことは対象となる社会における諸集団の傾向である。居住地域や年齢、性別、家族構成、職業、所得などを調べたとしても、それは公共政策への利用が目的であって、私的領域に立ち入るためではない。

 集められた情報は専門家によって解析された後、結果が一般に公開される。これは調査者による提供者への説明責任である。と同時に、社会的資源として個人情報を収集・分析したのだから、調査対象者以外もデータを利用することができる。

 他方、ビッグ・データ時代には、民間企業が公共機関を上回る情報蓄積をするようになっている。10億人のアカウント登録があるFacebookを始めグローバル展開するIT企業は国家に勝るとも劣らない。しかし、企業は情報を集めているのではない。個人情報が集まってくるのだ。意識の有無にかかわらず、個人がサービスの利用を通じて企業に自身の情報を差し出している。こうしたサービスもしばしば無料である。しかも、その情報は社会調査のようなある時点を基準に集められ静的なものではない。常時更新される動的なものだ。

 この収集は公共の利益に基づいてはいない。そのため、情報の分析の視点はミクロである。解析を担うのはコンピュータだ。知りたいことは個々人の認知行動の傾向である。それは個人の内面に立ち入ることになり、その自由が脅かされる。

 集める場合は、目的が比較的明確であるので、個々人もそれを承知した上で、情報を渡す。収集者と提供者の約束に基づいているから、その目的以外に利用することは許されない。けれども、集まる場合は目的が確かだったり明かされたりすることがあまりない。提供者との同意も曖昧なので、収取者が恣意的に利用する恐れがある。と同時に、社会的ではなく、自社の資源と捉え、それを一般にも開示しない。

 しかも、民間企業は他社と取引・提携を行う。また、合併・買収・倒産も起こる。こうした過程で個人情報が売買・譲渡・漏洩する危険性もある。一度拡散すると、情報の回収は不可能である。

 カール・マルクスは、19世紀、資本家が労働力以外に売るものを持たない労働者を使って利潤を増やすことが資本主義だと説いている。しかし、今日の企業は個人情報以外売るものを持たない利用者を使って利益を上げている。これはもはや「搾取」である。
〈了〉

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