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外交官とコンピテンシー(2015)

外交官とコンピテンシー
Saven Satow
sep. 28, 2015

「日本大使?感じ悪いね。本当は欧米に行きたいのに、中東なんか来たから、慣れる気まったくなし。横柄だから、運転手も怒っちゃって。大使館でNHKとか日本のテレビが映るんで、そればっか見てる」。
ある在留邦人

 職務において期待される業績を継続的かつ安定的に発揮できる人材がいるものだ。インタビューしたり、観察したりして彼らを調査すると、行動・態度・思考・判断・選択などに一貫した傾向や特性が認められる。その際、職務で前提とされる知識や技能は除かれる。これを「コンピテンシー(Competency) 」と呼ぶ。

 コンピテンシーは職務において優秀な成績を上げる要因である。これが生まれた米国で90年代に人事制度への適用が進む。その後、日本にも輸入され、ビジネスにも応用されている。しかし、本来は心理学者による専門的な調査が必要である。さもなければ、直観主義的な曖昧さがもっともらしく独り歩きしてしまう。コンピテンシーを調べるコンピテンシーが要る。

 元々、コンピテンシーは人事管理のツールとして生まれたわけではない。安倍晋三内閣は、2015年9月25日、斉木昭隆外務事務次官の夫人である斉木尚子経済局長が国際法局長に来月5付で就任すると閣議決定する。この状況を考えるならば、むしろ、その発見過程に意義がある。

 1970年代初頭、アメリカ国務省は、同程度の知識・技能を持っている外交官(外務諜報員)であるにもかかわらず、パフォーマンスに差があるという悩みを抱える。採用時の成績と配属後の業績の間に相関性が見当たらない。そこで、ハーバード大学の心理学者D・C・マクレランド(David C. McClelland)教授にこの理由の調査を依頼する。

 マクレランドは、ハイパフォーマーを抜き出し、後にBEI(Behavioral Event Interview)と呼ばれる質問手法を用いて、彼らの嗜好や行動などを調査する。それを元に、高い業績につながる要因を抽出、数値化作業を行う。

 マクレランドはハイパフォーマーの特性を「コンピテンシー」と命名する。彼は外交官におけるそれを次の三つに要約している。

(1) 異文化に対する感受性がすぐれ、環境対応力が高い。
(2) どんな相手に対しても人間性を尊重する。
(3) 自ら人的ネットワークを構築するのがうまい。

 パフォーマンスの差は、採用時のテストで確かめていないこの三要因にあったというわけだ。自国文化が優れていると自惚れ、新たな環境に不平不満ばかりこぼし、地位や財産、経歴、人種、性別などで人を判断、利益に基づいて人脈を狙う。そんな外交官は確かに成果を築けないだろう。

 ところで、この特性を有している人たちがいる。それは人類学者である。異文化社会に飛びこんで、寝起き共にし、フィールドワークを行う彼らはこの特性を持っていなければ、そもそも研究にならない。それは下からの視点である。

 マクレランド研究によれば、現代の外交官には人類学者の姿勢が不可欠だということになる。従来、外交官は国際政治の専門家と捉えられている。当然、この政治は上からの視点である。しかし、それでは現代の外交官は業績を上げられない。上からの視線は外交官なら誰しも持っている。違いは下からの視点の有無だ。

 外交官として着任したら、その国の支配者層だけとつきあったり、メディア情報の受け入りだったり、本国政府の顔色ばかり見たりしていては。業績を上げられない。人類学者的外交官が業績を残す。現代の外交に必要なコンピテンシーは人類学である。外交官であるには、人類学者でもあらねばならぬ。

 戦後、平和憲法の精神に則り、非政府の組織・個人が地域の平和や発展に貢献しようと活動している。ペシャワール会や後藤健二記者などが一例である。そうした成果を挙げた活動は外交のコンピテンシー、すなわち人類学的な下からの視点に基づいている。彼らの行動が日本に対する世界からの評価を高めている。

 ところが、安倍政権発足以来、元外交官が頻繁にメディアで発言している。宮家邦彦立命館大学客員教授を始めその大半は政府擁護である。それは上の賛美なのだから、人類学的姿勢はない。上からの視線である。元とは言え、現政権では非人類学的外交官が威勢よく振る舞っている。コンピテンシーなき人材がのさばれる状況では、安倍政権は外交において絶望的だと言わざるを得ない。これまでの実績が台無しだ。
〈了〉
参照文献
山田恒夫、『国際ボランティアの世紀』、放送大学教育振興会、2014年

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