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傷ついた果実たち─寺山修司の抒情詩(10)(2002)

10 自己治癒力としての詩
 森毅は、『プレイバック文学青年』において、文学を「頭のオシャレ」だと次のように述べている。

 なぜぼくは文学を好んだかというと、それは頭のオシャレだったような気がする。人生を考えたり、社会を考えたりするためではない。文章の表現に楽しさを感ずることもあった。文体のリズムに心の拍動を合わせていることもあった。そうして得ていたのは、その文学がひとつの劇場を作って、その世界に遊ぶのを楽しむことだ。
 あとで難しく考えなおしてみれば、そこで得られたものは、その作品世界の時間感覚や空間感覚の体験だったかもしれない。展覧会や音楽会へ行くように、そしてそんなにわざわざ出かける面倒なしに、本の中の世界を楽しんでおれる。
 もともとぼくは、人生派や社会派は苦手である。ストーリーの展開だって、どうでもいい。その世界感覚を楽しめればいい。それがぼくにとっての文学である。
 そして、それはぼくの心をひろげることで、直接的にではなく、心の働きをゆたかにしたことだろう。それは「芸術」というほどでなく、オシャレ感覚にすぎないにしても。

 寺山修司の抒情詩は「その世界感覚を楽しめればいい」ものであり、「心の働きをゆたか」にする。彼はオルタナティヴを志向するラッパーである。寺山修司は、エーリッヒ・ケストナーにならって、『人生処方詩集』を「人生の傷口の治療に役立てたい」から書いたと記している。抒情詩は「薬にたよらずに、詩によって心の病気を治療する」ための「心の病のための処方箋」である。だが、それには「ふざけてみること」が不可欠である。自己治癒力としての詩だ。

 すきなひとを
 指さしたら
 ひとさし指から花がさいた

 きらいなひとを
 指さしたら
 ひとさし指が灰になった

 ところですきなひとのことを書いたら
 鉛筆から花が咲くのでしょうか

 きらいなひとのことを書いたら
 鉛筆は灰になるでしょうか
(『恋のわらべ唄』)

 セーヌ川岸の
 手まわしオルガンの老人を
 忘れてしまいたい

 青麦畑でかわした
 はじめてのくちづけを
 忘れてしまいたい

 パスポートにはさんでおいた
 四つ葉のクローバ
 希望の旅を忘れてしまいたい

 アムステルダムのホテル
 カーテンからさしこむ
 朝の光を忘れてしまいたい

 はじめての愛だったから
 おまえのことを
 忘れてしまいたい

 みんなまとめて
 いますぐ
 思い出すために
(『思い出すために』)

 鉛筆が愛と書くと
 消しゴムがそれを消しました
 あとには何も残らなかった
 ところで 消された愛は存在しなかったのかといえば
 そうではありません
 消された愛だけが 思い出になるのです
(『消す』)

男の子:どうしたんだ? 浮かぬ顔して。
女の子:あなたとのこと思い出したいの。
男の子:思い出したらいいじゃないか。
女の子:だって……。
男の子:だって?
女の子:忘れないものは、思い出せないでしょ。
男の子:なるほど。
女の子:思い出なんて、気まぐれなものね。
思い出す人って、きっとうつり気な心の持ち主だと思う。
(『恋愛論』)

 生きている間に、人間が行うべき精神活動は二つしかない。それは忘却することと想起することである。『田園に死す』においてでさえ、すでに「自分の原体験を、立ちどまって反芻してみることで、私が一体どこから来て、どこへ行こうとしているのかを考えてみること」と記している。反芻せよ!「後(のち)の月という時分が来ると、どうも思わずには居られない。幼い訣(わけ)とは思うが何分にも忘れることが出来ない。もはや十年余(よ)も過去った昔のことであるから、細かい事実は多くは覚えて居ないけれど、心持だけは今なお昨日の如く、その時の事を考えてると、全く当時の心持に立ち返って、涙が留めどなく湧くのである。悲しくもあり楽しくもありというような状態で、忘れようと思うこともないではないが、寧(むし)ろ繰返し繰返し考えては、夢幻的の興味を貪(むさぼ)って居る事が多い。そんな訣から一寸(ちょっと)物に書いて置こうかという気になったのである」(伊藤左千夫『野菊の墓』)。「あたしはあなたの病気です」(寺山修司『疫病流行記』)。

 寺山修司は、『さかさま世界史英雄伝』において、クリストファー・コロンブスから始まりライナー・マリア・リルケまで古今東西の二三人の「英雄」を批評している。全編を通じて、アル・ヤンコヴィックのパロディ・ソングさながらに、諷刺とユーモアが溢れている。「ゲーテ」では、ウエルテルの人生相談に答え、「紫式部」においては、『源氏物語』の女主人公を現代にあてはめるシミュレーションを行っている。世界史に輝く偉大な英雄たちは、寺山修司の手によって、滑稽な道化と化す。

 寺山修司は卑近な視点から彼らを批評するが、それは軽蔑しているからではない。彼は賀川豊彦や内村鑑三が描いてきたキリストを「感傷的で繊細すぎる」と拒否する。「ユダヤ小市民を軽蔑し、革命児たらんとした大工の倅で、娼婦、漁師、兵隊、前科者を集めて、家族制度の破壊を説き、放浪とフーテンの日日をおくっていたキリストは、メガネをかけたオールドミスたちの心の中のキリストさまとはべつの、やくざな、性的魅力のあふれた男っぽい男だった」と描く。と言うのも、「キリストも、聖書の中に閉じこめられて、オールド・ミスたちの生甲斐となるよりは、血わき肉おどる歴史書の中の一人物として扱われる方が、親しめるのではあるまいか」。寺山修司は英雄を歴史における権威とさせるのではなく、生き生きとした同時代人として扱っている。

 寺山修司のレトリックは読む者の思考に活気を与える。この本は椅子に腰掛けて、机に向かい、集中して読むよりも、ゴロゴロと寝そべりながら、その不真面目なトーンを笑って読む方がふさわしい。そうした方が、寺山修司自身に対しても、「親しめるのではあるまいか」。

 そんな寺山修司の抒情詩は文学のスキャット、スクラッチ・ノイズである。言葉は無意味であってもかまわない。言葉には、ときとして、意味以上に重要な機能がある。その響きやリズムがここちよければいい。一種のアート・ドーピングである。それは精神の自己治癒力として機能する。

 抒情詩以外でも、『巨人伝』や『ほらふき男爵』などでは、論旨をぶちこわしにするようなギャグや本筋とはまったく関係のない記述が挿入されたり、ただ思いついただけのナンセンスな言葉が発せられていたり、ゴチャゴチャと勝手な文章が割りこんでいたりする。この語り手はやりたい放題で手に負えない。「漫画は落書精神から発するというが、近ごろは、落書のような楽しい子供漫画が少なくなった。ぼくは、シリアスで深刻な話を描いていて、フッと自分で照れたときに、童心にかえるつもりで、このヒョウタンツギを出してみるのだ。最近、これすらも、『邪魔だから、こんなものは止めてください』と投書してくる子供が多くなってきたのには、ぼくはなんとなくさみしい気がする」(手塚治虫『ぼくはマンガ家』)。

 この遊びは言葉の持つ記号的性質を利用したものである。記号である以上、模倣の傾向がある。模倣は一つの意欲である。エノケンは「ベアトリネーチャン」ともじって歌っていたが、寺山修司なら、「ヘヤトナリネーチャン」とするだろう。天国へ案内する神聖なるダンテの恋人ベアトリーチェは今や『PLAYBOY』誌を飾るネクスト・ドアー・ガールというわけだ。

 こうした遊びを導入しつつ、「大人になった今 愛の修理を引き受ける大工になりたい と思いながら」(『愛の大工─心の修理をします』)と告げる寺山修司は、抒情詩において、最も多く愛を描いている。「マリアよ、われを救うことなかれ」(コドルス・ウルツェウス)。感情だけに訴えない抒情詩によって、愛はたんなる感情の発露から、温かな笑いを含むやさしいものになる。愛は抒情詩をとることによって、精神だけでなく、身体にも訴える。抒情詩が明らかにすることは、愛は歌うものではなく、語りかけ、囁くものだ。

さよならをしようと
手をあげたら
林檎の木の枝にさわった

枝を手折ってやり場なく
その花の白さを見つめているうちに

きみの汽車は
もういない……
(『愛する』)

夜更け
二階のどこかを おまえが歩く
その足音が こだまする
ぼくはその下で
本を読んでいる
戸外は風が吹いている
もうすぐ 秋が来るだろう

夜更け
二階のどこかを おまえが歩く
その足音が こだまする
ぼくは本を閉じる
家のなかで
ただ意味もなく足音が
二人を ひびきあわせている
(『愛について』)

半分愛してください
のこりの半分で
だまって海を見ていたいのです

半分愛してください
のこりの半分で
人生を考えてみたいのです
(『半分愛して』)

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