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国際的名声と路政治的野望、あるいはオランダ部隊の失敗(2002)

国際的名声と政治的野望、あるいはオランダ部隊の失敗
Saven Satow
Apr. 23, 2002
「シビリアンは信用できない」。
フレデリック・フォーサイス『ジャッカルの日』

 やはり死にたくない以上、経験豊富で、戦場を熟知している軍人の方が武力行動には慎重な態度をとる場面も決して少なくない。逆に、現場をよく知らないシビリアンが軍隊を扇動することもありうるが、それはシビリアン自身が法の下にある原則をないがしろにして考えることから生じる。その動機は、往々にして、「国際的名声」と「政治的野望」である。

 1995年7月、ボスニア=ヘルツェゴヴィナ東部のスレブレニツァで、7.000人以上のモスレム人住民がセルビア人武装勢力によって虐殺される。これは、第二次世界大戦以降、最大の虐殺事件である。オランダの戦争公文書館が5年の歳月をかけて調査した結果、PKOに加わったオランダ部隊が適切に対応できなかったために、この虐殺が行われたと報告している。

 その責任をとって、2002年春、オランダのウィム・コック内閣が総辞職している。現在、オランダのハーグには、旧ユーゴの戦犯法廷や国際刑事裁判所が置かれており、コック首相は「国際社会とオランダが犯した失敗の結末を直視しなければならない」と政治責任をとっている。

 報告書は、2002年4月23日付『朝日新聞』における脇坂紀行記者の「オランダ部隊の失敗に学ぶ」によると、「起きうることを予見せずに部隊を送った責任」を厳しく指摘している。1993年、各民族が殺し合い、難民が大量に流出する映像がメディアを通じて放映され、人道的な介入を求める世論が沸き立つ。そこで、「国際的名声を欲した」政府は派兵を急ぎ、議会も危険性を追求することなく、支持している。

 スレブレニツァは、当時、国連が「安全地域」に指定しており、モスレム人保護のために、オランダは約200名の部隊を派遣する。ところが、各派間の停戦合意が破られ、セルビア人勢力はモスレム人に激しい攻撃を加え始める。内務省の「直接の攻撃を受けない限り、反撃しない」規定に従い、軽装備のオランダ部隊は食料調達もできず、支援部隊も期待できない「地獄の中で自分たち自身が生き延びる」緊急事態に陥ってしまい、あの虐殺事件が起きてしまう。「人道的動機と政治的野望によって、政府は派遣を決めた。支えたのは政治とメディアだった」と報告書には記されている。

 日本政府も、そこまで深刻な事態を招いていないが、「国際的名声」と「政治的野望」のために、失態を演じている。1997年7月、橋本龍太郎内閣総理大臣は、カンボジアの邦人を保護する「準備行為」として航空自衛隊の輸送機をタイに派遣している。この「準備行為」は自衛隊法だけでなく、他の防衛に関する法令にも見られない。しかも、現地についての情勢分析が十分でなかったため、自衛隊機は、何の仕事もしないまま、戻ってきている。為政者として恥ずべきことに、橋本首相はたんに自衛隊機を海外に派遣したという実績を作りたかったがために、法を無視し、無駄な出動命令を下している。

 日本は過去の戦争の経験を踏まえ、国際紛争を解決するために武力を用いないと誓っている。その覚悟の下で、平和な国際秩序構築に向けて責任を持って加わり、そうした能力を射高めていく。それが戦後のあるべき姿である。ところが、「国際的名声と政治的野望」に魅入られ、歴史から学ばない政治家やメディアは、覚悟も能力も責任もないまま、判断・行動する傾向がある。戦争を「国際的名声と政治的野望」の手段にさえ認識している。

ところで、ニューハンプシャー・ガゼット紙が、2002年、「臆病なタカ派の恥の殿堂(Chickenhawk Hall of Shame)」という特集記事を掲載している。”Hall of Shame”は「殿堂(Hall of Fame)」のもじりである。そこに、正副大統領に始まり政治家、政府高官、マスコミ関係者の名前と病気や州兵応募など徴兵を逃れた事情(Lame Excuse)が添えられている。それが対イラク戦を唱える有力者の大部分が戦争体験のないことを明らかにしている。つまり、文民であるか、軍人であるかではなく、戦争を英雄物語として捉えない批判的認識こそが安全保障においては不可欠である。
〈了〉
参照文献
The New Hampshire Gazette, “Chickenhawk Hall of Shame”, 2002
http://www.nhgazette.com/chickenhawks/

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