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太宰治の『斜陽』、あるいは喜劇の解読(7)(1992)

8 喜劇の結末
 『斜陽』の喜劇性は次のようなエンディングによってさらに強調される。

 私はもうあなたに、何もおたのみする気はございませんが、けれども、その小さな犠牲者のために、一つだけ、おゆるしをお願いしたい事があるのです。
 それは、私の生まれた子を、たったいちどでよろしゅうございますから、あなたの奥さまに抱かせていただきたいのです。そうして、その時、私にこう言わせていただきます。
「これは、直治が、或る女のひとに内緒で生ませた子ですの」
 なぜ、そうするのか、それだけはどなたにも申し上げられません。いいえ、私自身にも、なぜそうさせていただきたいのか、よくわかっていないのです。でも、私は、どうしても、そうさせていただかなければならないのです。直治というあの小さな犠牲者のために、どうしても、そうさせていただかなければならないのです。
 ご不快でしょうが、ご不快でも、しのんでいただきます。これが捨てられ、忘れかけられた女の唯一の幽かないやがらせと思召し、ぜひお聞きいれのほど願います。
 M・C マイ、コメデアン。
 昭和二十二年二月七日。

 かず子の「お願いしたい事」は直治の遺書に書かれてあった希望に基づいているが、彼女は上原にそれを告げていない。本心を語らないというのは、作家がペンネームによって本名を隠すように、アイロニーの常套手段である。かず子はその社会から白眼視されるが、彼女の行動によって上原の家庭に対する重要な危機に陥ると推測されるような深刻さは感じられない。『斜陽』は完全なメロドラマ的な筋書きに基づいており、作品上の社会に対立したりそこから排除されたりする登場人物に読み手のメロドラマ的な共感は集中する、だが、それは社会の真の敵は社会の内なる精神というようなアイロニーの袋小路を露呈している。

 読者にとってはその社会以上に大切なものとして同情されると同時になぜ本心を口にしないのかという憤りも喚起する。つまり、この結末は、貞節と公認道徳との勝利を期待している、あるいは私生児は社会道徳退廃の徴候であると信じて疑わない読者を嘲笑するメロドラマのパロディーである。

 フライは、『批評の解剖』において、喜劇の結末に関して次のように言っている。

 喜劇が終わったあとに現われる社会は、これとはあざやかな対照をなす一種の道徳的規範か、あるいは現実的には自由な社会を表わしている。その社会の理念が定義されたり、公式化されることはない。定義と公式化は『偏屈もの』に属していて、彼らは予言できる行動を望むのだから。われわれはただ、新しく結ばれた二人がその後幸わせに暮したということとか、あるいは少なくとも気まくれに支配されない冷静な生き方をしてゆくだろうということを、納得させられるだけなのだ。だからこそ、すべてが上首尾に運んだ主人公の性格が、未成熟のままになることがよくあるわけで、彼の本当の生き方は、劇が終わったところからはじまるのだから、彼が見かけよりは本当はもっと面白い人物なのだろうと信じる他はない。

「人間は恋と革命のために生まれて来た」と確信し、「革命」や「道徳革命」という言葉をふりまわすかず子は人をほんとうに愛するに足る誠実さがないために、彼女の提示する「道徳革命」は目的論的であって、既存の道徳、すなわち常識に正対するだけで、ニーチェのように道徳そのものの系譜へ向かうことがない。太宰が、アイロニーを用いる際、書き手と読み手の間に共有されている暗黙の常識が前提とされていて、それに読者は同意することを促されてしまう。太宰への評価がわかれる一因はこの常識の認知をできるか否かにかかっているからである。

 何度も述べてきたように、太宰は印象的な言葉の使い方を提示する。それは彼の感性的選択である。その暗黙知を明示化することがなく、読者に理由を問うことなしにそのセンスのよさに感嘆することを求める。言葉の用法以外にも登場人物や作品構成などでも喜劇作家としてのセンスのよさを披露する。しかし、彼は自分の認知を対象化できないために、整合性を持って全体を組み立てることができない。知識を明示化すれば、広く読者に理解を共有することが可能である。けれども、太宰は暗黙知に頼るため、評価が割れざるを得ない。明示化を野暮とする通気取りやセンスのよさをアイデンティティとする貴族主義者に太宰はたまらなく魅力的だろう。

 太宰の語りは70年代の深夜放送のパーソナリティのようだ。DJが主流の国の人々にはこれは理解できないだろう。『走れメロス』は『走れ歌謡曲』として執筆すれば傑作になったことは間違いない。かず子は、喜劇の約束通り、あまり興味深い人物ではない。だが、その社会においては、アイロニカルにも、魅力あふれる女性である。かず子の勝利は共感と嘲笑の混合した新たな自分の社会の建設だ。『斜陽』はメロドラマの精神そのものを標的にし、太宰は『シンデレラ』のようなメロドラマ的なロマンスを罵っている。太宰の作品において、悲劇はその死を通じて喜劇へと新生する。つまり、『斜陽』は死と再生の生成様式を所有した一つの歴史的世界である。

 太宰の文学的才能は、『近代能楽集』の三島のように、『右大臣実朝』や『新釈諸国噺』、『お伽草紙』といった形式が決まったものの中で発揮される。太宰の作品の力量は作品構成にある。テレビ・ドラマの脚本家としての能力を持った太宰は定まった形式の中でアイロニーを用いて、その意図を転倒する。太宰の作品には私小説と定義される可能性をはらんだものも少なくないが、それは私小説が斥ける構成力を持っている。家や家族のことを書かれていたとしても、私小説ととらえるべきではない。

 家や家族のことを題材にして作品を書いた太宰が喜劇の形式を選びとったのには必然的な理由がある。と言うのも、喜劇の理論に最も示唆を与えてくれるのは、フライの『批評の解剖』によると、ロマンスに示唆的なのがユングであり、悲劇の場合それがニーチェの理論であるように、フロイトだからである。

 「死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った」。『晩年』においてこう書くとき、太宰は自分自身にアイロニーを向けている。このアイロニーが、すなわち「誤謬の訂正」が太宰の作品から〈人間〉の問題を奪う。太宰の小説は「人間そのものに付随した生理的な精神内容」である「虚無」に基づいた「心理通、人間通の作品で思想性はほとんどない」(『不良少年とキリスト』)。太宰の作品から「人間とはなにか、その存在の仕方とはなにかという問い」が発せられないのは、存在が形式の問題に置き換えられているからである。

 人間の人生の機微に疎い太宰の『斜陽』を今日論ずる意義はかなり限定されたものでしかない。『斜陽』はテーマとしては政治的抵抗と言うよりも、失笑してしまうまでの凡庸な議論に堕してしまっている。即物的で荒っぽい通俗さが太宰の論理・倫理の台座である。しかし、『斜陽』を、文学ジャンルから考察してみると、別の結論が導かれてくる。それは堂々としたものと陳腐なものとの結合の喜劇である。そこでは陽気さと絶望は同じ源泉から生じ、男も女も凡庸で愚鈍なものを演じているにすぎない。この世には悲劇のヒーローやヒロインなど、ボクシングのグローブをはめた野球のプレーヤーのように、へたなジョーク程度におよびでない。人間存在は高尚な悲劇ではなく、アイロニーと絶望が背中合わせの饒舌で馬鹿げた喜劇である。

 だから、太宰は「安楽なくらしをしているときは、絶望の詩を作り、ひしがれたくらしをしているときは生のよろこびを書きつづる」(『晩年』)。要するに、『斜陽』が読むにたえるのは喜劇という形式の持つ魅力のおかげであり、日本文学の中で喜劇の解読としての可能性は今日においてもまだ十分に残している。

 太宰は、それから、『人間失格』などを公表し、『斜陽』発表から一年後の1948年6月13日に、玉川上水に山崎富栄と入水自殺する。遺体は津島修治の誕生日である六月十九日に発見される。『グッド・バイ』が未完のまま遺稿となる。

 しかし、太宰は、日本近代文学において、最もすぐれた喜劇作家である。彼以降アイロニー作家や喜劇作家は登場してきたけれども、果たして太宰を乗り越えているかどうかは疑問である。太宰の作品を、「生理的」に、溺愛することも、嫌悪することも無意味と言ってよい。彼が用意した喜劇を克服していく必要がある。

 太宰の喜劇は、彼が好んだアントン・チェーホフの喜劇に比べると、本論の前半部分で考察したように、いろいろな問題点があり、不十分である。このロシアの作家は死にも、再生にも、「女がよい子を生むこと」にも、生を賭けることはない。だが、彼はすべてが「徒労」に終り消失してしまったとしても、にもかかわらずその限定の中で充実して生きるという認識を決して手放すことなどない。太宰の場合とはまったく正反対に、チェーホフの喜劇そのものが実はアイロニーであって、それが真に描いているのは、実は、悲劇である。

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