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米大統領選とリベラルの再定義(2016)

米大統領選とリベラルの再定義
Saven Satow
Mar. 15, 2016

“Arriving at one goal is the starting point to another”. 
John Dewey “Democracy and Education” 

  米大統領予備選挙において共和党はドナルド・トランプ、民主党はバーニー・サンダースが旋風を巻き起こしている。前者は党内最右派、後者は最左派に位置づけられる。しかし、こうした現象は今回が初めてではない。2000年の大統領選挙の際にも同様の事態が生じている。党内最右派のジョージ・W・ブッシュが共和党の大統領候補に選ばれ、民主党より左に位置する緑の党のラルフ・ネーダーがリベラル派の支持を得ている。

 この現象は保守・リベラルのいずれも自己規定を見失っていることが一因である。自らを定義できないために、相手を攻撃してその反動によって自己を規定する。保守はより右に、リベラルはより左に向かう。中道がやせ細り、両派共に非妥協的になる。

 近代は主に自由主義と保守主義の競争によって政治空間が形成される。ただ、主流は前者で、後者は対抗勢力である。近代社会は自由で平等、自立した個人によって構成される。この個人主義を基調に、自由・平等・友愛の理念を実現しようとするのが自由主義である。

 一方、保守主義は自由主義の理念先行が現実と祖語をきたすと批判する。個人主義の行き過ぎを警告し、共同体や習慣を重んじる。けれども、保守主義は現実立脚なので、自己規定できない。自由主義を批判して自らの位置づけを見出す。

 近代において社会・市場・政府の関係をどのように認識するかが時代によって異なる。相互牽制と考えるのか、相互補完と捉えるのか、相互依存とするのかで時代のありようが決まる。また、政府や市場が失敗した際の再建も時代によって違う。

 20世紀のアメリカにおいてリベラルを定義したのはニュー・ディール政策である。それは「大きな政府」としばしば要約される。世界恐慌という市場の失敗を政府がリカバーしたわけだ。

 J・M・ケインズがリベラリズムの系譜で論じられることはあまりない。けれども、彼の革命は公私の区別に再考を促している。自由主義は個人主義を基調にするから、公私の区別を検討する。プライバシーなどは自由主義からしか出てこない発想だ。

 第二次世界大戦後、ケインズ主義を組み入れた福祉国家が資本主義体制において標準的プラットフォームとなる。反共主義者として知られるリチャード・ニクソン大統領も、前任のリンドン・ジョンソン民主党政権の社会政策を受け継いでいる。社会における秩序を重んじながらも、国内政策の基調はリベラル系である。自由主義の過熱を保守主義によって沈静化するといった姿勢だ。

 公民権運動を皮切りにアメリカではマイノリティの自己決定権を擁護する流れが続く。それは主にリベラル派の主張であり、保守派は苛立ちを覚えている。

 1970年代にスタグフレーションが発生する。失業率とインフレ率が同時に上昇する事態に対して、ケインズ主義経済学は有効な対策を打てない。それに代わって「小さな政府」を主張する新古典派経済学が台頭する。政府の失敗を市場で回復すべきだというわけだ。彼らは、リベラルのケインズ主義に対抗するのだから、経済的保守派である。

 1980年代のロナルド・レーガン共和党政権はリベラルを攻撃し、保守派を結集する。先にあげた新自由主義と呼ばれる経済的保守のみならず、政治的・文化的なそれも支持層にしている。政治的保守派は軍事力によって国際社会におけるアメリカンプレゼンスを高めるべきだと主張する。彼らはネオコンと通称される。また、文化的保守派は伝統的価値観を守るべきだと考え、人工妊娠中絶や同性婚などを敵視する。宗教右派やキリスト教原理主義と呼ばれる。

 この三派は、実際には、相容れない。軍事力を強化すれば国防費がかさむから、政府規模は大きくなる。また、伝統的価値観を守るように連邦政府が行動することは個人の選択の自由を阻害する。

 文化的保守派は、従来、サイレント・マジョリティーと見なされている。彼らは宗教が最大の関心事であるとして政治に距離をとっている。レーガン陣営は選挙で勝ちたいために、人工妊娠中絶を政治問題化して彼らを支持層に引き入れる。

 三派は反リベラルという点だけで連合している。けれども、そのリベラルもケインズ主義の権威の失墜により、自己規定できない。リベラルの定義が明確であれば、そこからの距離で中道や保守を規定できる。それが見失われると、位置づけが相対化する。保守・リベラルいずれもが相手を攻撃して自己を位置づけるほかなくなってしまう。

 バラク・オバマ大統領はリベラルの再定義を行い、二極化したアメリカの再構築に取り組んでいる。一例を挙げると、彼は合衆国をキリスト教徒のみならず、他の信徒や無神論者によって成り立っていると演説している。

 しかし、彼の政治は中道で、二極化した現状では左右のいずれからも攻撃される。両派共に、オバマ攻撃によって自らの規定を確保していたとさえ言える。かくして状況が改善されないままに迎えたのが今回の大統領選である。

 リベラルを再定義するとすれば、ジョン・ロールズの提唱した社会的公正を実現しようとする思想になるだろう。税制などの政府活動を通じて所得の再分配を行い、機会の平等を確保する。これがなければ自己決定の自由が行使できない。

 市場は資源の効率的な配分に強さを発揮するが、公正さに関しては必ずしも十分ではない。今日世界的に問題となっているのが富の偏在、いわゆる格差である。アメリカの場合、レーガン政権以降進められた税制改革が影響している。これを改善するためには、政府の役割が必須だ。

 ポスト・オバマはリベラルno再定義の時代だろう。それができなければ、アメリカの二極化はまだ続く。
〈了〉

参照文献
網野徹哉他、『南北アメリカの歴史』、放送大学教育振興会、2014年

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