カボチャと柚子と段ボール

本当に、中学生とか高校生の男子って異常に頭が悪いと思うんです。これは全然けなそうとしているのではなくて、むしろ良い意味で言っているんですけど、彼らってとにかくくだらない。頭がおかしい。地球上で最もおバカな生き物だと思う。

で、まあいったい何の話をしようとしているかというと、冬至の話です。

1段目と2段目で全く関係がないように見えますが、まあ最後まで読んでくださいや。

12月に冬至っていうイベントが毎年あるじゃないですか。私は冬至とか夏至の日をめちゃくちゃ信仰しています。ひょっとしたらクリスマスとかよりも神聖視しているかもしれない。

なぜかって、とても分かりやすい節目に当たるからです。冬至を境にだんだんと日が長くなっていく。こんなに生活に密着していて明快な節目なんてそうそうないですよ。

さらにいえば、地球というのは太陽の惑星なので、この星で暮らしている以上太陽とは切っても切れない関係にある。もっと言えば命綱みたいなところすらある。だって太陽が無くなったら我々は死滅してしまうんですよ。日々を生きたいと思う者にとって、まさに太陽とは畏敬すべき対象であるのです。

「ヨシカがそばにいてくれないと死んじゃう。ヨシカ以外のものはサイアク無くなってもいいから、ずっと一緒にいようね」みたいな歯が浮くセリフを言ってお台場とかでいちゃついてるまさし君。君そんなこと言うけどね、太陽が無くなったらよしかもいなくなっちゃうんだよ。

まあそんな気味の悪い妄想はさておいて、冬至という日を大々的にお祝いしなければならない。お祝いって言ってしまうと少し語弊があるかもしれないけれど、とにかくなんかイベントをやりたい。何もしない手はない。


皆さんは冬至と聞いて何を連想するでしょうか。やっぱり大事なのは柚子湯とかぼちゃじゃないでしょうか。少なくとも私はそう考えていた。柚子の入ったお風呂で暖まり、そのあと栄養満点のかぼちゃを食べる。おお、想像しただけでなんと文化的で健康な生活なんだ。国民の義務とかにしてもいいレベルの営みである。

で、私はその崇高な文化をぜひ高校で実践したいと思案した。ここが本当に男子高校生の頭がおかしい点である。高校1年生のときの話だ。

思い立ったが吉日、冬至の前日に私は友達のサユリと行動に移すことにした。ちなみに、サユリは男である。

冬至にはなんといってもカボチャが必要だ。カボチャの無い冬至なんて、おにぎりを売っていないコンビニみたいなものである。カボチャの調達からすべては始まる。そしてどうせ食べるならば既製品ではなくて手料理を食べたい。人のぬくもりを感じたい。

そう思ったおバカ男子2人組は、クラスの女子に声をかけた。

「ねえ、明日カボチャの煮物を作ってきてよ」

とまあ私と同じ部活の女子だったので何のためらいもなく話しかけたのだが、一歩引いて考えてみるとどうかしている。唐突にカボチャの煮物を作ってこいだなんて、まともに取り合ってもらえないのがふつうだ。


ところが、何が幸いしてか分からないのだけれど、いともあっさりと快諾してもらえた。「タッパーとかに入れて持ってくればいい?」みたいな返事をされた記憶がある。物分かりが早すぎて感動した。

さて、以上のような流れをもってカボチャの確保は成功。となると、次に必要なのはゆず湯に入れるための柚子だ。柚子の無い冬至なんて、飲み物を売っていないコンビニのようなものである。

というわけでサユリとともに、放課後に学校近くのスーパーへ向かった。ふつうに柚子も陳列されていて、問題なく購入できた。

あとは学校へ戻り、買った柚子をロッカーかどこかにしまっておけば準備完了…

と思いきや、大事なものが足りていない。


そう、お風呂である。柚子だけあっても残念ながらゆず湯にはならない。高校には風呂など設置されていないので、これが大きな懸案事項なのだ。お風呂なしでもいいんじゃないのって思うかもしれないけど、お風呂の無い冬至なんて、雑誌を売っていないコンビニみたいなものである。何が何でも湯に浸かりたい。

で、侃々諤々の議論の末、まあ議論とはいってもサユリと私の2人しかいないんですけど、足湯ならできるんじゃないかという結論に達した。やっぱり風呂はさすがに無理。まず風呂に入れるくらいの広さの場所がないし、よくよく考えたら学校で全裸になって入浴するとか完全に法に触れてしまうだろう。学校で入浴して咎人になるなど、末代までの恥もいいところである。

ただ、足湯にしてもまるでビジョンが見えない。学校で足湯に浸かっている人なんて見たことも聞いたこともないし、現実的にできるのかという気もしてきた。学内で足湯に浸かっている自分が想像できなかった。

ところがそのとき、スーパーの裏手の一角に、段ボールが大量に積まれているのが目に入ったんです。そこでね、私は閃いてしまったんです。

大きめの段ボールにお湯を張ればいいんじゃないか。しかし段ボールに直接液体を投じるとふやけてしまうので、ゴミ袋か何かを被せてやればいけるんじゃないだろうか。

とサユリに話したら、彼もまた常人には理解できない発想に長けている人物なので、それでいこう!みたいな流れになった。かくして、「ご自由にどうぞ」と表示のある資材置き場から大きめの段ボールを拝借して学校に持っていき、準備は整った。あとは明日を待つのみである。


*****

時は満ちた。

冬至の日がやってきた。その日は完全な西高東低の気圧配置だったみたいで、乾燥して澄み切った空が頭上に広がるという、絵に描いたような関東の冬の日だった。うん、冬至はこうでなくっちゃね、と私も気合を入れて登校した。

さて、登校したらまずは最初に確認しなければならないことがある。

「カボチャ作ってきてくれた?」

「作ってきたよ!こんなのでいいー?」

おお、素晴らしすぎる。条件反射で垂涎してしまいそうなビジュアルのカボチャを彼女は作ってきてくれた。5人分くらいあっただろうか、タッパーの中のカボチャは、まさに冬至を彩るにふさわしい輝きを放っていた。てか、そういえば数量を伝えるのを忘れていたような気がする。まあ結果オーライ。

あとは昼休みを待つだけだ。これはきっと楽しいイベントになるぞ。


***

さて、待ちに待った昼休みになった。冬至パーティの始まりである。冬至パーティをやるよって言ったらサユリと私以外にも数人参加するという人が現れ、5人くらいの大所帯で中庭に繰り出した。今考えると、参加した人って本当に物好きだよなあ。

中庭で段ボールを組み立て、内側にビニール袋を被せる。あとはグラウンドのそばの水道でお湯を汲めばパーティのスタートである。

と思ったのだが、グラウンドの水道にお湯なんてなかった。冷水しかなかった。

これはまずい。からりと晴れた冬空の日。空気が乾燥して時折冷えた風が吹き抜ける日。こんな日に真水に浸かろうものなら地獄を見るに違いない。

しかし、お湯の出る水道は近くに無かった。世の中は不条理に満ちているという言葉が生まれる根本はこのあたりにあるのだろう。そう思えるほどに現実は無情だった。

仕方なくジョバーッと冷水を段ボールに入れて、中庭まで運んだ。いやね、この並々と水の入った段ボールが意外と重たくて、もっと遠い場所から運んで来たらそれこそ地獄を見ていたんじゃないかっていう気がした。だから一番近場の水道で、まあその水道に真水しかないとは言っても、汲んできたのは正解だったんじゃないかと思えてきた。

しかしね、ちゃんと水平に持って運んでいるつもりなのに、ちょっと揺れるだけで大きく段ボール内の水が波立つんですよ。それを繰り返すうちに波と波がぶつかり合って大きくなってじわじわと外に溢れてくるんです。ゴミ袋を張っつけているのは内側だけなので、外側に水が溢れるとそこからふやけていっちゃうのな。中庭に運び終えたころにはなんか段ボールの色の変わっている部分が増えてて、浸水が進んでしまっているようだった。

まあそれくらい誤差だろって思ってパーティを始めたんですけど、あの、真水って死ぬほど冷たいのね。足を入れた瞬間、思わず変な声出しそうになっちゃった。

で、まあそんな足水に柚子を投入するんですけど、全然柚子の香りなんてしませんでした。柚子の香りが引き立つのはあれがお湯だからなのであって、水では全く香りがしない。ちょっと考えればわかりそうなことなのに、なぜ気づかなかったんだろう。

もうここまででだいぶ自分のイメージとは異なった展開で物事が進んでしまっている。芳醇な香ばしい香りのする柚子足湯に浸りながら太陽に乾杯するというプランだったのに、どこで道を誤ったのだろうか。全くにおいすら立たない柚子がぷかぷか浮かんでいる真水に足を突っ込んで弁当を食べている自分。そして同じように真水に足を入れて歯をガタガタやっている友人が数名。親が見たら泣くんじゃないかっていう感じの光景が広がっていた。

だがしかし。しかしである。ここでカボチャ様の登場である。

このおいしさをもってすれば、今までの罰ゲームみたいな行為もすべて相殺されるに違いない。


パクリ。

おお、おいしい。予想にたがわぬ味だ。よく味が染みていておいしい。

で、まあ食べている間は愉悦のひとときを過ごしたんですけど、食べ終わってしまうと元の地獄に戻ってしまった。もはや足の感覚がなくなっている。

そろそろ終わりにしようかと誰かが言い出さないか。

たぶんみんなそう思っていたはずだ。それに、さっきから先生も数人中庭を通行していて、横目で我々の奇態な儀式を見てくる。部活の顧問も通りかかったんだけど、「お前ら馬鹿か」と一蹴された。うん、我々は馬鹿だ。

で、切り上げるタイミングがわからなくなっていたんですが、誰かが声を上げるよりも先に段ボールがお釈迦になりました。じわじわと浸水が進んでいた段ボールはついに耐えられなくなったみたいで、チョローッと水が漏れ始め、みるみるうちに水が溢れだした。

もうこうなると止める手段はなくて、みんな安堵の表情を浮かべながら水から足を抜き、冬至パーティは終了となった。中庭が水浸しになっていくのを眺めつつ、足を拭いて靴を履いた。

昼休みも残り数分。ふやけてぼろぼろになった段ボールと頼りなくかぶさっているびしょびしょのゴミ袋、水浸しの地面、そしてそこにぽつんと置かれた柚子。中庭が世紀末的な絵図になってしまった。

まあこの後はごみを回収して午後の授業に臨んだのだが、改めて振り返るととんでもなくくだらないことに時間を費やしたと気が付いた。なんだかんだ言って周りの連中も楽しんではいたようなので良かったといえば良かったのだが、別にやらなくてもいいイベントだった。

あとはもう少しちゃんと事の進展を予想できるようになろうと思った。予想が甘すぎるから今回みたいにおかしいことになってしまうんだ。


******

今年もまた冬至がやってきた。


さて、今年は柚子を湯船に入れて、お湯ではなく水でも張ってみようか。あの日を偲びながら太陽に敬礼するとしよう。


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