ポエム経由、浅い結論着

 批評家とは
批判することを職業とする人、のことを指す。

 また、批評とは
良い点、悪い点などを指摘して、価値を決めること、である。

 以下、自分の個人的見解を述べる。

 批評とは、過去の出来事に対して行うものだと、自分は考える。
後出しじゃんけんならば、誰だって勝つことができよう。

 批評という行為から、個人的感想の発表的側面や我田引水を排除することはできない。
批評で飯を食べている人、または己をよく見せようとする人ならば、特に、である。

 批評家の鋭い意見は、新しい発見を第三者に与えることもあろう。

 結論を書こう。
あらゆる批評家に対して、
“一切の皮肉を排して”
伝えたい言葉がある。


 あなたならば、現実をより良いものにできる。

 以上の文章は、特定の誰かに対してのものではない。
 過去の自分、いや、現在の自分に対しての、文章である。

 ここに、一匹の猫がいる、としよう。
猫は、かくかくしかじかな生き物で‥
という分析もできる。
そして、その猫を、ありのままの猫として捉え、撫でる、話しかける、という具体的な行動も取ることができる。

 目の前の現実は、変えようがない。
批評やポエムで、捉え方は、変えることができようが、
目の前の一匹の猫は、一匹の猫である。

 猫を、社会的出来事に、変換してみよう。なんでもいい、例えば、

そうだな‥

🤔🤔🤔‥

🦘‥

推し活、にしようかな。

 推し活、に変換してみよう。

 ある、推し活、がある。
推し活とは、云々
という分析も、できる。
しかし、
人生の息苦しさだったり、
(かなり大袈裟に書けば)魂の安息を、推し活により得ている人がいたとしたら。


 おっと、急にポエム臭くなってきたぞ。

 自分は、
(少なくともインターネット上にて意識していることとしては)
自分のあらゆる行動によって、ポジティヴな影響を周りに与えていきたい、と思っている。

 批評ができる人は、賢い、と、自分は考える。
 賢いのならば、批評という消費行動から、何かしらの行動で、生産側になることもできると思う。

 批評とは、ざっくり書けば、価値を決めること。

少なくとも、
あなたの価値の決定を、
あなたを嫌っている他人に委ねてはならない。

とは、最新版の、劇場版のガンダムのセリフの一部だったか。

 自分の言葉で書くと、
内なる情熱こそが、なにかを生み出す源泉である
と言ったところか。

批評をやめろ、内なる情熱に耳を傾けよ、
という単純な話でもない。

問題解決において、
いい点、悪い点の洗い出しは、なかなかなに重要だからネ。

まとめ!
 人生は、総力戦!

‥結論が浅い!

ペンギン🐧は、飛べないけど泳げるよね、
批評が得意な人は、批評する側にまわればいいのでは?
ペンギンを飛ばそうとして時間を無駄にしていいのか?
ま、みんながペンギンをペンギンだといつ気づくかという話であり、
結局のところ、ペンギンをペンギンとすること、それが銀河系のためになる

という最後の最後に詰め込んだ話は書くだけ書き散らして、
音楽で誤魔化します!

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