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なみだを新調した夜。

YouTubeでスピッツの「ロビンソン」のPVを観ていた

別段、スピッツのファンというわけでもないけど、懐かしくて何となく。

ファンどころか楽曲を耳にしても、知らない曲に関しては「ん?これはスピッツの曲だっけ?あれ?ミスチル?」なんてわからなくなってしまうくらいの、もはや非国民レベルの認知しか無いのです。(おねがい石を投げないで)

スピッツだけでなく、80年代以降〜現在の邦楽に疎いんですね。

でも、聴いていたら泣けてきた。歌詞の一語一語理解しながら聴いているわけでもないけど、スピッツのなにかが私の精神状態や体調にフィットしたんだろう。YouTubeのチョイスに任せて、他の曲も聴いた。「チェリー」「空も飛べるはず」はさすがに知っているけど、他は知らない曲ばかりだ。

一曲始まってしばらくすると涙がこみ上げてちょっと泣いて、曲が終わる頃に落ち着いて。というのを数回繰り返した。


共依存

わたしはnoteのこのアカウントで、3年間すがって離れることのできないでいるセフレの話を書いている。最近この関係が私にとって悪影響だというのがようやっと腑に落ちてきたので、すこしずつ彼から離れたいと思い、独りよがりだなと思いながらもnoteに想いをしたためることで感情の整理をしている。

最近本で読んだのだけど。私のように特定の相手に対して、

「私には彼しかいない」

「彼の役に立ちたい」

「いつか私の気持ちが伝わるはず」

というアブナイ思い込みで固執してしまう人間を「共依存症者」というらしい。

そして彼は、人に(セックスやお金を)要求するけど、こちらからの要求には応えない「搾取者タイプ」

DVをする人や、ヒモ男がこれに当たるそうだ。

(心理学としてもっと細かい分類があるのですが、ここでは本当にざっくりとだけ書いてます)


私の中には常に彼がいて、もともと少ないわたしの心と脳の容量を奪っている。比喩でなく、本当に常に。だから他のことに集中しづらいし、何か選択をする時にはすべて彼基準。髪型やファッション、聴く音楽、物の考え方。すべて彼中心の3年間。

彼の恋人か、気のおけない友人か、はたまた「彼自身」か。どれかになりたかったのだ。

彼から影響を受けて好きになったモノ、コトは数知れず。今わたしがいるこの部屋を無意識に埋め尽くしているし、彼といることがきっかけになって出会った人や得た体験もある。サバランの半分は優しさと、もう半分は彼でできている。

この思考が我ながら共依存症者の模範生のようだ。こわいよね。ほんとこわい。

なみだの種類

彼との3年間は、孤独と惨めさの3年間だ。寂しいなみだと怒りのなみだ、絶望のなみだをたくさん流した。

温かいなみだを流させてもらったこともあったけど、温かい気持ちになっていたのは私だけだった。彼にとって私への優しさは、今ある道具を長く同じパフォーマンスで使うための「定期メンテナンス」みたいなもの。今ならわかる。(卑屈だなあ、暗いなあと思われるでしょうけど・・・。でも本当にそうなんだよね。)

彼のことを考えるのがどんどん苦痛になってきている今、もう彼のことでなみだを流したくない。

でも、まだまだ私の中には「彼用のなみだ」が残っているみたいで、特に朝は辛い。

彼は減らせる。とわかった。

話はスピッツに戻ります。サバランはこの数時間ですっかりスピッツファン予備軍になりました。

さっきスピッツのことを少し調べて見つけたエピソード。

メジャーデビュー前、スピッツは「新宿LOFT」のステージに立つことをひとつ目標としていて、まだ無名だった89年に300人の観客の前でそれを果たしたんですって。

なぜ新宿LOFTが目標だったか。というのも、87年に同じく「新宿LOFT」でのブルーハーツのステージを観てショックを受けたスピッツのボーカルのマサムネさん。そこで一度音楽の道を挫折してしまったけど、やはり音楽を捨てきれず、メンバーに声をかけ再チャレンジなさったそうです。

「新宿LOFT」のステージに立つことが、自分が音楽を続けていくための関門であったんでしょうね。諦めないでくれてよかった・・・。

「新宿LOFT」は私も「彼が好きなバンド」を一人で観に行ったことがある。彼の好きな音楽を理解したかったし、次に彼と会ったときに話のタネになるし、チケット安かったし・・・。という理由で。

でも、今夜スピッツのお陰で私の中の「新宿LOFT」は、「彼の好きなバンドが出ていた新宿LOFT」ではなく、「スピッツが立った新宿LOFT」になるという、思い入れの上書きが為される可能性がある。

そして私は今それを。「私の中の彼に関わるもの」がひとつ減るのを恐れていない。

これ、私にとっては大きな進歩。

なみだの新調

スピッツを聴いて流したなみだは、32歳にして初めて出会った、私の「新しいなみだ」だった。

スピッツには、彼との思い出の粒子は紛れていない。

いつも心で彼とのつながりを求め、彼の好きな音楽を聞いては

「私ももっと早くこのミュージシャンの良さを理解したかった」とか、

「私には一切の感情が無いように振る舞う彼は、この愛の歌を聴いて誰を想うのだろう」

とか考えて、好き好んで苦悩のなみだを流して悦に入っていた自分は、いなかった。

物事の選択の基準を少しずつ彼から「自分」にシフトして、正常値に戻さないといけないのは解っていた。この夜、その糸口が見つかった気がする。


このなみだは今まで私の体のどこに隠れていたんだろう。もっと早く会いたかったよ。




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