お久しぶりです。

こんにちは。久しぶりにnoteに記事を書きます。サバランと申します。

noteに登録したのがちょうど一年前くらい。コロナとうつ病で本業を辞めふらふらしていたところを、知人からWebライティングの仕事を紹介してもらったのがきっかけでした。

当時は文章の練習と勉強のため、noteで人気ライターさんの記事を読み漁ったり、拙いながら自分でもいくつか記事を書いておりましたが、もともとの熱しやすく冷めやすい気質で、ある時からパタリとnoteを開かなくなりました。

ライターの仕事自体は、それだけで食べてはいけないものの細々と仕事を続けさせていただいており、本当にありがたい次第です。

noteを始めたばかりの頃、私は長く関係を持った一人の男性をそれはそれはお慕い申し上げていたんですが、ある日「彼には私と一緒になろうとかそういう気持ちは全く無い」という事実に向き合わなければならない瞬間が来まして、彼と一切会えなくなった、という状況でした。

noteで記事を書くときは、一人部屋で激しくむせび泣きながら、彼と過ごした日々の中で感じたことを書き連ねる。というスタイルが主だったように思います。

自分の中の気持ちの整理、報われない感情の発散だったと思います。彼の友人や知人にすら紹介もしてもらえない関係が長く続いていたので、誰かに彼と私の関係を吐露したかったのもあるでしょう。

今では目も当てられない文章で、すでに公開を止めてしまったものも多いですが、その時の辛さを乗り越えるためには必要なデトックスだったと思います。

さて、noteでは特別親しい方がいたわけでもないので「この記事を誰に書いているのか」と問われれば「自分のため」でしょう。

「伝えたいことがなければ文章を書く必要はない」

「人の心に残る文章、有益な文章でなければ存在価値はない」

という思い込みによって、「それなら私は書かなくていいや。すごいクリエイターさんはたくさんいるし。」とnoteで文章を書くのが億劫になっていましたが、そんなものは関係なく「なんとなく書きたいとき」があっても良いではないか。と思い直しこの記事を書いています。

楽しいです。

時が経ち、少し角が取れたというか、諦めがついたのでしょうか。

以前はnoteの有名クリエイターさんからとにかく吸収しようとして記事を読み、SNSをチェックしては、桁違いの「いいね」の数に嫉妬し苦しんでいたものです。

私は彼、彼女たちの文章が特に好きでもないのに「人気があるから」という理由で追いかけていたから辛かったのかもしれません。文章で食べていくことへの憧れや覚悟も薄かった。でもそれを認めるのも怖かった。

結果、noteを開かなくなり、SNSも友人以外のアカウントはほとんどフォローを止めることになりましたが、私にはそのほうが合っていたようです。

また「なんとなく書きたい」と思ったときには、ここに来ます。

もしも読んでくださった方がいらしたら、ありがとうございました。

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