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夏休み①|月15万円の自炊日記#123

2023年8月6日(日)~15日(火)。
金曜日から1回目の夏休みが始まった(会社の一斉休暇のほかに、各自好きな期間に休暇を取得できる)。
5年ぶりに父方の伯父宅(御年90歳)を訪問することにしたが、楽しいことだけではないのはわかっていた。

夏休みの準備

岩手への移動・滞在期間中は仕事ができない(高齢者世帯にはネット環境は無い)ので、日曜日から木曜日まで必死で仕事した。
急なタスクも入り余裕がなかったので、いつもなら15分は付き合う迷える中年社員の長話や一人語りもシャットアウトせざるおえなかった。
忙しさは、世知辛さにつながる。

お気に入りのTIME&STYLEの皿でデパ地下グルメを愉しむ。

長期間、田舎の実家や親せきの古い一軒家に滞在した経験がある人ならわかると思うが、そういう場所は、髪や爪に気を配る環境にはない。
また、東京では普通レベルの身だしなみの範囲でも、田舎では奇抜に見えるので、とにかく地味、もっと言えばダサいぐらいが、悪目立ちしなくていい。
私もグレーに近いベージュ色だったネイルをほぼ自爪に近い透明なジェルに付け替えておいた。
服はユニクロのTシャツ、白・黒を数枚持参し、風景に溶け込む準備を行った。

ネイルの前にアイスのアーモンドラテ。こういうお茶の時間がしばらくできないのが惜しまれる。

東京駅~新花巻

一般的な90歳の老人はどんなイメージだろうか? 私の伯父は、年齢のわりにかなり現代的な思考の持ち主だと思う。いくら親戚とはいえ、居丈高に怒鳴るような伯父であれば私も寄り付かないが、温厚で冷静沈着、情はあるが他人の事情を詮索しない、そして経済的に余裕があり、お金の面でも生活全般でも他人に依存しない点は理想的だと思う。
ただし、食の面では、昔の人の嗜好なので、パンもパスタも食べない。もし韓国料理やタイ料理を出されても、絶対に箸をつけないだろう。
そういうわけで、滞在中は、朝夜2回の白米が義務付けられる。普段、テキトーな食生活を送っている私にとって、正直、米は重い……。
朝はエスプレッソをぐびっと飲めば十分なのだが、ご飯・味噌汁・卵料理・鮭の1セットを食べ終わるまで席を立つことは許されない。
私の姿勢は「郷に入りては郷に従え」なので、現地に行く間にわがままな食欲を満たしておくことにした。

東京駅の南国酒家。まあまあ。
直通のチケットがとれなかったので、仙台で一度乗り換える。

新花巻~伯父宅

新花巻から釜石線に乗り換える。2両しかないこのローカル線は天気が悪いとすぐ運休になる。幸い、この日までは晴天だったが、翌日は大雨で運休していた。
無人駅を降りて、砂利道を歩く。
この先に家がある。

5年ぶりに見た「おじちゃん家」はジャングル化していた……。

滞在中のミッション

90歳と85歳(二人は義理の兄妹の関係)が暮らす田舎の大きな一軒家。
私が子どもの頃は、広すぎるシステムキッチン、シャンデリアのある洋間、和洋折衷のかわいい建具、「ナショナル」で統一された最新家電、洗濯物を干したり農作業用具を置くための離れを備えた「ちょっとお金持ちの家」に行くのが楽しかった。
※私は東京の狭い社宅に住んでいたので。

しかし、時は流れ、手入れがままならなくなった家は、誰かがどうにかしないといけない状態になっていた。

最初は掃除をしようと思ったが、拭いても拭いても真っ黒な廊下や、蜘蛛の巣だらけのお手洗いの前ではクイックルワイパーも掃除機も無力だった……。掃除機にいたっては、そもそも紙パックが交換されてないから、吸引してるかどうか怪しい(替えの紙パックはすでに廃盤になっている様子)。

滞在中、唯一貢献できたのは、高齢者にはキツい斜面にある墓地への墓参り。
何時の頃からか、母も姉も寄り付かなくなった先祖が眠る(父も眠る)墓に、ひとり柄杓で水をやり、花を手向け、お線香をあげてきた。

墓地なので、明瞭な写真は避けている。

なお、私の旧姓はこの地区ならではの苗字なのだが、徒歩3分にあるこの墓地は、同じ苗字の墓だらけなので、目的のお墓を捜索していたらあっと言う間に1時間が過ぎてしまった。

最初は小雨だったが、そのうち太陽が照らし始め、私は暑さと焦りで汗だくになった。
持参したペットボトルの水もなくなり、「ちょっとやばいな」と思ったので、いったん、斜面を降りて、お寺の住職さんに場所を聞いてみることにした。

しかし、こういう昔からある墓地は、当然データベース管理などされておらず、正確な位置情報は得られなかった……。
諦めようかと一瞬迷ったが、斜面を一番上まで登り、フラットな目線で目的地を探してみたところ、父の名前が刻まれた墓碑を発見した。
時々、「墓参りにもこない薄情者」みたいなことを言う人がいるが、こんなに難易度が高くては、遠のく気持ちもわかる。

これといって伯父の役には立たず、それどころか、いい年して年金生活者からお小遣いまでもらった姪ではあるが、家族を代表してお墓参りできたことはよかったかな、と思う。
なお、墓に手を合わせながら、「これからも職にあぶれず、そこそこ美味しいものを食べ、今のマンションに住み続け、時々旅行に行けるように見守っていてください」と資本主義に汚された祈りをささげておいた。

親戚の男の子

当初は、15日(火)の昼頃のローカル線で新花巻まで帰る予定であったが、大雨で運休したため、親戚の子に車で新花巻まで送ってもらった。
たしか、小学生の頃、一緒に海水浴に連れて行ってもらった記憶があるが、それ以来、会っていなかったかもしれない。

30年ぶりに再会した二人の間にぎこちない空気が流れていたが、少しずつ話しかけてみた。
少年時代から賢かった彼は、現在世間的にリスペクトされる職業についており、東京で多忙な生活を送っていること、久しぶりに帰省した実家は荒れていたので後から訪ねてくるお嫁さんのためにお風呂場のタイルを磨いておいたこと、認知症の進んだおばあちゃんがお盆の提灯を破壊したこと、帰省の旅に田舎の珍味(塩ウニやホヤ)を持たせられるが有難迷惑であること等など。
当たり障りはないが、共通の経験をもつ者同士だからこそわかる会話を交わした。

駅に着いて、携帯の番号か住所を聞こうかどうか迷ったが、お礼にお菓子を贈ってもそれもそれで相手も困るかと思ったので、お礼だけ伝え、何も聞かずに別れた。

新幹線の待ち時間。普通は名物をオーダーするのだが、この日は茹ですぎたナポリタンが食べたかった。

予約していた新幹線の出発まで3時間もあったので前倒しできないか検索したが、この時期はそう簡単には見つからない。
唯一、グランクラスのみ座席が3つあったので(言い訳ではない)、伯父からもらったお小遣いで変更させてもらった。
役に立たないうえに、小遣いまでもらい、挙句の果てに身の丈に合わないグランクラス(+6,000円)なんて乗ってしまい申し訳ございません。
でも、初めてのグランクラスは、めっちゃ快適だった!

なんか、罰があたりそうなくらい気持ちよかった。

再び東京駅から自宅へ

東海道新幹線が不通のため、お盆時期にもかかわらず、東京駅は空いていた。キャリーケースをころころしながら、グランスタで吸い込まれ、パニーニならぬ、パニーノを2個購入した。

エクレアの生地の一口サイズのお惣菜パン。

「イートインでスパークリングでも飲んじゃおっかな」とも一瞬考えたが、田舎から帰ってきたばっかりなのに、こんなに早く東京に毒されるのもどうかと自省しテイクアウトにした。
自粛しているのかしていないのかわからない。

2種類買って、私はカレー味をチョイス。ここ流行りそう。やっぱり次はイートインであれこれ頼みたい。

冷蔵庫の飲みかけの白ワイン(旦那が抜栓したらしい)をチビチビしながら、姉からのSMSを読み直した。
私は東京生まれだが、歳の離れた姉にとっては生まれ故郷である場所になぜ寄り付かなくなったのか? 理由は聞かないが、なんとなく想像はしている。伯父も帰省を強要しない。
母は、結婚当初の嫁・小姑との嫌な思い出が蘇ってくるらしいので、きっともう行くことはないだろう。

私もいい年なんだから、これからの冠婚葬祭の対応は買って出るべきなのだろうか。
メンタルの調子も落ち着いているので、今ならできるかもしれない。

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