松井顕太郎 | FIVE TABLE BREWS

広告業界15年を経て、広告、宿泊、地域活性化。と、ビール醸造研究中。旅の体験をぼちぼち…

松井顕太郎 | FIVE TABLE BREWS

広告業界15年を経て、広告、宿泊、地域活性化。と、ビール醸造研究中。旅の体験をぼちぼち綴ってます。

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モンゴルの湖に行って走馬灯を見た話

2006年の話。 この頃、大相撲では朝青龍が連戦連勝。 強さの秘密はモンゴルに行けばわかる気がして、 夏休みの3週間をモンゴルに捧げた。 宿を決めずに入国し、モンゴルに泣かされ、危うく死にかけた、極めて無茶で馬鹿だった頃の私の備忘録でもあります。 1.首都ウランバートルからモンゴルに着いて3日でやることがなくなり、途方に暮れた。 帰りのチケットの日付は3週間後。 首都ウランバートルの宿で、地球の歩き方モンゴル編を隅々まで読んだ。「この国のどこに行きたいのだ、お前は」

    • 2009年に書いたYouTube題材の卒業論文

      PCの中から大学時代(2009年1月提出)の卒業論文を発見しまして、2022年に読むととてもおもしろかったので、noteに掲載しようと思います。 当時執筆したYouTubeとコミュニケーションに関する論文です。 動画コミュニケーションについて~メディアとしてのYouTube~Video communications-YouTube as media-はじめに 私たちは生活の中で、映像に触れない日を過ごすことはほとんどないだろう。 1895年に、フランスのリュミエール兄弟

      • 再生

        「ボリビアのジェットコースター」の話

        2009年のこと。 学生生活最後の長い休み。社会人になる前に、もう旅なんてこりごりだと思えるほど遠くへ行こうと決め、南米へ50日間の一人旅を計画しました。いわゆる卒業旅行です。 ペルーのリマから入り、ブラジルのサンパウロから出発する南米縦断の旅。持ち物は着替えとカメラ、そして筆記用具だけ。リマから出発し、50日後にサンパウロを飛び立つため、4600kmの陸路を時間制限つきで進む、まるでゲームのような旅でした。 宿は予約せず、その場の流れに任せての行き当たりばったり。 考えが甘かった。日本の南北がせいぜい3000kmだとしても、南米の広さは桁違い。無謀だったし、アホだなとも思った。でも、それ以上におもしろかった。 そんな旅で撮った動画の話です。 場所は南米2ヵ国目、南米一貧乏と言われる国、ボリビアの首都ラパス。 この街の標高は3640m。世界一標高の高い首都。 ペルーで高地に慣れたとはいえ、街歩きでさえ息苦しい。肺が痛い。 街の色はカラフルに汚くて、アンデス文化が色濃い感じ。 ラパスには、旅中で出会った日本人のダイスケくんと一緒に入った。 出会った場所は、ペルーにあるチチカカ湖の長距離バス停。アジア人ぽい人がいるなと思ったその人がダイスケくん。バスも偶然同じで、同世代の彼とは息があった。 そんな彼とゼーゼー言いながらラパスの街を歩いた。 しばらく歩いて現れた空き地に、手作りで組み立てたような、簡素な遊園地が現れた。小さい観覧車や海賊船なんかもあったが、一際目立っていたのが「ジェットコースター」。 今にもくずれそうで貧相な佇まい。 力学を学んだ人が作ったようには見えないカーブ。 あきらかに、ヤバいと感じた。 ダイスケくんも「コレヤバいね」と言ったのをよく覚えている。 絶叫は好きだが、ここは南米最貧国ボリビア。不安しかない。 コースターのスタッフには「乗れ!乗れ!」とジェスチャーで煽られまくる。 とにかくここボリビアでは、アジア人は珍しく、街でもニヤニヤされ、よく絡まれる。 我々と同じくジェットコースター前で迷っていた現地の子供たちからも「乗れ乗れ!」と笑いながら煽られた。 「ヒヨってジェットコースターに乗らなかったら後悔するやろ」と私が言うと、ダイスケくんも「マジ?、、、行っちゃいますか」と覚悟を決めてくれた。 完全な後先考えない馬鹿二人である。 お金を払い、案内されるがままに乗り込んだ。 二人乗りのコースターには、バスの座席についている腰だけで止めるペラペラのシートベルトしかなかった。笑った。 コレ大丈夫じゃないかも。 と思った瞬間にスタートした。 持ち込み禁止のルールなんかあるわけないので、前列の僕はジェットコースターの様子を手持ちのデジカメで録画した。 ------ ここから動画 ------ 二人で降りた瞬間、爆笑した。生きた心地がヤバかった。 帰り道も笑いが止まらなかった。 空気が薄いから笑うのも命がけ。 それでも笑えた。 その夜も、撮影していた動画を見返してまた笑った。 二人で涙を流して笑い転げた。 高地で苦しいのに、酒を飲みながら何回も繰り返してみて何度も笑った。 自分たちのバカさ加減と、乗ったものにしかわからないあの恐ろしさが面白かった。 恐怖と標高の高さからくる酸素濃度の薄さが脳によくわからない分泌液を出し続けていたのかもしれない。 ダイスケくんとは1週間くらい行動を共にした。 よく酒を飲んで、よく語りあった。ボリビアのコチャバンバという街で別れた。彼はチリへ行き、私はウユニへと向かった。 互いに縛らず、自由なところが良かった。 この動画はアップしてすぐに収益化され、10年で10万円くらいは稼いでくれた。地味に再生数が伸び、最近300万回を超えた。すごい。 今は、収益化のルールが厳しくなり、収益化からも外れ、ただの面白い動画扱い。 なぜか、最近おすすめ動画にピックアップされるようで、毎日10件程度コメントが付く。2009年の動画にコメントが付く。嬉しいすね。 そんな、旅の動画の話でした。

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