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5年前 <3>

手術は30分程度で終わる簡単なものだが静脈麻酔を入れるので術中の記憶などない。目が覚めたら終わっている、そんな感じ。うーん、こんな短期間で手術2回。そして忘れちゃいけない、手術が成功して見事病巣が取れたらいよいよ顎変形症の大手術が1年後くらいに控えている。取れなかったら……?ああ、そんなこと考えたくないな。

手術までの短い間も県内のがんセンターの患者会に出たりした。そうでないと落ち着かなかったから。そこでは月一度大きな患者会があり、それとは別に部位別やシングルしか参加できない患者会もあった。月一度の患者会はざっくりと部位ごとにテーブルが分かれていて、私が着いたところは当然女性しかいなかったのだが、私以外の参加者はたまたまその時は全員同じ部位の人たちばかりだった。あ、またプチ孤独。
その時はコロナなんてものはまだなかったのだけど、私はマスクを着けていった。口に入ってる矯正装置が目立つから、いつも外出時にはマスクをしていたの。そんなもの気にする人なんていないのは分かってるけど、自分的に嫌だった。
テーブルにいる人たちはそれぞれ、自分の状況などを話しても話さなくてもいい。けどみんな話していたし、躊躇いなどないので私も話した。手術をしたけれど病巣が取り切れず1週間後に再手術を控えているけど、この選択肢でいいのかなと悩んでいる。臓器が無くなること自体は嫌じゃないとは言い切れないけど仕方ないと思っている。もうこの年齢だからたとえ私が望んだとしても子供をもうけるのは難しいしそもそもそんな予定などないし望んでもいない、けど臓器を取ることでQOLが著しく下がることに耐えられそうもない、とね。話し終わった後にスタッフの女性に「貴女まだお若いのに、場合によっては臓器を取ると覚悟なさってるのね」と言われた。若い?私が?年齢は告げてなかったけど。
ああ、私40歳になりました、数日前に、と答えると
そうなの!?まだ30歳くらいだと思っていました、と驚いていた。きっとマスクをしていたからそう見えたのかもね。

手術の日。1回目と同じきれいな個室で手術までの短い時間を過ごす。ほかの個室ではどうやら産後の人が新生児と過ごしているようで家族らしき人たちとの話し声が聞こえてくる。私はテレビを付けた。一回目のときはちょうど冬季オリンピックでボーっとそれを眺めていたけれど、今回は土曜の午前ってことでどのチャンネルも旅番組や料理番組ばかり。ああ、お腹が空いた。昨日の夜から絶食しているからキツい。テレビを消し天井を眺めていた。

しばらくして呼ばれて、1か月前にも横たわった手術台の上。看護師さん(この病院には女性しかいない)が5人くらい、準備をしている。カチャカチャと金属音が聞こえ、腕には計器などが取り付けられていく。先生が入って来て「じゃぁ、少しの間眠っててね~」と明るい調子で言った。うん、私は先生に任せるよ。
「今から眠くなるお薬入れるけど、心配しないでね」と看護師さんの優しい声を聞いてるうちに私はつかの間の眠りについたらしい。目を開けると先生の顔が見えた。先生は
「終わったよん!じゃ、ゆっくり休んでね」とまた明るくサバサバした調子で言った。
ああ、どうか病巣が完全に取り切れてますように。そう願うしかなかった。

個室に戻り横になってしばらくすると麻酔が切れたのか下腹部に気持ちの悪い痛みを覚え、腹もグーグー鳴っているーーああ、私は生きてるんだなぁ。こんな時でも空腹を感じるなんて!家に帰ったら何を食べようかな。こんな時くらい、誰かにご飯を作ってほしいけど、私はぼっちだ。それに口には矯正装置が入ってるから好きなものを食べることも出来ない。タクシーを呼んでもらって家に戻る。ああ、迎えに来てくれる人なんていない。孤独だ。けど誰かを頼るのも嫌だ。そもそも頼る人なんていないんだけどね。

私が死んでも悲しむ人もいない、それはある意味では救いでもあった。患者会や闘病ブログで「自分は楽になりたい、解放されたいのに家族のために延命治療をしている。正直それは苦痛だ……」と苦悩を吐露している人のなんて多いことよ!

「何もしなくても心臓は動くし、腹も減る」
これは私が中学生の頃に書いた詩の一部だ。とっくに詩をしたためたノートは全部捨ててしまったけれど、この詩は覚えてる。
生きてるがゆえの苦悩。私の敬愛する画家たちもそれをテーマに作品を生み出した。
ーー私は一体、何を生み出せるんだろう?自分が生きた痕跡を残したいような、そうでないような……。