見出し画像

がん患者の戯言

自分でも忘れかけ......いや、忘れていないですが、わたくしはがん患者です。もうすぐまた検査の日がやって来ます。毎回、結果が出るまで生きた心地がしません。結果自体は生検に出して割とすぐに出ると思うのですが、世話になっている病院は、がんだと結果が出ても予約日まで連絡はしない方針(?)のようでして、予約日までの一か月は(なかなか予約が取れない病院なのです)再発転移があったら......?と思いながら過ごしています。

時々「『死にたい』と思っている人が、がんを怖がるなんておかしい」というおバカさんが現れますが、苦しんで死にたいだなんて大多数の人は思いませんよね?死ぬのに苦しみはマストなのですか?

そうです、いつかみんな誰もが死ぬんです。その時に出来るだけ苦痛なく、自分の望むような最期を迎えたいとは思いませんか?

もう何度もわたくしは安楽死制度に賛成だという話をしていますが、まぁ残念ながらこの国でわたくしが生きている間に合法化されることはおそらくないのではないでしょうか。これまたしつこいですが、がんは日本人の死因のトップです。3人に一人はがんで亡くなり、また生涯に2人に一人がかかる病です。これ、今は健康でも他人事と言えるレベルの確率でしょうか?わたくしの母のように、見つかった時すでに末期、早期発見できることは極めて少なく、予後が悪いようなタイプのようながんもありますが、わたくしが患っているがんはゆっくりと進行し(末期はその限りではないのですが。また当然個人差があります)、著しくQOLが下がるがんです。何度も再発転移している有名人の話も何度も見聞きしています。

苦痛を伴い、そして治るかどうかはわからない治療を受け続け、苦しみながら死にたい、ベッドで寝たきりになったまま全身に管やらなんやらを付けられてただ天井を見つめながら死ぬまで過ごすのでも構わない、ただ生きてさえいればいいという方もいるかも分かりませんが、そうではない方も大勢いると思うのです。

これまたうんざりするほど言っていますが、何も安楽死(医師による自殺ほう助等)というのは、よく誤解されているように何も自殺志願者だけが望んでいるものではないのですよ。精神疾患や人生詰んだという理由でも安楽死が合法的に許されている国の、安楽死を遂げた方々のデータを見てみてください。そのほとんどが悪性腫瘍、つまりがんの方ですよ?その次に死病ではないが一生完治は見込めずほぼ寝たきりを余儀なくされる病気の方などが続きますが、がんに比べればかなり割合としては少ないです。

今まで書いた内容と相当重複しますけれども、俗にいうところのデスハラが懸念されるから安楽死制度に反対しているという人とは話にならないことが多いです。向こうも向こうでこちらをそう思っていると思いますけれども。デスハラなんて、もうすでにあちこちで起きてるんですよ。なんなら、安楽死制度反対派に自殺教唆をされたことすらある身としては、随分と適当な主張、説得力のないものだとしか思えません。合法化されたとしてもいくらなんでも、安楽死を希望する本人が献血でもするように気軽に施設にフラッと入って「今から安楽死お願いします」と言えば受付が「はい、今なら30分お待ちいただければ大丈夫です」なんてものになるわけがないですよね?合法化されている国の現状だって、医師の診断書をまず書いてもらうのにも幾多ものハードルがあり、簡単には安楽死が出来るようにはなっていません(当然)。何しろとにかく一番大事なのは本人の意思です。これは様々な段階で何度も確認することになっていると聞いています。死ぬ間際、安楽死薬を入れる直前にもです。

デスハラへの懸念から安楽死制度に否定的な人というのは、治療しても治る見込みが薄い、苦痛を伴う治療を受け続けたり、QOLが著しく下がっても生きるべきだと考えているのでしょうか?それは誰のため?自分がそうしたいというのならさほど問題はありません、多分。自分の意思、自分が自分のことを決めるのは当然の権利ですからね。けれど他の誰かに強制することでしょうか。どんな状態でも生きていてくれというのはエゴでしかないのではないかと思うのですが。「じゃぁ何もせずに放っておけ、死ねと言えばいいのか?」という反論も来そうではありますが、個人の意思より尊重されるべき他人の意見や感情って何でしょう。それこそひとの尊厳を踏みにじってはいないでしょうか。もしわたくしに大切な人がいたとして、その人が近いうちに安楽死で死にたいと言ったら、心情的にはまだ生きていて欲しいなと思うかもしれません。けれど生死の問題は本人のものであり、決定権は本人にしかありえません。中途半端に相手に良かれと思って介入する人にはわたくしは反吐が出ます。自分じゃない別の人間の人生の責任を負えるだなんて思い上がりだと思うのです。

仮に安楽死制度がこの国で合法になったとしたら、デスハラの懸念が~と現在言って反対している人の一部には「安楽死制度出来たじゃん、死にたいと言ってたよね?死ねば?」と平気でデスハラしてくる人がいそうです。安楽死制度が存在するだけで、それが御守り代わりになりいざとなれば楽に死ねるんだからとその日までは自分らしく生きようという活力がわいてくるであろう人もいるんです。

わたくしは自分で自分の意思表示が出来るうちに自分の死、そして生の問題を自分でなんとかしたいのです。そしてそれは安楽死でしか叶えられないと考えています。