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もしも、英語をしゃべれたら

東京オリンピックがついに開幕して盛り上がっている最中、コロナ感染者数も爆増していてここ3日間の東京は3000人超らしい。

日頃の対策と運も味方してか、今のところ私を含む周りの近しい人たちはまだ感染していないようだが、これだけ世間が混乱していると流石にいつどこで自分もかかるか分からないし、休日に人出の多い場所や遠くに遊びにいくのは控えたい気持ちで、最近ますます仕事と用事以外ほぼ家に引きこもっている。

加えてライブを休みだした4月からは自由な時間がかなり増えて、せっかくなのでこの期間を利用するべく、今までやりたくても手をつけてなかったようなことも少しずつ始めているのだが、その中でも私が今一番力を入れていると胸を張って言えることが「英語の勉強」である。
今回は、この英語をやろうと思ったきっかけを長々振り返り(本当は短くしたい〜)、今後の自分のモチベーションにもつなげたいと思う。


英語は昔から自然と好きだった。学生時代の勉強でも一番得意な科目がずっと英語であったし、成績も他は波があったがこれだけ安定していた。
当時、塾や学校で習うことは基本的に「次の受験のため」のものと思っていて、社会に出てからも使うものはごく一部なんだろうな〜とどこかでうっすら考えながらやっていたが、英語だけは単純な興味本位で自分から色々調べたり単語や熟語を覚えたりすることができた。自分の中では、英語だけは他の教科よりも単純に知っていくのが楽しいものとして向き合えていた。

そんな私が最初に英語に興味を持ち始めたきっかけは、音楽であった。

はっきり覚えているのは、私が音楽自体に衝撃を受け興味を持ったきっかけでもあるのだが、「宇多田ヒカル」という歌手のデビューの時である。その年確か私は小学2年生で、それまでも何なくテレビから流れてくるその時期流行りのJ-popなどを一緒に歌っていて、親とか一部の人からなんとなくおだてられたりして少し調子に乗っていたのだが、この宇多田ヒカルの存在をテレビで知ってから、あまりの衝撃にその浅はかな自信は一気に崩れ去った。

その時の私は口では決して言わないが、同じくらいの年代の子の中じゃ自分は歌が上手い方かもといった何の根拠もない自惚れを勝手に隠しもっていて、「将来は人前で歌を歌ってる」という漠然とした妄想のような絵を脳内に描いていた。

しかしある日突然、テレビで弱冠15歳だという見知らぬ少女が、日本語だけではなく英語をも使いこなし、加えて自分で作詞と作曲までこなして、さらにはリジナリティあふれる声と歌い方で聞いたこともないような歌っている映像を見た時、最初その当時の私には理解が追いつかなかった。

しかし、その映像と歌う姿が「なんだか分からないがとてつもなくかっこいい」ということだけは確かで、彼女の存在はその瞬間から鮮烈な衝撃とともに私の憧れとなった。そして、毎日学校から帰ったら宇多田ヒカルの歌を繰り返し聴いては、真似をして歌うようになった。これは私がはっきりと歌や音楽に興味を持つようになったきっかけでもある。

そうして宇多田ヒカルの歌を自己流で特訓練習していく中で、日本語の部分は年齢にしてはかなり大人な歌詞ではあったがなんとなく意味はわかるし歌うことができた。しかし、彼女のデビュー曲「Automatic」をはじめ、その後の彼女の初期の曲は必ずと言っていいほど英語の歌詞が出てきて、サビの一番目立つ部分でも英語が使われていることが多かった。

耳慣れない言語、耳慣れない発音、そしてその意味もよく分からない。当時の私はなんとなく耳から聞こえてくる音だけを頼りに、それを真似た“デタラメ英語”で歌っていた。

そこから、意味はわからないけれどもこの英語という見知らぬ言語もなんだかかっこいいものに思えてきて、ラジオやテレビで紹介される当時はやっていた洋楽なんかも少しずつ知るようになった。

最初にハマった洋楽は当時世界中で大人気だったBritney Spearsで、キュートな見た目とダンスと歌声、ポップな曲にも魅了され、当時勝手に使っていた親のパソコンで「ブリトニー」を検索し、出てきた公式HPから見れる彼女のPVに合わせて、見よう見まねで一緒に歌って踊ったりしていた。当時は確かまだYoutubeなどの動画サイトがなかったような気がするが、毎日学校から帰ってはパソコンを開き、「ブリトニー」と検索エンジンに打ち込んで同じ数曲を繰り返し再生して、気づけば夕飯の時間になったりしていた。

そこから中学生になると、学校で英語の授業が始まった。アルファベットや I am〜 This is〜などから始まり、今まで訳のわからない存在だった英語も少しずつその実態が解き明かされていくようで最初からワクワクした。宇多田ヒカルをはじめその頃には好きな歌手のCDも色々買うようになっていて、歌詞カードをみても文字面で意味がわからない英語の部分も多かったのだが、「あ!この単語見たことある!こうゆう意味だったのか〜」など、今までわからずデタラメに歌っていた部分が授業で出てきたことで読み方や意味がわかるようになったりもして、そんな単語を見つけると感動したものだ。

そして中学ではその時の英語の担当の先生が音楽好きだったのもあり、先生の世代で流行った古い洋楽などを授業の時間に聞かせてくれた。

初めてみる全編英語の歌詞カードと日本語訳を見比べて、文法は分からないところだらけだが、この歌はこんなことを歌っているんだ!と初めてちゃんと理解することができて嬉しかった。そしてその先生の曲のチョイスも結構好きで、Billy Joel, Stevie Wonder, Michael Jackson, ABBAやJohn Lennon、その他往年の70~80年台のヒット曲などを授業で聞かせてもらい、一緒に歌ったりしながらその時代の洋楽やアーティストも好きになった。そして同時期に当時流行していたBeyonceに夢中になったり、中学からは洋楽というものにも自然と親しむようになっていった。

中学が始まってから塾に通いはじめ、たまたまかなりスパルタな塾を選んでしまったことから学校では習わないハイレベルなことも教えてもらうようになって、大量の宿題はきつかったが英語だけはますます楽しくなっていった。
学校は学校で洋楽を聴きながらゆるく学んでいくのも楽しかったし、塾では応用の文法や新しい単語・熟語を鬼のように叩き込まれ、周りにふるい落とされないよう食らいつくので必死だったが、中学の基礎の段階から山のような演習と宿題をこなしたおかげで中学英語の基礎力はここで身についたと思う。受験でも英語が一番差がつく科目だと言われていたし、ここで点数が取れるようになったのはその後の勉強でもある程度自信になった。

受験も無事に第一志望に合格して高校に入ると、高一の授業からすでに大学受験を見据えている雰囲気の進学校だった。高校時代も塾に一応通っていたが学校でも応用的なことをちゃんと教えてくれるし、夏休みなどの課題では英語で書かれた本を一冊読んでくるとかもあった。中学校では英語のテストに関しては学年で一番も普通にとったりしてたが、高校では流石に自分より上なんて山ほどいたので、英語力への自信はへし折られた形であったがやはり一番好きな科目は英語で、マイペースに勉強できたと思う。

高1か高2の時、大学の説明会にどこかひとつ行ってきてレポートを提出するという課題を出された。それで行ってきた大学のとある学部に一目惚れならぬ一聴惚れして、そのままその学部を目指すことに決めた。割と特殊な方針の学部だったので先生や家族からはそこそこ反対されたが、運良くそこの学部の受験科目が英語と小論文だけで受けることが可能だと知り、周囲の反対を軽く受け流しながらその大学の過去問の超長文ができるような英語力を身につけることを目指した。

当時行っていた高校も予備校も、中学時の塾のようなスパルタで強制的な感じではなく、周りも自分で自分の目指す方向の勉強をそれぞれやるという雰囲気があった。国立を目指す人たちは理科・社会なども含めて幅広い科目を勉強し、センター試験対策も行っていたが、私は受ける学校を私立だけに絞り、滑り止めも国数英だけで受けられるところにしたので、3年の時には理科社会は完全に捨て(定期テストで赤点を取らない程度に)、国数英の特に英語に力を入れつつ、並行して小論文の独学もするという勉強スタイルだった。その結果、無事に大学も第一志望に合格することができた。

大学に入ってからは学内の帰国子女や英語がペラペラな人の多さに驚き、英語への自信はすぐに完全に喪失した。英語は普通に話せて当たり前、なんなら第2外国語でフランス語、ドイツ語、韓国語、中国語、などをやっている人もゴロゴロいて、私も一応大学内の英語の授業を受けていたが、受験や留学といった目標も特にない環境で、英語への特別な情熱は薄れていった。

だが2年時から近所にあった学習塾で塾講師のアルバイトをはじめた。最初は国数英の3教科を中心に中高生を教えていたが、途中から英語の指名だけが増えて結果的にほぼほぼ英語だけを専門で教える講師になっていた。学校の補講的な授業をやることが多く、そんなにレベルの高いことは要求されていなかったが、生徒と一緒に中学・高校英語を復習しつつ自分が昔猛勉強していた時の知識を活用してそれもプラスアルファで教えたり、割と覚えているもんだな〜と思いながら楽しく授業していた。
大学ではほぼ選択授業で好きな授業とやりたい勉強だけやればよかったので天国だったし、アカペラサークルやボーカルスクールで好きな音楽を開拓して歌ったり、バイトの塾は塾でお金をいただきながら個人的な英語の復習の場にもなっていて、大学時代の自分は好きなことだけやれていた今でも楽しい思い出である。

そこから時は経ち、大学を卒業して今年で8年ほどになった。介護業界に就職し、音楽活動をはじめ、英語からはしばらく離れた生活を送っていた。

そんな私が再び英語に猛烈に興味をもち、火がついたのは一昨年のことだった。卒業してから音楽活動も本格的にやるようになり、YoutubeにあげていたMVや楽曲に外国人からときどきコメントが来るようになったのだが、ある時カナダ人だという男性から「日本に行った時、あなたのライブを見てみたい」という英語のコメントがついた。

普段はYoutubeのコメントへの反応は「いいねマーク」を押すだけだったが、その時は外国の方からライブに来たいと初めて言ってもらえたことが嬉しくて、返事をした。するとそのカナダ人の方はHPから連絡をとってくださり、数ヶ月後、日本に来る機会があったとき私のライブにも本当に来てくれたのだ。

その方は日本の音楽や文化が好きで、日本に来たことも何度かあって日本人の知り合いもいると言っていたが、それまでのメッセージのやりとりも全て英語、「日本語はあまり得意じゃなくてごめんなさい」とのことだったので、ライブに来てもらった時にどれくらい話することになるか分からないが、ほとんどの会話は英語になるだろうと覚悟していた。

そしていよいよライブの日。その方は何日間か日本に滞在するというのでその期間で予定されていた私のライブが2本ほどあったのだが、よりによって「飯能」という東京からも外れた、埼玉の自分すら行ったことのない場所でライブの日に伺いますとのことだった。私も当日初めて会場まで行ってみたが、駅からも結構歩くし、会場までものどかな田舎風景が広がっていて、おまけにその日は出演者がかなり多くて昼過ぎからの長時間イベント。異国の地からのお客様を迎える日が今日でよかったのかと思う場所やタイミングではあった。

私の出番の1時間ほど前、そのカナダ人の方は自分の足で来てくれた。数ヶ月前からこの日のためになんとなく準備しておこうと、実は英会話のリスニング教材を購入して悪あがき程度の予習をしていた。
彼との会話は案の定ほぼ全て英語で、聞き取れない部分もたくさんあったが、私の英語レベルにだいぶ合わせてくださったおかげで、音楽の話や日本やカナダの文化の話、向こうでの生活や私の音楽活動の話など、なんとなく聞き取りながらそれまで勉強してきた英語の力を結集して自分の意見などを伝えていた。
とてもいい経験になったし、そのお客様にも喜んでもらえたようで今でもたまにメッセージをくれるのであるが、この時やはり十分に話を聞き取れなかったり自分の意見を思うように英語にできなかったことがとても悔しかった。

このカナダからのお客様との会話は、私が外国人と長時間英語でやりとりした初めての経験で、自分が中・高・大・社会人とやってきた英語力では全く歯が立たないことに気付かされたし、何より一番感じたのは、それまで単語や熟語、文章の読解など受験で使う紙媒体の英語を中心でやってきていた分、リスニング・スピーキングの会話力がほとんどついていないし、受験英語とこれらの使える英語というのは全く別物なのだということだった。

そのため、私はこの経験からちゃんと生きた英語を使える会話力を身につけたいと強く思うようになり、リスニング教材やYoutubeなどを使って自分なりに英語を独学するようになった。

加えて今年になり、4月から時間ができたのをきっかけに念願の英会話にも通い出した。最初のレベル分けテスト(先生との軽い自己紹介やアイドリングトークみたいなものだった)で、自分がはるか昔大学入学時に受けたTOEICの点数の基準から示されていた「だいたいこのくらいか」と思っていたクラスよりも2段階ほど下のクラスに振り分けられた。

この時、本気で勉強していたピーク時からはかなりブランクがあったとはいえ最初はやはり落ち込んだのだが、その基礎クラスで私はこの4ヶ月間毎日独学をしながら週1ペースでグループ・個人レッスンに通い、復習などもしてかなりちゃんとやった。
グループレッスンも個人レッスンも、最初は自己紹介すらもぎこちなくてろくにできていなかったが、回数を重ねるほどに自分のことを伝える言い方にも慣れてきたし、最近のトピックを話すことにも動じなくなってきたし、自分でもびっくりするくらい初めて使う単語や熟語が次々に口から出てくるようになった。

それは英会話の授業も自分での独学も本当に楽しく、毎日苦もなくやることができているため、少しずつその効果が出てきていると思う。先生との会話も最初はすごく初歩的なことしか話せずなかなか進まなかったが、最近は辞書がなくてもなんとか自分の考えを伝えられて、簡単な会話なら割とスムーズにできるようになり、来月からグループレッスンのクラスも一つあげてもらえることになった。

こんな感じで今の自粛中、音楽のお休み期間は英語を頑張っていて、週一のレッスンは私の今の1番の楽しみにもなっています。異文化の外国人の先生と英語を使って何か共通の話題で盛り上がった時や意見交換できた時はめちゃくちゃ嬉しいし、大きな刺激になる。


実はこんなに英語をやりたいと思いつつ、今まで海外旅行に一度も行ったことがない私で、コロナの期間中でもっと英語ができるようになって、コロナ明けにどこか英語圏の国へ旅行や留学に行ってみたいというのが密かな目標です。行って何をするかも行きたい国すらも決まっていませんが。

あとは異文化交流がめちゃくちゃ楽しいことに気がついたので、英語を使って外国人のいる酒場や遊び場にも行きたい。これもコロナ明けの話ですが、今までは英語ができないのに加えてコミュ力も低いので、そんな場所にはとても行く気にはなれなかったのですが、英語力が十分身に付いたらせっかくの技能を活用したいとも思うし、もっとレベルアップするためにはやはり外国人の知り合いを作ること必要だとも思う。自分の元来の性格を多少変えてでも、積極的に自分から関わりに行きたいなと思ってます。


オリンピックの開会式を見て、色々思うことはありましたが、外国人選手団の入場のパレードの様子は見ていてワクワクしました。肌の色、髪型、それぞれの国旗や服装、そして言語や思想や宗教など、全く違う文化の人たちが自分たちの国を背負って堂々と歩いている姿を見て、私の英語へのモチベもいっそう高まりました。

まだまだ聞き取るのも話すのも初級レベルで、英会話とは言えないかもしれませんが、長年思い続けていた英語という言語に、やっとちゃんと生で触れて使える環境に身を置くことができ、とても充実した日々です。またここでも時々学習報告できたらと思います。ではでは〜 See you soon!


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