日本人の知らない日本

前の記事で,海外の著名人の日本に対する評価をいくつかご紹介しましたが,我々が教わった歴史とは異なる,海外の人々の残した言葉があります。

我々は,日教組の洗脳工作により,歴史の授業では
「先の大戦で,日本はアジアを侵略し,虐殺・略奪を尽くしアジア諸国に多大なる損害を与えた悪しき民族である。」
と教えられました。左翼メディアも日々その宣伝に勤しんでいます。
ならば,アジアの人々はもっと日本を嫌ってもいいはずなのに,中韓を除くアジア諸国の多くが親日国。
海外の友人は「日本人は自国の正しい歴史を知らなすぎる。日本人はもっと自信を持て」と言います。
では,大東亜戦争でアジアを侵略したとされる日本を世界の人々がどのように見ていたのか,その一部をご紹介し,本当の日本人の姿を考えたいと思います。

「第二次世界大戦において、日本人は日本のためよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大な歴史を残した。それらの国々とは日本の掲げた短命な理想、大東亜共栄圏に含まれた国々である」

ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授 アーノルド・J・トインビー

「かつて不敗を誇った日本軍も半年の死闘に衣服や靴もボロボロとなり、ささえるものは不屈の精神力だけであった。日本軍はインパールにおいて、ついに敗れたが、そこには何かが残った。それは歴史学の権威トインビーがいみじくも喝破したとおりである。すなわち『もし、日本について、神が使命を与えたものだったら、それは強権をわがもの顔の西欧人を、アジアのその地位から追い落とすことにあったのだ』」

英軍東南アジア総司令部司令官 ルイス・マウントバッテン大将 『ビルマ戦線の大逆襲』

「日本の敗戦、それはもちろん東南アジア全域の独立運動には決定的な意味をもっていた。いまや真の独立が確固とした可能性となると同時に、西洋の植民地支配の復活も、許してはならないもう一つの可能性として浮び上がってきたのである。民族主義者は、日本占領期間中に身につけた自信、軍事訓練、政治能力を総動員して、西洋の植民地支配復帰に対抗した。そして、日本による占領下で、民族主義、独立要求はもはや引き返せないところまで進んでしまったということをイギリス、オランダは戦後になって思い知ることになるのである。
大東亜戦争下、アジア諸国に進駐して行った日本軍政の最大の特徴の一つは、各国の青年を教育し、組織し、独立精神を振起した点にある。その遺産は戦後も様々な形で生き続けている。」

コロラド大学歴史学部教授 ジョイス・C・レプラ 『東南アジアの解放と日本の遺産』

日本の戦争責任を問うならば、それより以前の非人間的な支配と略奪をつづけた欧米の責任はどうなるのか。我々アジア諸国は日本が来たことで植民地支配から解放され近代化がもたらされた。」

元マレーシア首相 マハティール・ビン・モハマド

日本はどんな悪いことをしたと言うのか大東亜戦争で、マレー半島を南下した時の日本軍は凄かった。わずか3カ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやってきたと思っていた。日本は敗れたが、英軍は再び取り返すことができず、マレーシアは独立したのだ。」
なぜ日本が謝るのでしょうか?あの大戦でマレーシア人と同じ小さな体の日本人が、大きな体のイギリス人を追い払ってくれたではないですか。日本なくして東南アジアの独立はありませんでした。この日本が払った尊い犠牲を否定することは、バックミラーばかり見ているようなものです。本当に悪いのは侵略して権力を振るっていた西欧人の方です。日本は敗戦したが、その東亜の開放は実現した。その結果、アジア諸民族は各々独立を達成した。日本の功績は偉大であり、血を流して闘ったあなた方こそ最高の功労者です。自分をさげすむことを止め、その誇りを取り戻すべきであります。」
「とくに私が惜しいと思うのは、日本くらいアジアのために尽くした国はないのに、それを日本の政治家が否定することだ。
責任感をもった政治家だったら、次のように言うだろう。『その頃、アジア諸国はほとんど欧米の植民地になっていて、独立国はないに等しかった。日本軍は、その欧米の勢力を追い払ったのだ。それに対して、ゲリラやテロで歯向かってきたら、治安を守るために弾圧するのは当然でないか。諸君らは何十年何百年にわたって彼らからどんなひどい仕打ちを受けたか忘れたのか。日本軍が進撃した時にはあんなに歓呼して迎えながら、負けたら自分のことは棚に上げて責任をすべて日本にかぶせてしまう。そのアジア人のことなかれ主義が、欧米の植民地から脱却できなかった原因ではないか。』」

元マレーシア外務大臣 ガザリー・シャフィー

日本軍は、長い間アジア各国を植民地として支配していた西欧の勢力を追い払い、とても白人には勝てないとあきらめていたアジアの民族に、驚異の感動と自信を与えてくれました。私たちはマレー半島を進撃していく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れて逃げていく英国軍を見たときに、今まで感じたことのない興奮を覚えました。しかも、マレーシアを占領した日本軍は、日本の植民地としないで、将来のそれぞれの国の独立と発展のために、それぞれの民族の国語を普及させ、青少年の教育を行ってくれたのです。
私たちが日本で教育を受けたころの日本は、現在の日本と比べることができないほど貧しい国でした。しかも、あの当時の日本は全身傷だらけになって、アジアを西欧植民地から解放するための大東亜戦争を戦っておりました。私たちはその貧しい戦時下の日本で『日本の素晴らしさ』を与えられました。日本はアジア諸国に偉大な遺産を遺してくれました。400年の長きにわたった植民地体制を打破し、アジアの青年たちに民族自決の戦いをとる決意と覚悟を与えてくれたのです。日本の青年が命を捨てて血を流して遺してくれた、尊い偉大な遺産を基にして、祖国の独立とアセアンの結成を成し遂げたのです。」
「この国に来られた日本のある学校の先生は『日本軍はマレー人を虐殺したに違いない。その事実を調べに来たのだ』と言っていました。私は驚きました。『日本人はマレー人をひとりも殺していません。日本軍が殺したのは、戦闘で戦ったイギリス軍や、それに協力した中国系共産ゲリラだけです。そして、日本の将兵も血を流しました。』と私は答えてやりました。」

元マレーシア上院議員 ジャー・ダト・ノンチック 『世界が誇る大東亜戦争と東京裁判』

「アジアの希望は、植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。大東亜戦争というものは本来なら私達インドネシア人が、独立のために戦うべき戦争だったと思います。もしあの時、私たちに軍事力があったなら、私たちが植民地主義者と戦ったでしょう。大東亜戦争はそういう戦いだったんです。」

元インドネシア首相 モハメッド・ナチール

 「我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、350年間に亘り、幾度か屍山血河の闘争を試みたが、オランダの投智なスパイ網と、強靭な武力と、苛酷な法律によって、圧倒され壊滅されてしまった。それを日本軍が到来するや、たちまちにしてオランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。インドネシア人が歓喜雀躍し、感謝感激したのは当然である。」

元インドネシア第三副首相 アラムシャ

「我々アジア・アフリカの有色民族はヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが全部失敗した。インドネシアの場合は、350年間も失敗が続いた。日本軍が米・英・蘭・仏をわれわれの面前で徹底的に打ちのめしてくれた。われわれは白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。一度持った自信は決して崩壊しない。…そもそも大東亜戦争はわれわれの戦争であり、われわれがやらねばならなかった。そして実はわれわれの力でやりたかった。」

元インドネシア情報相 プン・トモ -昭和32年の来日の際の発言-

「日本に占領された国々にとって、第二次世界大戦とは、ある面では日本の軍事的南進という形をとり、他面では近代化した日本の精神的、技術的面との出会いであった。日本が戦争に負けて日本の軍隊が引き上げた後、アジアに残っていたのは外ならぬ日本の精神的、技術的遺産であった。この遺産が第二次大戦後に新しく起こった東南アジアの民族独立運動にとって、どれだけ多くの貢献をしたかを認めなければならない。日本が敗戦国になったとはいえ、その精神的遺産は、アジア諸国に高く評価されているのである。その一つに、東南アジアの教育に与えた影響があげられる。日本は目標達成のためにどれほど必死にやらなければならないかということを我々に教えたのであった。この必死の訓練が、後のインドネシア独立戦争の時に役立ったのである。」

インドネシア政治学博士 アリフィン・ベイ

日本の占領は、後に大きな影響を及ぼすような利点を残した
第一に、オランダ語と英語が禁止されたので、インドネシア語が成長し、使用が広まった。日本軍政の3年半に培われたインドネシア語は驚異的発展をとげた
第二に、日本は青年達に軍事教練を課して、竹槍、木銃によるものだったとはいえ、きびしい規律を教え込み、勇敢に戦うことや耐え忍ぶことを訓練した
第三に、職場からオランダ人がすべていなくなり、日本はインドネシア人に高い地位を与えて、われわれに高い能力や大きい責任を要求する、重要な仕事をまかせた。」

インドネシアの中学3年用の歴史教科書

大東亜戦争開始以来、歴史に較べるもののない日本軍の勝利はアジアのインド人に感銘を与え、自由獲得の戦いに参加することを可能にした。日本政府は単に自己防衛のために戦うだけでなく、英米帝国主義のアジアからの撲滅を期し、さらにインドの完全な独立を援助するものである。いまやインド国民軍は攻撃を開始し、日本軍の協力を得て、両軍は肩を並べ、共同の敵アメリカ・イギリスの連合国に対し、共同戦線を進めている。外国の侵略の軍隊をインドから駆逐しない限り、インド民衆の自由はなく、アジアの自由と安全もなく、英米帝国主義との戦争の終結もない。」

デリーインド国民軍裁判主席弁護人 チャンドラ・ボース

「このたびの日本の敗戦は真に痛ましく、心から同情申し上げる。しかし、一旦の勝負の如きは必ずしも失望落胆するに当たらない。殊に優秀な貴国国民においておやである。私は日本が十年以内にアジアの大国として再び復興繁栄する事を確信する。インドは程なく独立する。その独立の契機を与えたのは日本である。インドの独立は日本のお陰で三十年早まった。これはインドだけではない。インドネシア、ベトナムをはじめ東南アジア諸民族すべて共通である。インド4億の国民は深くこれを銘記している。インド国民は日本の国民の復興にあらゆる協力を惜しまないであろう。他の東亜諸民族も同様である。」

インド弁護士会々長 グラバイ・デサイ -1946年の軍事裁判に出廷した藤原岩市氏らに-

「私は1928年から1945年までの一七年間の歴史を二年七ヶ月かかって調べた。この中には、おそらく日本人の知らなかった問題もある。それを私は判決文の中に綴った。その私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であるということがわかるはずだ。
それなのに、あなた方は自分らの子弟に「 日本は犯罪を犯したのだ 」「 日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ 」を教えている。
満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流されていくのを私は平然として見過ごすわけにはゆかない。
あやまられた彼らの宣伝の欺瞞を払拭せよ

あやまられた歴史は書き変えなければならない。

ラダ・ビノード・パール 極東国際軍事裁判判事・法学博士 
-昭和二十七年十一月五日、広島高等裁判所での講演-

彼ら(日本)は謝罪を必要とすることなど、我々にはしていない。それ故、インドはサンフランシスコ講和会議には参加しない。講和条約にも調印しない。」

初代インド首相 ジャワハルラール・ネルー

「真実のビルマの独立宣言は1948年の1月4日ではなく、1943年8月1日に行われたのであって、真のビルマ解放者はアトリー率いる労働党政府ではなく、東条大将と大日本帝国政府であった
歴史的に見るならば日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。しかしまたの解放を助けたり、あるいは多くの事柄に対して範を示してやったりした諸国民そのものから日本ほど誤解を受けている国はない。もし日本が武断的独断と自惚れを退け、開戦当時の初一念を忘れず、大東亜宣言の精神を一貫し、南機関や鈴木大佐らの解放の真心が軍人の間にもっと広がっていたら、いかなる軍事的敗北もアジアの半分、否、過半数の人々からの信頼と感謝とを日本から奪い去ることはできなかったであろう。日本の為に惜しむのである。」

元ミャンマー(ビルマ)首相 バー・モウ 『ビルマの夜明け』

「大日本帝国は軍政を最終的に撤廃し、フィリピン共和国の独立を承認するというこのうえない形で、その高邁な精神と理念を証明した。帝国はその全ての誓約と宣言を誠実に守り、フィリピン国民が憲法を制定し、自らの文化と伝統に調和する国家を樹立する最大の機会を開いたのである。大東亜において日本帝国はあまりに激しく、あまりに不当に圧政暴虐の侵略者として非難されているが、その寛容と自由の実践は世界も驚くであろう。日本は帝国であったが一つの共和国を認め、まさにその樹立に参画した。」

元フィリピン大使 ホルヘ・バルトロメ・ヴァルガス 

日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が、アメリカやイギリスと対等に話ができるのは、一体だれのおかげであるのか。それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあったためである。12月8日は、われわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大決意された日である。さらに8月15日は、われわれの大切なお母さんが、病の床に伏した日である。われわれはこの2つの日を忘れてはならない。」

元タイ首相 ククリット・プラモード -12月8日 現地の新聞「サイアム・ラット紙」-

「貴方がた日本は、先の大戦で負けて、勝った私どもオランダは勝って大敗しました。今、日本は世界一、二位を争う経済大国になりました。 私たちオランダはその間屈辱の連続でした。 勝ったはずなのに、世界一の貧乏国になりました。
戦前のオランダは、アジアに本国の36倍もの大きな植民地インドネシアがあり、石油等の資源産物で本国は栄躍栄華を極めていました。
今のオランダは日本の九州と同じ広さの本国丈となりました。
あなた方日本はアジア各地で侵略戦争を起こして申し訳ない、諸民族に大変迷惑をかけたと自分をさげすみ、ペコペコ謝罪していますが、これは間違いです。あなた方こそ自らの血を流して東亜民族を解放し、救い出す、人類最高の良いことをしたのです
何故ならあなたの国の人々は、過去の歴史の真実を目隠しされて、今次大戦の目先のことのみ取り上げ、或いは洗脳されて、悪いことをしたと、自分で悪者になっているが、ここで歴史をふり返って、真相を見つめる必要があるでしょう。
本当は私共白人が悪いのです
百年も三百年も前から競って武力で東亜民族を征服し、自分の領土として勢力下にしました。
植民地や属領にされて長い間奴隷的に酷使されていた東亜諸民族を解放し、共に繁栄しようと、遠大崇高な理想をかかげて、大東亜共栄圏という旗印で立ち上がったのが、貴国日本だったはずでしょう
本当に悪いのは侵略して権力を振っていた西欧人の方です
日本は敗戦したが、その東亜の解放は実現しました。 即ち日本軍は戦勝国の全てを東亜から追放して終わりました。 その結果アジア諸民族は各々独立を達成しました。
日本の功績は偉大です。 血を流して闘ったあなた方こそ最高の功労者です。自分を蔑むのを止めて、堂々と胸を張って、その誇りを取り戻すべきです。」

元ムステルダム市長 エドゥアルド・ヴァン・ティン ア
-1985年日本傷痍軍人会代表団オランダ訪問時の市長主催親善パーティの歓迎挨拶-

「私達は国旗の選択に相当苦労した。応募者は悉く各島の人々であり、それぞれの旗にパラオの歴史と伝統がこめられていた。だから、選考委員は真剣であった。選考に日数をかけた。でも、最終的にこの旗に決まったのは、日本の旗に一番似ていたので、最大の人気が集まった。
日の丸の部分を黄色にしたのは、月を現わす。周囲の青地は海を意味する。月は太陽が出ないと輝くことができない。つまり月は太陽によって支えられ、月としての生命を持つ。太陽とは日本のことである。海に囲まれたパラオという国は、日本の太陽の反射によって輝かねば生きられないのである。
我々はまた戦争中に、日の丸を掲げて強大な米軍と交戦した日本軍将兵の勇敢さと純粋さに、大きな魅力と尊敬を捧げている一万に及ぶ英霊たちは私達に、勇気と国を想う心があれば、アメリカよりも強くなれることを教えて死んだのである。」

パラオ国旗について

これらは,日本が侵略したとされるアジア諸国の方々だけでなく,日本と戦った米英蘭の政治家・軍人・有識者たちの言葉のほんの一例です。

こういう話をすると「 おまえは戦争を賛美するのか」と言い出す左巻きの人が必ずいます。
どこをどう読めば戦争賛美になるのか,頭の構造が違うので理解しようとも思いませんが,これらの言葉が示しているのは,日本人は古来から利他の心を大切にしてきたということです。
家族や仲間はもちろん,周りの人々を思い,必要あれば我が身を投げ出す覚悟を持っていたということです。自国どころかアジアの人々のために欧米との戦いに命を懸けるというのは,よほどの信念と覚悟が無ければできないことです。
インパールやペリリュー島の戦いなどの記録は,戦争賛美などではなく,大切なものを守ることに命を懸けることの尊さを教えてくれます。
その気高い精神を目の当たりにしたアジアの人々は,今でも日本人を信頼し称賛し尊敬してくれていて,今を生きる我々は,その遺業の恩恵を少なからず受けているのは事実です。

他国のために命を懸けろと言っているのではありません。
いつまでも「俺が,私が」という自分だけというのはいい加減やめて,家族や仲間,自分の周りの人々のことを大事に思う利他の心を持ちましょう,できればその輪を広げ世の中のためになることをしていきましょう,ということです。
より広範囲の人々に利他の心を広げれば,その影響は10年20年50年後まで続くということを上記の方たちの証言が示してくれています。それは,企業経営も政治も同じです。
あっ,SDGsとか脱炭素とかの利権のためのプロパガンダに引っ掛かっちゃダメですよ。

毎日食卓に食事が並ぶこと,子どもが元気に走り回ること,これら日常のことを当たり前と思わず,両親,祖父母,そして世界中の人々の努力に感謝する。
真っ赤な顔してマスクしてるお子さんがいたら,外してあげるようお母さんを説得する。(それで私はいつも変人扱いされてますが💦)
道端で座り込んでるお年寄りが居たら声をかけてみる。
これが一隅を照らすことだと思います。
そういう人が増え,その範囲を少しずつ広げていって,日本に住む人々の半分がそうなれば,日本は大変革します。
政府も政治家も変わります。
それを無視する政治家もメディアも企業も淘汰されていきます。
これが1000年以上続く古来の日本の姿です。

2000年続く世界最古の歴史を持つ国です。
自国民だけでなく世界中の人々に思いやりを持った,世界で最も高い民度を誇る国です。
間違った歴史認識を修正し,日本人であることにもっと誇りを持っていいはずです。
歴史上,国民が自国に誇りを持てない国は必ず滅びます。

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