『サタデー内装フィーバー』 vo,4 内装短編小説『木漏れ日射すように』
人生に失敗は付きものだ。
いやむしろ、大小こそあれど、人が人として生きる以上、必ず失敗はしている。
稀に、側から見ていると完全に失敗をしているのに、その事を全く自覚していない強靭なメンタルの持ち主もいるが、そういう人間はそういう人間で、存外『そこ、気にすんのか。』という的外れなところで『失敗』を実感をしがちなものである。
無論、誰もが憧れる様な成功者は、皆失敗をし、失敗を成功のより強力な糧にしている訳だから、大きな目で見れば『失敗』は成功の途中経過なので、『失敗』では無いとも言える。
だが、無意味な短期的視点で語ろうとも『失敗』は『失敗』だ。
失敗出来る機会のまま、失敗の自覚のないまま終えた人生は、また無念であるとも言える。
ともあれ、言いたかったのは、生きれば生きる程に避けられない様についてくるのが『失敗』だと言う事だ。
そして、失敗を定義付けるのに一役買っているのが『選択』というヤツだ。
自覚、無自覚に関わらずとも、人間の行動原理の根底は『選択』を無数に繰り返す事である。
この無数の『選択』を細分化した根底がデジタルの様な2進法で有るのか、アナログ的なモノ(選択肢の数を限定しない形。何と表現するのかは分からないが、無進法とでも言っておこう。)であるかは、その道の専門家にお任せするが、日々いや、一瞬一瞬に無数の『選択』を繰り返す事で行動しているのだ。
この『選択』の結果に『失敗』があり、
一瞬一瞬の『選択』の結果に『失敗』があるなら、なるほど考えれば考える程避けられそうも無さそうだ。(但し、殆どの『選択』の結果は失敗でも成功でも無い結果に繋がっている様に思えるが。)
ちなみにドラム式洗濯機の乾燥フィルターは使う度に必ず掃除しなくてはならず、
乾燥フィルターの掃除を暫くの事忘れようものなら、全く乾いていない洗濯物が出来上がり、
『洗濯失敗』
となるから、注意が必要だ。
それどころか、高価な洗濯機が壊れる可能性すらあるのを考えると代償が大きすぎる。何の話だ。
しょうもないダジャレをはさみつつも、『忘れていた』場合の失敗はそもそも、選択しようが無い(忘れてるのだから)のに失敗に繋がっている訳だから、必ずしも『選択』の先にだけ『失敗』がある訳でも無さそうだ。
ちょっと話が逸れるが、ウチの従業員の『ケンちゃん』は、この『忘れる』と言う現象の為に『失敗』を重ねてきた代表格だ。
先にフォローの為に言っておくが、この男は実に優秀なのだ。
素直で、柔らかいのに胆力もあり、背はちっちゃいが、顔は可愛いく、女の子にもモテ、能動的に仕事に取り組み、冗談も通じるし、ち◯こもデカイ。
そんな剛柔一体、天下無双の『ケンちゃん』であるが、唯一と言ってもいい欠点がこの『忘れる』と言う点なのだ。
俺も似た様なところがあるのだが、『ケンちゃん』は基本的に流れが出来て動き出すと、脳みそをバイパスして行動する。
その行動は工場の生産ラインの様に正確で迅速だが、ふとした瞬間に脳みそに再接続した際にはその時の行動をキレイに忘れているのだ。
さしずめ『トランス状態』である。
この『トランス状態』を解除した時のケンちゃんは実に分かりやすい。
大抵何かを探しているのだ。
最早『忘れる』と言うよりも、『覚えていない』に近いものがあるが、顕著に現場でキョロキョロしているケンちゃんをみると
『お、トランス解除してるな。』
と、皆が思っているのだ。
そしてこの『ケンちゃん』と共に一日中過ごしていると
『パンパン』
『パンパン』
と言う音が度々聞こえる。
それはトランス状態から帰ってきたケンちゃんが、忘れたモノを探す為にポケットを衣服の上から叩いて探しているの音なのである。
ウチではある種の風物詩の様なもので、
さながら『ししおどし』の音の様に、周期的且つ、実に心地の良い音色なのである。
風流だ。
身内の間ではこの音を
『ケンちゃんパンパン』
と呼んで、皆慣れ親しんでいたのだが、ある時を境にその音は聞こえなってしまったのだ。
皆が(というか俺が)執拗にイジり過ぎてしまったせいか、心に傷を負った『ケンちゃん』は意識的に、この『ケンちゃんパンパン』を封印してしまったのだ。
ある日の車の中での事だ。
『シャカシャカ』
『シャカシャカ』
と言う音につられて、助手席にいた俺は運転席にいる『ケンちゃん』の方に目をやった。
すると、赤信号で停車中の車の運転席で『ケンちゃん』は自分のポケットを衣服の上から、片っ端に、滑らかに、優しく触れる様に撫でていた。
その瞬間、俺とケンちゃんは目が合った。
ケンちゃんは
『やっちまった。』
と言わんばかりに、顔を少し赤らめながら下を俯いてしまった。
どうも『最近、めっきり聞こえなくなったな。』
と思っていた『ケンちゃんパンパン』は、
過剰にイジられるのにほとほと嫌気のさしたケンちゃんが、意識的に、徹底的に封印し、代わりにケンちゃんは、『ポケットの上から優しく撫でる』と言うスキルを習得したのである。
だが、ケンちゃんには『運』が無かった。
少し肌寒くなったその日、ケンちゃんはナイロン100%のウインドブレーカーを着ていたせいで
『シャカシャカ』
と言う音を立ててしまったのだ。
俺は、ホームセンターの防犯砂利のサンプルの上を、どんなに慎重に、静かに、上級忍者の如き忍び足で、何度乗っても
『ジャリ』
という音がしてしまうのを思い出した。
しかし、ナイロン100%のウインドブレーカーの防犯性の高さをどれ程怨んで、憎んでも最早手遅れである。
そもそも、『忘れもの』をしてしまう意識を改革するよりも、『忘れた』後の行動の意識を徹底するという、あべこべな選択をした人間の末路はこんなものである。
かくして、その衣服の上を羽の様に優しく撫でる様が、さながら『フェザータッチ』である事から、ケンちゃんのこの行為は
『フェザケン』
と、めでたくも名付けられたのである。
そうしてケンちゃんはまた新たな不名誉の称号を賜ってしまったのだ。
しかしその後、どうにも身動きの取れなくなったケンちゃんは、ようやく観念したのか、ウエストポーチを装備する事によって、全ての問題を解決させる事に成功した。
俺はケンちゃんの目に見える成長を嬉しく思う反面、少し寂しい気持ちになった。
何故なら俺は
『ケンちゃんパンパン』
が好きだったのだ。
好きだから、イジってしまうのだ。
まるで小学生の男子だ。
もう、1年以上聞こえなくなった
『パンパン』
が頭の中をリフレインしている。
もう一度聞きたい。
『あの素晴らしいパンパンをもう一度』
と言った気持ちだ。
それを言うなら『パンパン』じゃ無くて『ばんばん』だろ!
とツッコミ入れた人は、紛れもなく昭和中期を生きた人だろう。
(まあ、正確に言うとオリジナルではないのだが。)
と言った訳で、脱線に脱線を重ねたお陰で、
何の話をしているのだか、分からなくなってしまった。
今回こそ『内装の話しをするぞ』と息巻いていたが、どうやら至ら無かった様である。
ところで、『サタデー内装フィーバー』自撮り写真を載せる事は最初から決めていた。
しかし権利と許可の問題で載せられるネタが無かったので、権利の心配の無い自撮りをとりあえず載せていたが、一時検索のトップに出た事が恥ずかしくなってしまい、慌てて写真を差し替えたのだ。
よくよく考えたら、普段から外を覆面して歩いてる訳でも無い俺からしたら、自分の顔など恥じる事は無いのだ。
と言うよりも、大抵この手の恥じらいは本人以外は何とも思っていないものだ。
そして、犯罪などの悪用と指名手配犯のアイコラ以外で有れば、どこに流れようとも気にも止めないであろう。
と言う訳で、未だにどこの何者か分からない俺ではあると思うが、顔だけでもあげて行ければと思う。
まあ後は気分次第だ。
そして、まだ3話しか上げていないのだが、
沢山のアクセスを頂いて、心より感謝している。
これからも忖度ありありで、優しく褒めて伸ばして頂ければ幸いだ。
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