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日記:イライラの正体

このイライラする気持ちはなんなんだろう、と思ってたのだけど、なんとなくその正体がわかってきた。

大抵のことは、努力というか工夫というか、そういうもので何とかなると思ってる。才能に劣る自分を馬鹿にしてきた連中に工夫と努力で一泡吹かせるのが楽しいと思ってきた。

僕は生まれつきの音痴で、本当に音楽の才能がない。
音楽会で歌わせてもらえず、社会人になっても音痴でずっと馬鹿にされてきた。
でも、才能がある奴は絶対にやらないであろう自分なりのやり方でやってきて気づいたら、自分自身のために書いた曲が、地上波FM局の月間ヘビーローテーションに選ばれたりしてた。
これはモータースポーツ(レース)でもそうだったし、いろんなことをそういう反骨心のようなもので楽しんできた。

ただ、努力ではどうしようもないこともある。
これは歴然として、ある。

そういう部分を持った者を手放しで褒めたたえている人を見るとどうもイライラしてしまうのだ。「お前がどれだけ努力してもあのようにはなれないのだよ。醜い愚か者よ、思い知れ」と言われているように感じる。
いや、感じるというよりも、実際にそういうセマンティクスなのだ。本人が意識しているかどうかは別として。

「自分の限界」を目の前に突き付けられて、どうにもできない自分にイラつき、自分を責めているのだ。

いかんいかん、尊敬する親鸞の言葉に戻ろう。
「行者の計らい」が平常心を邪魔しているのだ。
自分の努力ではどうしようもないことを受け入れて、そのことで自分を責めないようにしよう。
今居る場所が自分にとってちょうどいい。
自分の本分を受け入れること。それだね。
少なくとも、こんな自分を受け入れてくれている人たちがいるのだから。
自分も受け入れないとその人たちに失礼だ。

  ・・・

しばらく銀塩写真をアップしようと思ったので、今日の写真も銀塩写真で。
確か Pentax MX に FA43/1.9 を付けて撮ったはず。フィルムは Fuji の NEOPAN 1600PR かと。自家現像。

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