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あるのかないのか問題

脳みそはついついあるのかないのか問いたがる。

それはわたしの脳みそに限って非常に複雑性が富んでいる。

同じように複雑性を共有できる人と出逢ってみたい。
しかし出逢ったら出逢ったでやっかいだろう。

永遠のあるないネタが繰り広げられ、何時間でも話しているだろう。

そもそもわたしの口癖は
「境界線」

何かにつけて境界線問題が発生するのだ。

自然が存在する限り、全ての境界線が不鮮明。
そもそも境界線をつけることの意味が理解できずに苦しんできた。

生きれば死ぬ
それさえも自然だと、誰かに教えてもらったわけでもないのに腑に落ちている。

一見冷めに冷め切っている人間だ。

自分でも面倒だと思う。
でもこの面倒な自分を愛おしく思うこともある。

物心ついた時から、わたしは人間観察をしてきた。
本当のことを言えば、人間を含めたあらゆる物質的世界の観察。

朝起きてから寝るまでの間に、おそろしく大量の情報を処理しながら生きてきた。

はっきり言って生きているだけで疲れてしまう。

そんなことに気付いたのは恥ずかしくもつい最近のこと。

それまでは、みんな同じように生きていると思ってた。

人って凄まじい処理能力が必要なんだなぁと…

人は好きだけど、人が苦手だ。
なかなか人と融合する世界に身を置き続けることができない。

同じ歩幅で歩くことも1日ももたない。

自分の歩幅で歩きたい。

人に合わせることが壊滅的

そんな自分を1番に知りながら、つい最近まで人に合わせながら生きてきたという恐ろしい事実。

脳みそははちゃめちゃだ。
どれが自分でどれが他人なのか分からない。

統合性が失調している世界。

そんな自分に限界を感じて
自分の世界に戻った時に自分との統合が始まった。

危ない生き方だ。

そんなわたしの日常といえば…

人間観察はとうの昔に流行りを終えて
今は隙間観察が趣味。

人と人との隙間
会話と会話の隙間
文字と文字の隙間
自然と人との隙間
人間と動物との隙間

はっきり言って、今でも境界線に対する認識ができていない。

隙間はあるけど、線はない。

あるとかないとか行き来してると
脳みそがミキサーにかけられたようになる。

シェイクされたものを一気飲みして
ほっとする。

あるとないがどっちもあるから
存在が生まれる。

スタバでコーヒーを飲み干す寸前の
あるとない問題が今日も脳みそを刺激する。