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「実習復帰と寺山修司」2020年9月12日

来週月曜14日に、大学の実習に戻らなければいけないんだわ……。
8回くらい休んじゃったので、着々と面倒さと浦島太郎感と行きたくなさと流石に行かないといけないという気持ちが高まっていく。

今日も薬の副作用とざんざん降る雨による抗えない眠気。そのおかげで昼寝が止められない。昨日は10時くらいに寝たのに。
雨の日の高架下ぐらい薄暗い、きったない部屋で昼寝ばっかりしていると、ふとこのまま気付いたら50歳くらいになってて、同じように天井見つめて、ソシャゲやってるかもしれないという不安に支配される。最近の一番の悪夢だ。寝ても覚めても覚めない悪夢。

一時期その不安や、学校でのストレス、家族間の不和によって病的なまでに情緒不安定になった事があり、3年ほど前から心療内科に通っている。去年は生活リズムがめちゃくちゃになったのと、ADHDの薬の効きを試すために1ヶ月間入院した。
閉鎖病棟とかでは全然ない。自殺未遂とかも全然した事ない。行動力・気力がないのと、痛いのが嫌いすぎるからだ。今となってはそれがありがたいと思えるようにまで回復?した。
入院については「面白そう」と周りには言いふらしていたが、内心恐怖もあった。しかし一番大きく心の中を満たしていたのは現実感の無さだった。
あと、家族にまた心配かけちゃうな〜という気持ち。私的には「死にたい」というより「生きていくのマジだるいな」というダウナー方向?ある種ポジティブの落ち込みなので、死のうとは思わないのだが、父親はそういう経験があまりないために「生きるのマジだるい」=「積極的に死にたい」という事だと勘違いしてすごく心配してしまう。心配をかけるのは良くないので、そういう所はちゃんと説明をしなければいけない。

また脱線した。まあ今日は心療内科の診察日だったのだ。雨がどんどこ降っていたので、ちゃんとカッパを着て行った。上半身のみのカッパだったため、自転車を漕いで行ったらクッキリ膝から下がびしょびしょになった。
診察の後に薬の血中濃度を調べる採血があり、それ一つで会計が三倍ぐらいになったのが驚いた。痛い出費。
採決の時に看護師さんが「こっちのほうがいいかな〜〜〜〜〜?」と針の着地点を吟味する時間が一番怖かった。注射は相変わらず痛いし。

その後、少し雨が上がったのでBOOKOFFに行った。何故か昨日の夜、筒井康隆と小松左京と星新一のwikiを読み「小松左京好きなのに『復活の日』以外読んでいない」という事で小松左京作品を探しに来たのだった。ちなみにこの3人の中だとwikiの内容的に小松左京と星新一が好き。wikiを読み、小松左京は真摯な、責任感の強い人なんだ。こういう頭の良い人になりたいと思った。wikiの情報だけで人にキレイな幻想を抱ける妄想力は長所でもあり短所でもある。

脱線。しかし小松左京作品は「復活の日」以外なかった。諦めて以前から気になっていた映画のDVD「ラストアクションヒーロー」と「真夜中のカウボーイ」を買い、そしてウテナの幾原監督が崇拝する寺山修司のエッセイ集を買った。
読んでみると、確かに「ウテナ」みをかなり強く感じる。寺山修司読みやすいな、短いし専門用語があまり出てこないし。でも引用が毎回出てくる所が教養を感じる。お手軽に、程よく理解出来ない感性、何かしら仄暗いものを共有させる気持ちにさせるから人気なのだろうなと思った。いや寺山修司はすごいんだけど。

なので今、寺山修司を読んでいる。「なんとなく分かるなあ」と思う一昔前の文学青年的感性を持つ私と、「みんななんとなく分かるから人気なんだよ、絶対外でなんとなく分かるとか言うなよ痛いから」と思う性格クソ悪私。太宰治を読んでいる時もそんな感じだった。
ああ寺山修司、ひねくれた自意識を持つ若者に効果抜群なタイプの詩人よ。
箸にも棒にもかからないけど世界の真理について持論を持ってる系の若者に、上には上がいるという現実と幻想を同時に見せつける作家よ。
寺山修司沼に片足を突っ込んだ状態、これは良いような良くないような。まあ面白いからいいんだけど………。

自意識のバランスを取るために家にあった「日本沈没」を読みながら寝ます。お疲れ様です。おやすみなさい。

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