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過去に無頓着な人間



文章を書きたいということを書いたけれど、ひとつ書きそびれたことがある。それは自分の思考はおそらく『未来志向型』だということ。その反対は『過去回想型』だ。以前、個性心理学(動物占い)を見てもらったときに、そのような言葉があることを知った。私は幻獣ペガサスちゃんなのだけれど、ペガサスは『未来志向型』らしい。

思い返して見れば、自分は過去に無頓着だ。興味がないと書こうと思ったけれど、できることであれば興味を持ちたいと思っている。でも意識を向けることが苦手だ。過去にピンとこない。過去ってなんだろう?って感じである。

手帳を使っている人は多いと思うけれど、私は手帳というものをこの人生で一度も使ったことがない。正確なことを言えば、使ってみたことはあるけれど、1週間もせずに運用をやめてしまう。書いたことは忘れてしまうし、見返すことも忘れてしまう。日常のスケジュール管理は大事な予定をiPhoneのカレンダーに入力しているだけで、プロジェクト管理的なものには向いていない。どうやら、その能力が欠けているらしい。組織のマネージャーにはならないほうがいい。絶対に。

同じような理由でメモもできない。メモをしたところで見返すことをしない。見返したところで、何を書いてあるのかがピンとこない。異世界の住人から転送されてきたかのような気持ちになる。これは誰がなんのために書いたのだろうか?と思うことがしばしばある。でもそれを書いたのは自分だ。

その代わりと言ってはなんだけれど、常にイチから理論を組み立てるようになっている。私の頭はメモを読み返せない代わりに、理論をイチから組み立て、反復横跳びのように具体と抽象を行ったり来たりしている。たとえばダンスのショーイングがあるとする。そこに向けて自分の身体をつくっていくとする。そのためにいまの自分にとって必要なことは何かと考える。そんなに多くのことはできないのだから、いまの自分にとってもっとも重要な要素を絞り込む。余計な思考をとっぱらって『弱い』自分でいられるようにすることだったり、身体の中心を意識して踊り続けることだったり。これ以上のことを意識すると頭がパンクするので、これだけをひたすら意識する。細かいことは捨てる。あきらめる。そして、これらの思考を文章にこうやってアウトプットすることはある。でもこれはメモではなく、理論の組み立てと整理のためにやる。見返すことはほとんどない。

また別の日に同じように考える。いまの自分にとって大事なものってなんだっけ?と考える。いまの自分にとって必要な要素はこれとこれだからこれを意識しよう、とまた同じことを考える。これを無限にやる。わざわざ考えるんだったらメモを残しておいて見返せばいいじゃないと思う人もいるかもしれないけれど、見返したところで頭に入ってこない。そもそも、そこに書かれたことは過去のことだ。いまに適応できるのかどうかもわからない。だから、いま考えるしかないのである。



前回紹介した、塩谷舞さんと永井玲衣さんの文章は『過去回想型』の文章なのだと思う。過去のエピソードが映像として鮮明に脳裏に再生される力を持っているように感じる。これは過去に意識を向けている時間が長い人ではないとできる技ではないと思う。多くの人がイメージする、いわゆる哲学者と言われるような人たちは仮説を立てて持論を形成する。その証明のために過去の哲学者の言葉と思考を借りてくる。ポジティブな引用をすることもあれば、批判的な対象として引っ張ってくることもある。こうやって理論を形成していく過程では意識は未来に向いている。その意識の中に『わたしの幼少期のころにこんなことがあってね』という、情緒的なエピソードが入り込む余地は多くない。だから『過去回想型』の文章はエッセイっぽくなるし、『未来志向型』の文章は論文っぽくなる。そういう違いがあるのだと思う。

どうでもいい話だけれど、ペガサスの人は体力がないらしい。それにも首がもげるくらい同意する。週に5日フルタイムで働くなんて、重労働で身体が持たないし、旅行にいくならば、移動に疲れ果てて旅行先で寝ていたいタイプだ。街中でのショッピングもままならない。目的のものだけ購入して、さっさと家に帰る。それもこれもぜんぶ体力のせいだ。そう思いたい。

さて、今日は休みだ。掃除をしてゴロゴロしよう。スケジュールは真っ白だ。



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