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転職リマインダー

「人のために働く素敵な仕事」「手に職がある女性が自立して生きていける職業」

看護師は褒めてもらえる機会の多い仕事だ。だけれども、とっちらかった経歴の持ち主が存在するのも事実。

”一身上の都合” を繰りかえす、真っ黒な履歴書は信頼されにくい。けれども、きょうも誰かが退職をする。


「看護師不足」は姿かたちを変えて毎年トレンド入りを狙う、やっかいな問題だ。どうしてこのような状況になるのかというと、わたしたち働く側が、自らの能力を過信するからではないかとふと、思った。


このnoteではわたしの黒歴史のひとつ「新人看護師時代」をふり返りながら、この問題について思ったことをまとめてゆく。


思ってたのとちがうんですけど

地元の看護大学をなんとか卒業し、看護師国家試験に合格したのが10年前。日本が、世界中から注目されていたタイミングで上京した。


就職先に選んだのは都内の大学病院。地元とはスケールの違う建物の数に、高さに、人の多さに、都会の洗練された空気に、圧倒され、魅了された。


(とはいうものの、都会の女の子の結束力や、男女の前で態度の違う女優魂を見せつけられた瞬間はびっくらこいた。これはまた別の機会にでも…。)


”ふつう” の看護ができる看護師になりたかったわたしが配属されたのは「精神科」。面接で精神科の「せ」の字も口に出さなかったのに、精神科だ。

とまどいながらも看護部長を思うとほほえみをプレゼントされた。そして彼女は同期の配属先を、次々と読み上げてゆく。

内科、整形外科、血液内科、内分泌内科──。

わたしの看護師としてのほんわかとしたキャリアプランは、入所式のこの瞬間、大きな修正が必要となってしまった。

「精神科って…病棟どこだっけ?」

アウトオブ眼中とはまさにこのことだ。


精神科、こわい。

古い建物と人間関係に囲まれた、精神科閉鎖病棟。大声で叫んだり、イスをぶん投げてくる人がいたりと慌ただしい日々。

憧れの東京の空気感は、どこにもなかった。


閉鎖病棟は、自由に外出ができない。病棟の入り口は施錠されており、カギは常にスタッフが持っている。外出するには主治医の許可がひつような、自由を制限させられる場所だ。

入院に至るまでに、電車に飛び込んだり人混みのなか刃物を振り回したりして『このままだと、自分か他人を傷つける』と判断された人たちが、落ち着くまでの制限です。一生ではないです。

外出許可のない患者さんたちは、わたしたちや家族にひつようなものを依頼する。

シャンプーにリンス、洗剤に生理用品、お菓子や雑誌やマンガといった生活必需品から嗜好品の数々。


看護業務のひとつが、買い物代行の有無は朝の検温のときに必ず聞くということだった。代行を受け付ける時間の締め切りが、当日の朝9時までというルールがあるからだ。


看護師の平均勤続年数は、「5~10年未満」が最も多い。

いるのはキャリアのある、自分よりもはるか年上の病院スタッフ。様子をみるのは、患者さんだけでないのは想像できただろう……


買い物の依頼は、9時までに先輩スタッフに伝える。それが、働くうえでのわたしたち看護師が守るべきルール。

みんなが気持ちよく働けるための信頼の証。

後から「○○さんが、洗濯用洗剤が必要だということで購入をお願いしたいのですが…」と聞くと、”仕事のできない、協調性のない看護師”と認定される。


それなら、と自ら行こうものなら「日勤スタッフが少ない中、ひとりでも看護師がいなくなることがどんなに大変なのかわからないのか」と先輩看護師から指導をうけてしまう。

わたしが買い物に行くには日勤が終わり、夜勤と交代してからでないといけなかった。残業をしなさい、という見えない指示がビシバシと伝わった。


ほしいものを検温時にしっかり伝えることができる。それは回復に向かっている状態とアセスメントできるのだと教わった。



「休息目的の入院で、タイムマネジメントができるようになる必要ってありますか?」

プリセプターにド直球で質問を投げつけ、ナースステーションが一瞬、しずかになった。空気の読めない認定看護師が誕生した瞬間だ。


きょうをどのように過ごそうかと考えた結果、足りないものに気づける。手に入れるためには看護師に頼むか、家族に頼むかのふたつ。

ただし、看護師に伝えるタイミングは一度きり。後からナースステーションで言うと、担当看護師の苦笑いと他のスタッフの視線で居心地が悪くなる。

手に入るのは、夕暮れか次の日。

だから、買い物の依頼は検温のときに伝えないといけない。

──このように、冷静に分析できるようになれば、退院は近いというわけだ。


「まいにち生きるのに精一杯なのにさ、ほしいものとか思いつかない。てきとうに『おやつ』としか言えない。看護師さんの顔色を伺うのに疲れちまうよ」

患者さんに言われると、そうですよねぇ、としか返せなかった。


習うより慣れろ、できなければ離れろ

病棟ルールに疑問があっても、新人看護師のわたしは知識も経験もゼロの状態。学ばせてもらっている立場でいうべきじゃない、と納得させるしかなかった。

だけれども小さなわだかまりは着実に積み重なった。

希望する科に配属されず、病棟ルールに、空気感に、場になじめない日々。

休日の勉強会や病棟会への参加。

休日出勤はもちろん、給与なし。学ぶためにこの職場を選んだのだから、環境に感謝しないと。自分で選んだ道。そう言い聞かせていた。


伸びた爪を切り取るように、不満は1年もかからず爆発した。


プリセプターを悩ませ、チームリーダーが頭を抱え、師長の注意を繰り返し受けた空気の読めない認定看護師は、笑顔で辞令を下した看護部長と面談をした。

困った新人として夜勤は禁止され、病棟移動を命じられ、看護師としての小さな小さな自尊心は粉々に砕け散った。

一度壊れたこころは修復するのに時間がかかる。信頼関係も再構築には時間がひつようだ。


病棟を、病院を変えて以降、だれとも連絡を取っていない。きっと、話のネタになっただろう。

「すごく手のかかる、新人看護師がいて」
「看護技術もアセスメントも全然ダメで」
「コミュニケーションが取れない子で」
「”ゆとり” って感じで」



いまも、同じ場所にあのときの先輩たちがいるのかは、わからない。


一身上の都合ができるまで

わたしは自分について、なんにも知らなかった。

人生の一部になる仕事場は自分を求めているのか、自分が求める答えがあるのか、力をだせるのか、努力をし続けられる環境なのか?

緊張しすぎて自分のことで精いっぱいにならないのか。周囲の声が聞けないくらいに追い詰められないか。

これらを考える権利を放棄してきた結果が ”一身上の都合” の連続だ。

いろいろな職場を離れてきた。人間関係につかれ、暗黙のルールの存在にイラつき、これ以上のからだの負担は生殖機能に影響を及ぼすと、さまざまな理由から。

すべて、自助努力を怠ってきた結果なのだろう。


一身上の都合が連なる履歴書は、作る側も読む側もめんどうだ。


人が成長するのに大事なことは、素直に聞いて学ぶ姿勢。そのためには現場の空気、環境、知識を丸ごと吸収する必要がある。

学びたいと思える環境や人のいるところに身を置く。自分のチカラを最大限発揮できる場所を、探して見つけていく。

そのような環境であれば、こころとからだを壊して離れることも、方向性の違いもないはずだ。


最低限の努力は、これからも忘れずに続けていきたい。


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