見出し画像

不器用な器用貧乏

なにかひとつのことだけに全力を尽くすのがどうしようもなく苦手だ。

勉強をがんばるなら部活でレギュラーもとりたいし、仕事をするなら趣味も楽しみたい。文武両道がモットーだった学び舎では補欠のレギュラーで成績は中の下。気持ちだけは一丁前の人間だった。

そんなわたしがエッセンシャル思考と出会ったのは、ジュンク堂書店。本店の1階だった。



「現代に生きる人に必須!」とか「生き抜くために必要な思考!」とか、よりよく生きたい人は読まなきゃ損でっせ!というわたしの小さな世論の勢いはスゴかった。便乗して、平積みから取り出して目次を眺めてみた。


立ち読みした時点でわかっていたが、まったく真逆の考えというものは居心地が悪くて仕方がない。


わたしはやりたいことが常に2〜3個ある人間で、看護大学生のときは看護の他に教職と気になる講義をふたつ選び、中学生の勉強支援ボランティアをしていた。

毎日1限目〜6限目まで講義を受け、唯一講義が午後のみという水曜日の午前中にボランティア。30歳を超えた今、同じことはできそうにもない。


そんなわたしとエッセンシャル思考は、水と油、犬とネコ、資本主義と社会主義のように相反するものだった。


初日でページをめくる回数と時間が少なくなり、購入して30分後にはメルカリに出品するために本の帯とカバーを丁寧に整えて写真撮影をした。

だが、コロンブスが新大陸を発見したときの興奮と同様(実際のところは不明だが)、新しい考えを知ったからには実生活に取り入れたいという気持ちもあった。


何より、1回のランチ代を本に投資したからには己を成長させるリターンがほしいという損得勘定が動いた。ビジネス書とは、新しい自分をさがすひとつのツールというもの。なにか学びがあるはずだ、たぶん。


そう考えたら、本のエッセンスを抽出して行動に移した。新しい自分を作るために。


まずやりたいことの優先順位を決め、1位に輝いたこと以外を切り捨てて、1番大事なことのため“だけ“に行動した。すると余計な情報を無意識にキャッチすることがなくなり、ベスト1位のやりたいことにつかえる時間が増えた。「これはなんの役に立つのだろうか」といわれることも、考えることも少なくなった。実に合理的で、ムダのない成長曲線を描いたことだろう。そのおかげで、ファイナンシャルプランナーの勉強に集中できたのだから。

と同時に、物足りない毎日を生きるようになった。優先順位の高いことをすればするほど、身の回りの好きなものやときめくものが少なくなる。モモの「時間ドロボウ」なんかじゃなく、やりたいことを愚直にやっているのに、素直に楽しめないのはなぜだろう。

ソファーに横になりながら動画を観て、時間をかけて掃除をした休日。目的もなく代官山や新宿を歩いて好きなカフェやくつろげる場所を見つけるひとりの時間。本業とは関係のない勉強やイベントの類い。飲み会。


結局、やりたいことはすべて同率1位だったと気づいた。


いろいろなことを体験し、新しい知識や学びを本業に転用したい。そうすれば、周りとは違う視点で活動できる人間になれるはず。帰り道と同じように、遠回りをしたっていいじゃないか。広く浅く、時には深く。そんな自分の価値観を、エッセンシャル思考はすくい取って形にしてくれたのだ。

両方とも全力でやりきれるのであれば相乗効果は抜群だが、どちらかがマイナスになるとうまくいかない。マイナスに掛け合わせても所詮マイナスにしかならないのだから、ゼロよりもたちが悪い。マイナスになることは切り捨てる。最短で成功するための基本だ。

だが、やりたいことがミニマムでないわたしは、無理をしない程度でやりたいことに挑戦しないとがんばれない人間だと気づいた。

体力の限界の向こう側が、必ずしも成功を保障するものではない。過信して、自分をキズつけるかもしれないし「アイデンティティがない」と言われるのかもしれない。


だけどそのたびにまた別のことに夢中になって、過去の思い出にフタを閉める。新しい自分を作り上げる。


ガンジス川に飛び込まなくても、人生は変わる。そう信じて、また新しいことにチャレンジしていきたいと思う。



いただいたサポートはおなかにやさしいごはんをつくるためにつかわせてもらいます。