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【感想】『疾風怒濤精神分析入門』

片岡一竹さんの『疾風怒濤精神分析入門』を読みました。

書店で注文をしたら、たまたまそのときは版元でも在庫がなかったそうで、重版された分が届くまで約十日ほどかかりました。

入荷したと電話で連絡を受けて取りに行ったところ……あれっ、思ったよりも、本が大きい!?と感じました。

そう、よく書店で山積みになっているようなハードカバーの本よりも、ひとまわり大きかったのです。

レジの人に、ヨーロッパの街の片隅にあるような、少し崩れかけた、でもツタがその欠けたところを美しく這っているような壁の線画のイラストが入った包装紙で、丁寧に表紙をくるんでもらってから受け取ったのですが、そのとき、二度目のびっくりをしました。

あれっ、軽い?

そうなんです。
見た目と、その重量があんまり釣り合わなかったんです。
このくらいの重さだったら、外出先で読むためにカバンに入れて持ち歩いても、なんとか大丈夫かな、という感じです。たぶん、本文に使われている紙が、軽い紙なんだろうな、と思います。

表紙も、ラカンの理論について書かれている本とは思えない、(でもそのギャップがすごくいいなと思うのです)セーラー服を着た女子高生のイラストで飾られていました。

そして、タイトル。
どうして、『疾風怒濤』なんてついているんだろう……。

いろいろ気になるところがあって、わくわくしながら読みはじめることができました。

Twitterなどで見かけた感想通り、ラカンの思想について、とても要点を絞ってコンパクトにわかりやすく書かれていました。

こういった思想書をほとんど読んだことがなかったので、半分まで読み進めたところでなかなか先を読むことができなくて苦労しましたが、でも、それは本が悪いわけでは決してなく、次から次へと「日常生活ではまず出会うことのない概念」を、はいこれどうぞ、こちらも役に立ちますどうぞ、ここも説明しますねどうぞ、と、手際よく差し出されるがままに、まるでわんこそばを食べるがごとく一生懸命食べていたら……途中で食べ進めることができなくなった私の、脳味噌の消化能力がですね、いまひとつなだけで(><)

ですが、無事、読み終えることができました!

私はけっこうおっちょこちょいで、うまく空気が読めないところがあって、いろいろ悩んでしまうことがあるので、自分なりにこつこつ日記などを書いて、セルフ精神分析のようなことを少しずつしてゆけたらと思うので、このご本はとても役に立ちます。

これからもうちょっと難しいラカンの解説書にチャレンジしてゆけたらと思います。
片岡さん、こんなにわかりやすく、ジャック・ラカンの思想について解説をして下さって、ありがとうございました……!!

■そして、概要━━ジャック・ラカンの理論が持つ、二つの側面


どのような内容なのか、少し触れてみたいと思います。

ラカンの理論が持つ「臨床実践」と「思想」の二つの側面について解説されていました。

「臨床実践」---実際に心の治療をするときに使われる理論である、ということ。

「思想」-------哲学や表象文化論、社会学などの分野に多くの影響を与えている、ということ。

ラカンの思想に興味を持つ方、さまざまな方がいらっしゃると思うのですが、心理職に就いていらっしゃって、ラカンの理論をカウンセリングに活かすために学びたい、という方と、哲学や表象文化論、社会学を学んでいらっしゃる方で、自分の関わるジャンルにラカンの思想を用いて論考を深めたいと思う方を対象にしている、とのことでした。

本文はⅡと第Ⅱ部にわけて構成されています。
もくじは、下記の通りです。

序文 向井雅明
はじめに──こんな疾風怒濤の時代だから

第Ⅰ部 精神分析とはどのような営みか
第一章 それでも、精神分析が必要な人のために    
    ──精神分析は何のためにあるのか
第二章 自分を救えるのは自分しかいない
    ──精神分析が目指すもの
 アンコール1 人はどのようにして精神分析家になるのか

第Ⅱ部 精神分析とはどのような理論か
第三章 国境を越えると世界が変わってしまうのはなぜか?    
    ──想像界・象徴界・現実界について
第四章 私とはひとりの他者である
    ──鏡像段階からシニフィアンへ
 アンコール2 手紙は必ず宛先に届く
第五章 父親はなぜ死んでいなければならないのか
    ──エディプス・コンプレクスについて
 アンコール3 女性のエディプス・コンプレクスについて
第六章 不可能なものに賭ければよいと思ったら大間違いである    
    ──現実界について
 アンコール4 神経症・精神病・倒錯
終章  すべてうまくはいかなくても
    ──分析の終結について
文献案内
あとがき

上記の「臨床実践」のためにこのご本を読まれる方は、主に第Ⅰ部を中心に。
そして、「思想」のためにこのご本を読まれる方は、時間がないようでしたら第Ⅱ部だけでも、と、はじめに、の章に記載がありました。
そして、”(ラカンの)これらの理論がそもそも何のためにあるかを理解するためには、第Ⅰ部を読んでいただくことが欠かせません”と、書き添えてありました。

■とても勉強になったところ


以下、自分にとってとても勉強になったところを箇条書きにしてゆきます。

・精神分析と周辺領域の違い。---p14~p18

・精神分析には「健康」の概念がない。---p18~p20
 (なんですって!と、びっくりしました。すべての人が神経症者、精神病者、倒錯者(+自閉症者)のどれかに分類される、とのこと。自分はどこに分類されるのか気になりましたが、あいにく自分がどのカテゴリに分類されるか、というチェックテストはこのご本にはありませんでした。こういうときは、Google先生にお願いするとたいていのものはインターネットの大海原の中で見つけることができるので、のちほど探してみようと思います)

・自分なりの<生き方>を見つけられていない、あるいは本当は望んでいない<生き方>を選んでしまっているという負い目から、苦しみはやってくる、ということ。重要なのは、症状をなくして健康になることではなく、その人が自分自身で納得できる<生き方>へと踏み出していけるようになること。これこそが、精神分析の目的だと言えること。---p20~p21

・〈理想〉に苦しめられないこと。---p21~p22
 (ここはもう、そのまま抜き書きします。いいねボタンがあったら、100いいねを押したいです。「ある意味で、精神分析は〈理想〉に苦しめられなくなるための営みであるともいえます。〈理想〉は人生の目的として重要かもしれませんが、それはつねに「いまだ手に入っていないもの」、高嶺に咲く花です。手に入ったら、もはや理想ではなくただの現状になってしまいますから。だからこそ私たちはつねに〈理想〉に手が届かず、苦しみます。理想的な自分は遥か彼方にあり、今の自分は卑小で恥ずかしい人間だと悩みます。精神的な苦しみというのも、そこからやってくるわけです。」そうですよね。〈理想〉は、脳内でどれだけでも美しく描くことが可能なので、とてもじゃないけど現実は追いついてゆけないと思います。もともとそういうものなのかも。)

・ポジティブな〈開き直り〉---p23~p24
 (精神分析を受けることで、精神的な問題を自ら解決することができ、悩みや苦しみがなくなるであろう、ということ。たぶん、全くなくなることはないんだろうな、とは思うんですけど、おそらく、悩みや苦しみはあっても、『これはゾンビですか?』のハルナちゃんのように「しゃーなしだ!」と言って、明るく開き直れるんだろうな……と想像しました)

……と、すみません、このまま続けると、どこまででも箇条書きが続いてしまうので、いったんこのへんで終わりにします。

駄目だ、脳内でハルナちゃんが「〈あの頃の満足〉はもうないんや!しゃーなしだ!」とか言い出して、その台詞がまた彼女によく似合うので、(でも、『これはゾンビですか?』と、ラカンの理論を両方知っていないとわからないですよね……すみません)これからラカンを勉強するときにはハルナちゃんをお供にしてみようかなと思います。

すみません。なんだか長くなってしまったのですが、もし、「ラカンはわからない!」とお困りの方がいらっしゃいましたら、このご本は大変おすすめです。

と、読書感想文は、以上になります。

■おわりに


これからしばらくは、梅雨の戻りで涼しくなりそうで、ほっとしています。
急に暑くなったので、体調を維持するのも大変です。
熱中症にならないように、気をつけなくては……。

ここまで読んで下さって、ありがとうございます!
どうぞ、皆さまも、ご自愛くださいますよう……!

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