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歌を歌って、別れを告げる

最近、少しずつ自分の持ち物を整理しています。

暑くて本もあんまり読めないし、それなら少しいろいろ片付け物をしよう、と思ったのです。

でも、捨てる時に、なんの抵抗もなく平静な気持ちで捨てることができるものと、実際に捨てるまでずっと不安感のような、罪悪感のような、微妙な気持ちにさいなまれるものとがあるんですよね。

たとえば、ティッシュの空き箱とか、カップスープの空き箱とか、中に入っていたものがすっかりなくなったものは、捨てやすいです。

別に、取っておかなくても、スーパーで新しくティッシュやカップスープを買うと外箱がついてくるので、「手放しても大丈夫」な感じがするからかもしれません。

とても手放しにくいものとしては、私の場合は、「使わなくなった果実酒のガラスの保存瓶」があります。

毎年六月頃、梅がスーパーの店頭に出回る頃に、梅干しを干す竹製の浅いざると一緒に、真っ赤な蓋をした大きなガラス瓶が陳列されたりするのですが、あの瓶です。

仕事が忙しくて、梅酒や梅シロップを漬けることがなくなってしまったので、もう手放してもいいのですが……。

あと、このまえ大型ごみに出した、薄いマットレスは、けっこう大変でした。

全体をくるんでいる青いカバーを洗ってみたのですが、中のスポンジが傷んでいたので、買い替えることにしたのですが……カバーを元通りにするのがちょっと大変でした。

中のスポンジの表面がごそごそしていて、カバーの生地もざらっとした手触りの生地だったので、中にスポンジを戻すときに引っかかってしまって、なかなか元の姿に戻ってくれないのです。
(三つ折りにできるマットレスだったので、上段・中段・下段が別々のスポンジになっていたので、おんなじ作業を三回繰り返すのも大変でした)

手を動かしていると「もう捨てなくってもいいんじゃないの」とか、いろいろ余分な心の声が出てきたりします。

やっぱり、あんまり本当は捨てたくないんだなぁ……と思いました。

もう全然使わないものなのに、自分の中には、なんだか手放すのが怖いような、そんな気持ちがあるのです。

一枚目のスポンジを入れ終わって、ちょっと休憩をしているときに、少し考えました。

もし、離れてしまうのが辛いのだったら、別れの歌を歌うことで、なんとか気持ちの区切りがつくんじゃないか、と。

一種の、儀式みたいなものかもしれません。

そこで私は、『仰げば尊し』をすごく小さな声で歌いながら、作業をすることにしました。

自分が卒業をしてゆくのか、それとも、マットレスが卒業をしてゆくのか、どっちなのかはわからないけど、卒業の時期がやってきたのだから、それぞれの道を歩いてゆこう、という感じ……でしょうか。

ちょっと変な選曲かもしれないですけど、自分にとっては、「卒業」というキーワードがとってもしっくりくるものだったのです。

そのあとは、スムーズに作業が進んで、無事にスポンジを青いカバーの中に元通り戻すことができました。翌朝、大型ごみとしてごみ捨て場に出すときの顛末は、『まぁ、とにかくやってみる。』に書いたとおりです。

たまにしか購入しないもの、は、もしかしたら手放すのに心理的な抵抗が大きいのかもしれません。手放してしまうのではなく、なんとかそのまま持っていたほうが、いつか使うかもしれないからいいんじゃないか、と感じてしまうのかもしれません。

でも、時期がきたら、自分の手元にあってももう役立てることができないなら、手放すしかないのです。

歌を歌って別れを告げる方法を見つけることができたので、これでいろいろなものを整理することができるのではないか、と思います。

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